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一撃の夏  作者: 西野照星
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第6話 最初の一勝

第6話 最初の一勝


翌朝。


佐藤拓真は教室の机に突っ伏していた。


「眠い」


「昨日何時までいた?」


山口が前の席を逆向きにして座る。


「七時くらい」


「俺も」


「お前もいたじゃん」


「そうだった」


昨日。


二人は霞北空手部の古いアルバムを見つけた。


県大会五連覇。


全国ベスト4。


全国制覇。


赤き野武士軍団。


そして、風呂英祥。


「なあ」


山口が声を落とす。


「全国制覇ってすごくね?」


「そりゃすごいだろ」


「全国で一番だぞ」


「分かってる」


「俺らの学校だぞ」


「昔な」


山口は少し不満そうだった。


「夢ないなあ」


「昨日入ったばっかのやつが何言ってんだ」


「お前は六日目なのにまだ入ってないじゃん」


「五日だよ」


「数えてるじゃん」


「……」


拓真は黙った。


     *


放課後。


武道場。


「先生」


山口が大島に聞いた。


「霞北って全国制覇したんですよね?」


「したよ」


大島はあっさり答えた。


「知ってたんすか?」


「霞北の卒業生だからな」


「なんで教えてくれなかったんですか!」


「聞かれなかったから」


「そんなもん!?」


熊谷が笑う。


神戸も準備運動をしている。


小松崎だけは特に反応しなかった。


知っていたらしい。


山口はまだ興奮している。


「県大会五連覇も?」


「うん」


「全国ベスト4も?」


「うん」


「風呂先生が監督?」


「そう」


「赤き野武士軍団?」


そこで大島が笑った。


「お前、全部読んだな」


「読みました!」


拓真が口を挟む。


「先生」


「何」


「今は?」


大島が拓真を見る。


「何が?」


「強いんですか、霞北」


少しだけ空気が変わった。


山口も黙る。


大島は考えることもなく答えた。


「今は今だよ」


「それ答えになってないです」


「じゃあ」


大島は全員を見る。


「確かめてみるか」


     *


土曜日。


拓真は霞北高校の校門前で自転車を降りた。


「……いる」


見慣れない高校生たちがいる。


ジャージ姿。


道着を入れた鞄。


十人ほど。


山口が横に来る。


「おはよ」


「誰?」


「俺に聞くな」


武道場へ入る。


大島が説明した。


「今日は近隣校との合同練習」


「急ですね」


拓真が言う。


「毎年この時期にやってる」


「知らなかった」


「お前部員じゃないからな」


「それ言います?」


山口が笑う。


「見学者なのに土曜日まで来たの?」


熊谷まで言う。


「体験です!」


神戸が首を傾げる。


「休日体験?」


「そうです!」


「便利だなあ」


かなが笑っている。


栞はもう相手校の選手を見ていた。


     *


合同練習が始まる。


相手は県内の普通の高校だった。


全国常連でもない。


特別な強豪でもない。


それでも。


人数が多い。


霞北より声が出る。


同じ一年生も何人もいる。


「結構いるな」


拓真が言った。


山口も頷く。


「うち少ねえな」


初めて外のチームと並んで、


霞北の薄さが見えた。


小松崎。


熊谷。


神戸。


山口。


そして、


まだ正式には部員ではない拓真。


「人数だけ揃えて大会に出るのと」


大島が横から言った。


「チームになって大会に出るのは違うからな」


拓真が見る。


「急に何ですか」


「顔に書いてあった」


「何が」


「少ないなって」


「書いてないです」


「書いてた」


栞まで言う。


「お前ら俺の顔読みすぎだろ」


     *


基本。


ミット。


移動。


合同で進む。


そして後半。


練習試合。


「試合形式でやるぞ」


相手校の顧問が言った。


拓真の身体が少し固くなる。


試合。


五年ぶり。


「佐藤」


大島。


「はい」


「出る?」


拓真は少し迷った。


「……俺、部員じゃないですけど」


「練習試合だから」


「体験試合?」


神戸が言った。


「それ採用します」


「するな」


大島が笑う。


「無理に出なくていい」


拓真は試合場を見る。


赤帯。


青帯。


審判。


開始線。


昨日までとは違う。


練習の組手ではない。


勝ち負けがつく。


「出ます」


自分でも、


答えるのが思ったより早かった。


     *


「山口」


「はい!」


山口が先だった。


赤帯を締める。


「緊張する?」


拓真が聞く。


「ちょっと」


そう言いながら、


山口はその場で一度、


高く跳んだ。


膝を胸へ引きつけるようなジャンプ。


「何それ」


「知らん」


「自分でやったんだろ」


「なんとなく気持ち上がる気がする」


「変なの」


「うるせえ」


試合場へ入る。


礼。


構える。


「始め!」


山口が動く。


いつもの速さ。


しかし相手も動く。


入る。


外れる。


ぶつかる。


「止め!」


旗。


相手。


「青!」


山口が戻る。


次。


焦って前へ出る。


「止め!」


また相手。


「青!」


「山口、動きすぎ!」


大島の声。


山口が一瞬こちらを見る。


「集中!」


栞。


「はい!」


また動く。


今度は止まる。


相手が入ってくる。


山口が返す。


「止め!」


旗が上がる。


「赤!」


山口の一本。


「っしゃ!」


拓真も思わず拳を握った。


結局、


山口は負けた。


一点差だった。


戻ってくる。


「くそー!」


「惜しかったじゃん」


「勝ちたかった」


「俺より先に出たんだからいいだろ」


「何の競争だよ」


二人で笑った。


     *


次。


「佐藤拓真」


呼ばれた。


急に喉が乾いた。


「……はい」


赤帯を締める。


五年ぶり。


手が少し震える。


「緊張してんじゃん」


山口が言う。


「してねえよ」


「手」


「寒い」


「四月だけど」


「寒いんだよ」


「佐藤」


小松崎が呼ぶ。


「はい」


「いろいろやろうとしなくていい」


拓真は先輩を見る。


「左でいい」


大島も言った。


「取れるもので取れ」


栞が最後に言う。


「あと」


「何」


「審判から見えるところで」


「分かってる」


「ほんと?」


「たぶん」


「じゃあ見てる」


拓真は試合場へ入った。


     *


礼。


相手は同じ一年生。


経験者らしい。


構えが安定している。


「始め!」


最初の数秒。


拓真は動けなかった。


相手が来る。


速い。


反応が遅れる。


「止め!」


相手の一本。


「青!」


「……」


開始線へ戻る。


五年前。


試合って、


こんなに速かったか?


「始め!」


また相手。


拓真は右を出す。


届かない。


返される。


「止め!」


青。


二本目。


「佐藤!」


大島の声。


「相手見るな!」


「え?」


「距離見ろ!」


意味を考える。


相手を見るな。


距離。


開始。


拓真は足を見る。


前足。


間。


遠い。


まだ。


相手が少し入る。


今。


拓真が踏み込む。


左。


――パンッ!


止まらない。


審判が続行させる。


「え?」


入った。


感触はあった。


でも取られない。


栞の声が飛ぶ。


「見えてない!」


昨日言われたこと。


審判から見えるところ。


拓真は位置を変える。


     *


「始め!」


右を見せる。


相手が少し動く。


踏み込む。


一歩。


もう一歩。


左。


――パンッ!


「止め!」


旗。


赤。


「赤!」


一本。


「よし!」


声が出た。


山口が後ろで叫ぶ。


「それそれ!」


熊谷も声を出す。


「佐藤!」


神戸が手を叩く。


一点。


たった一点。


まだ負けている。


でも。


拓真は笑った。


     *


再開。


今度は相手が警戒した。


左が来ると知っている。


拓真は右を見せる。


動かない。


蹴るふり。


反応しない。


「くそ」


左。


読まれる。


返される。


青。


点差が開く。


時間がない。


「あと十秒!」


大島。


拓真は息を吐いた。


どうせ左しかない。


相手も知っている。


それでも。


「始め!」


相手の前足。


一度。


二度。


来る。


拓真も出た。


左。


――パンッ!


ほぼ同時。


旗が上がる。


赤。


青。


審判が見る。


一瞬が長い。


「赤!」


拓真。


二本目。


「っしゃ!」


残り数秒。


再開。


拓真が出る。


相手も出る。


「止め!」


終了。


     *


結果。


拓真の負け。


「ありがとうございました!」


礼をする。


試合場を出る。


山口が待っていた。


「負けたな」


「お前もな」


「俺は一点差」


「俺だって――」


「何点差?」


「……覚えてない」


「覚えてるだろ」


「うるせえ!」


山口が笑う。


拓真も笑った。


悔しい。


でも。


不思議だった。


負けたのに、


もっとやりたかった。


     *


その後。


熊谷が勝った。


神戸も勝った。


小松崎は、


危なげなく勝った。


「強え……」


山口が呟く。


拓真も頷く。


特に小松崎。


自分とやるときとは違った。


無駄がない。


取るところだけ取る。


「三年ってすげえな」


拓真が言う。


栞が隣で答えた。


「三年だから強いんじゃないよ」


「分かってる」


「二年積み重ねてるから」


拓真は黙った。


自分には、


まだ三日、四日、五日。


それしかない。


     *


最後。


相手校の顧問が言った。


「一年、もう一試合ずつやるか」


山口がすぐ手を上げる。


「はい!」


拓真も、


気づけば手を上げていた。


「はい」


大島が見る。


何も言わなかった。


少し笑っただけだった。


     *


二試合目。


山口は勝った。


「っしゃあ!」


霞北に戻ってくる。


「勝った!」


「見てたよ」


「高校初勝利!」


「練習試合だけどな」


「勝ちは勝ち!」


嬉しそうだった。


そして拓真。


相手はさっきとは別の一年。


礼。


構える。


「始め!」


     *


最初の一本。


相手。


青。


次。


拓真。


左。


赤。


一点ずつ。


相手が右を警戒しない。


当然だ。


拓真は左ばかり。


だったら。


右を出す。


相手が少しだけ反応した。


その瞬間。


左。


「止め!」


赤。


「佐藤!」


二本目。


拓真は息を切らす。


相手も警戒する。


時間。


残りわずか。


一点差。


守ればいい。


でも拓真は、


まだそんな試合のやり方を知らない。


相手が来る。


拓真も行く。


左。


――パンッ!


「止め!」


旗が上がった。


赤。


     *


「それまで!」


拓真は止まった。


点数を見る。


勝っている。


「……勝った?」


審判が促す。


慌てて開始線へ戻る。


礼。


「ありがとうございました!」


試合場を出る。


山口が飛んできた。


「勝ったじゃん!」


「勝った」


「高校初勝利!」


「練習試合だけどな」


さっき自分が言った言葉を返す。


山口が肩を組む。


「勝ちは勝ちだろ!」


熊谷が笑う。


神戸も笑っている。


小松崎が言った。


「おめでとう」


「ありがとうございます」


かなが記録ノートへ何かを書く。


栞が言った。


「最後の一本」


「うん」


「審判からちゃんと見えてた」


拓真が笑う。


「だろ?」


「最初からやればいいのに」


「一言多いんだよ」


     *


合同練習が終わった。


相手校が帰る。


武道場が静かになる。


大島が全員を集めた。


「どうだった?」


山口が言う。


「勝ちました!」


「お前に聞いてない」


「ひどい!」


笑いが起こる。


大島は続けた。


「昔の霞北が全国制覇した。それは事実だ」


拓真たちを見る。


「でも今日のお前らには関係ない」


山口が少しだけ真面目な顔になる。


「昔の人が何回勝ってても、お前らの一本にはならない」


誰も喋らない。


「だから」


大島が言った。


「自分たちの一本を取れ」


拓真は今日の試合を思い出した。


左。


旗。


赤。


高校で初めて取った一本。


そして、


初めての一勝。


     *


片づけ。


拓真は机の上に置かれた紙を見る。


入部届。


何日もそこにある。


ペンを取った。


「お」


山口が気づく。


「ついに?」


「うるさい」


名前を書く。


佐藤拓真。


部活動名。


空手道部。


書き終える。


大島へ渡した。


「お願いします」


大島は受け取った。


「はい」


それだけだった。


「……もっと何かないんですか」


「何が?」


「ようこそ、とか」


「もう一週間近くいるだろ」


熊谷が言う。


「今さらだな」


神戸も頷く。


「ずっと部員だと思ってた」


栞が言った。


「やっと見学終わったね」


かなが笑う。


小松崎が手を差し出した。


「よろしく」


拓真はその手を握った。


「お願いします」


山口も手を出す。


「よろしく、新入り」


「お前、一日しか変わんねえだろ!」


武道場に笑い声が響いた。


     *


帰り道。


拓真と山口は自転車を走らせる。


霞ヶ浦の湖面が、


夕日に染まっていた。


赤い。


拓真はペダルを踏む。


昔の霞北は、


全国で一番になった。


そんなことは、


まだ遠すぎて分からない。


今日の拓真に分かるのは、


もっと小さなことだった。


一本取った。


一試合勝った。


そして、


空手部に入った。


それだけ。


でも高校に入ってから初めて、


明日の放課後に何をするのかを、


もう考える必要がなくなっていた。


第6話 最初の一勝 了

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