↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一撃の夏  作者: 西野照星
PR
29/33

八校の朝

八校の朝


 朝は、それぞれだった。


 神戸はみんなより少し早く起きていた。


 麦茶を一杯飲むと、荷物から持ってきたストレッチシートを取り出して床に広げる。


 脚を伸ばす。


 股関節を開く。


 足首を回して、肩をほぐす。


 別に全国大会だからやっているわけではない。


 神戸は普段から、朝起きると軽く身体を伸ばすのが習慣だった。


 大会の日でも学校へ行く日でも変わらない。


 まだ眠っている身体をゆっくり起こしてから、一日を始める。


 熊谷が目を覚まして、布団の上で大きく伸びた。


 小松崎も起きる。


 拓真はまだ少し眠そうだった。


 山口は珍しく、おちゃらけなかった。


 起きるなり顔を洗い、荷物のところへ行く。


 かなから渡されていたリストを広げて、一つずつ確認していた。


「道着……帯……拳サポ……」


 鞄を開ける。


「タオル、飲み物、着替え……」


 また紙を見る。


 入っているのに、一度取り出して確かめる。


 戻す。


 次を見る。


 拓真がその様子を眺めた。


「今日ちゃんとしてんな」


「うん」


 返事まで普通だった。


 山口は紙から目を離さない。


「朝飯早めに食って、荷物揃えて、武道館行って、アップして……」


 今日一日の流れを、口の中で確かめるように呟いている。


 緊張して固くなっているわけではなかった。


 ただ、今日は準備に夢中だった。


 拓真が聞いた。


「そういや抽選って誰がやるんだろ」


 山口も一瞬だけ顔を上げる。


「小松崎先輩じゃね?」


「やっぱそうかな」


「三年、小松崎先輩だけだし」


 本人が振り向いた。


「俺だって知らねえよ」


「知らないんですか?」


「俺も全国初めてだぞ」


「あ、そっか」


 小松崎は少し考えた。


「まあ、俺か先生だろ」


「ですよね」


 それで山口はもうリストへ戻った。


 小松崎が少し拍子抜けした顔をする。


「今日は食いつかねえな」


「今それどころじゃないんで」


「何なんだよ」


「準備です」


 山口は鞄を閉じた。


「とりあえず朝飯」


     *


 食堂へ下りると、熊谷が珍しく浮かない顔をした。


「俺、今日なんか朝から食べられないよ」


 神戸が見る。


「緊張?」


「分かんない。なんか入らない」


 そう言いながら、熊谷はご飯を食べた。


 味噌汁を飲んだ。


 焼き魚を食べた。


 卵にも箸を伸ばす。


 拓真が見ていた。


「……熊谷先輩」


「ん?」


「普通に食べてません?」


「いや。今日は全然」


 箸は普通に動いている。


 神戸が熊谷の膳を見る。


「いつもの半分くらいか」


「そう。全然食えない」


 熊谷の中では、これで食べられないらしい。


 拓真は自分の膳と見比べた。


 どう見ても普通の朝食だった。


「それで食欲ないんすか」


「ないね」


 熊谷はそう言って味噌汁を飲んだ。


 小松崎が笑う。


「熊谷の中では食ってないんだよ」


「そういうこと」


 山口はその会話にもあまり入ってこなかった。


 普通に朝飯を食べている。


 食べ終わるとリストを出した。


「朝飯、よし」


 チェックを入れる。


 拓真が言った。


「今日ほんと真面目だな」


「忘れ物したくねえもん」


「まあな」


「このあと荷物もう一回見て、武道館行って、アップして――」


 山口がそこで少し考えた。


「今日、団体八校なんだよな」


「そうだな」


「じゃあアップするとこ、昨日より広いのかな」


 拓真も考える。


「人数少ないもんな」


「昨日すげえ人いたじゃん」


「行けば分かるだろ」


「うん」


 山口はそれ以上考えなかった。


 また今日の流れを確認する。


 拓真もご飯を口へ運んだ。


 そのときだった。


 ふっと、昨日の試合場が浮かんだ。


 首里大付。


 相手の構え。


 足。


 肩。


 距離。


 ――今。


 行ける。


 そう思った瞬間。


 自分が出るより先に、そこへ相手が来る。


 突きがある。


「うわっ」


 拓真の肩が跳ねた。


 箸が止まった。


 山口が顔を上げる。


「どうした?」


「……なんでもねえよ」


「そう?」


「うん」


 それだけだった。


 山口はまたリストへ目を落とす。


 拓真も味噌汁を飲んだ。


 昨日は勝った。


 今日も試合がある。


 なら、今はそれでいい。


 もう一度ご飯を食べ始めた。


     *


 朝食を終えると、山口はすぐ荷物を確認した。


「道着、帯、拳サポ、タオル、飲み物……よし」


「さっきも見てなかった?」


 拓真が聞く。


「見た」


「じゃあいいじゃん」


「でも見る」


 それだけ言って、また鞄を閉めた。


 全員の準備が終わる。


 宿舎を出た。


 五人で、大島たちと武道館へ向かう。


 誰も固くはなかった。


 山口はいつもより静かだったが、緊張で口数が減っているというより、頭の中が今日のことでいっぱいらしかった。


 ときどき、


「着いたらアップして……」


 などと一人で確認している。


 熊谷も普通だった。


 神戸もいつも通り。


 小松崎も、全国大会二日目だからといって急に主将らしいことを言ったりはしない。


 拓真も歩いていた。


 ただ。


 五人の間には、なんとも言えない感じがあった。


 昨日までと同じ大会の朝。


 なのに、昨日とは違う。


 緊張とも違う。


 浮かれているわけでもない。


 全国ベスト8。


 その言葉だけが、まだどこか自分たちのものになりきっていなかった。


     *


 日本武道館へ入った。


 最初に山口が周囲を見た。


「……広いな」


 拓真も見渡した。


「人、少ねえ」


 武道館は昨日と同じだった。


 広さだって変わっていない。


 違うのは、人だった。


 昨日は、どこを見ても高校生がいた。


 道着姿の選手。


 アップする選手。


 順番を待つ選手。


 試合を終えた学校。


 これから戦う学校。


 監督や関係者が行き交い、全国から集まった選手たちで場内全体が動いているように見えた。


 今日は、その姿が一気に減っていた。


 団体戦に残ったのは八校。


 昨日までいた学校のほとんどが、もういない。


「ほんとに八校なんだな」


 山口が呟いた。


 朝から初めて、リストにも荷物にも関係ないことを言った。


「分かってただろ」


 拓真が言う。


「分かってたけど」


「俺も」


 数字で聞くのとは違った。


 昨日、首里大付に勝った。


 全国ベスト8になった。


 みんなで喜んだ。


 宿舎でも騒いだ。


 それでも、まだどこか実感がなかった。


「アップするぞ」


 大島に呼ばれ、五人で場内へ入った。


 残った学校も、それぞれ身体を動かし始めている。


 軽く走る。


 ステップを踏む。


 ストレッチをする。


 肩を回す。


 昨日なら人を避けながら使っていた場所にも、今日は空間がある。


 山口もすぐ身体を動かし始めた。


 軽く跳ねる。


 足を運ぶ。


 前後に動く。


 今日はふざけない。


 黙々と身体を温めていく。


 拓真も隣で動く。


 神戸は朝の習慣とは違い、今度は試合へ向けて少しずつ動きを大きくする。


 熊谷も身体を伸ばす。


 小松崎もステップを踏む。


 五人の道着が動く。


 音が、昨日よりよく響いた。


 拓真はふと周囲を見た。


 広い。


 昨日まで人で埋まっていた場所が空いている。


 その中で、霞北の五人はまだ道着を着ている。


 山口も同じことを思ったらしい。


 動きながら場内を見回した。


「……俺ら、残ってんだな」


 拓真が言った。


「うん」


 山口は普通に答えた。


 それだけで十分だった。


 五十校あった。


 昨日、三試合を戦った。


 一つ勝って。


 また勝って。


 もう一つ勝った。


 そして次の朝。


 武道館から人がいなくなっていた。


 でも、自分たちはまだここにいる。


 その光景を見て、ようやく分かった。


 全国ベスト8。


 ついに、ここまで来た。


 不思議と身体は固くなかった。


 むしろよく動いた。


 ただ胸の奥に、昨日までとは違う何かがあった。


 嬉しいとも、怖いとも、まだうまく言えなかった。


「よし、最後軽く動いたら上がろう」


 大島が声をかけた。


「はい」


 五人は最後に身体を動かした。


 熊谷がタオルで汗を拭く。


 神戸が麦茶を飲む。


 山口も息を整え、すぐ荷物のところへ戻ろうとする。


 小松崎が赤いジャージを羽織った。


 拓真も後に続こうとした。


 そのときだった。


 武道館に場内放送が流れた。


『本日の団体戦、準々決勝に出場する各校の監督、ならびに代表者は――』


 五人が、なんとなく足を止めた。


『大会管理室までお越しください』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。