第13話 赤
第13話 赤
五月が終わった。
六月。
武道場の窓を開けると、
湿った風が入ってくる。
「暑い」
山口が床に寝転んだ。
「まだ六月だぞ」
拓真が言う。
「六月が暑くちゃいけない決まりある?」
「ないけど」
「じゃあ暑い」
栞が横から言った。
「床に寝ると邪魔」
「五秒」
「三」
「厳しいな!」
山口が起きた。
*
夏の県大会。
インターハイ予選。
春とは違う。
今度は、
全国へつながる。
大島が組み合わせ表を貼った。
「団体はまずトーナメント」
全員が集まる。
「ベスト4まで残れば最終リーグ」
ホワイトボードに書く。
四校総当たり。
「そこで県代表が決まる」
山口が手を上げる。
「何校全国行けるんですか?」
「一校」
「少なっ」
「全国大会なんだから」
「城徳も兵学館もいるのに?」
「いるよ」
「筑浦二高も?」
「いる」
山口が組み合わせ表を見る。
「茨城、性格悪くない?」
「誰に言ってんだよ」
大島が笑った。
*
拓真は表を見る。
霞北。
城徳。
兵学館。
筑浦二高。
春に見た学校。
全部、
別の山にいる。
「先生」
「何」
「これ」
「うん」
「四校とも残ったら」
大島が答える。
「春に練習した相手、全部もう一回だな」
拓真は少し笑った。
「いいですね」
「何が?」
「分かってる相手だから」
栞が横から言う。
「向こうも分かってるけどね」
「……それ言う?」
「大事だから」
山口が言う。
「俺らだけ成長してると思わせてくれよ」
「無理」
即答だった。
*
その日の終わり。
かなが大きな筒を抱えて入ってきた。
「届いたよ」
山口が飛びついた。
「何!?」
「離れて」
筒を床へ置く。
紐をほどく。
赤。
布が広がる。
かなと栞が両端を持つ。
白い文字。
霞北高校
その下。
大きく。
野武士旋風
一瞬、
全員が黙った。
「おお」
熊谷。
「ちゃんとしてる」
神戸。
「ちゃんとって何だよ」
かなが言う。
山口は目を輝かせていた。
「かっけえ!」
拓真も見る。
思っていたより、
ずっと大きい。
赤い。
霞北の赤。
その上に、
白い文字。
*
小松崎は少し離れて見ていた。
「先輩」
山口が聞く。
「どうですか?」
「……思ったよりでかいな」
「そこ?」
「でも」
小松崎が笑った。
「いいんじゃない」
山口が嬉しそうに横断幕を見る。
「全国制覇より似合うでしょ」
「それは間違いない」
拓真も頷いた。
「常勝でもないし」
「お前それ今言う?」
熊谷が笑う。
「必勝なら?」
神戸。
「それはまだ普通」
全員が笑った。
*
風呂は最後まで何も言わなかった。
横断幕の前へ行く。
しばらく見る。
山口が聞いた。
「先生」
「ん?」
「どうです?」
「赤いな」
「感想それ?」
「霞北だからな」
風呂は布の端を指で触った。
「昔より綺麗だ」
「昔もあったんですか?」
「似たようなのは」
「残ってない?」
「たぶんどっかにある」
かなが言う。
「探さないでください」
「なんで?」
「これ使うから」
風呂が笑った。
「そうしろ」
それだけだった。
*
大会一週間前。
練習の空気が変わった。
誰も急に強くなったわけではない。
でも、
試合を意識する。
熊谷は、
大きく動きすぎない。
神戸は、
長い距離を無駄にしない。
山口は、
動きすぎると自分で気づくようになった。
小松崎は、
いつも通り。
拓真は――
左。
*
「また左?」
山口がミットを持つ。
「また左」
「右やろうぜ」
「先生が左でいいって」
「でも全国行くんだろ?」
「だから左」
「全国まで左一本で行く気?」
拓真が構える。
「取れればいいだろ」
「風呂先生みたいなこと言い始めたな」
「うるさい」
踏み込む。
――パンッ!
山口がミットごと下がる。
「いてっ」
「もう一本」
「休ませろ!」
*
今は、
同じ左でも少し違う。
遠くから行く。
近くへ来させる。
一歩目を小さくする。
右を見せる。
何もしない。
相手が前へ出た瞬間。
相手が止まった瞬間。
まだ少ない。
まだ荒い。
でも、
前より選べる。
*
栞が動画を止める。
「ここ」
拓真が覗く。
「また?」
「今のはいい」
「珍しい」
「褒めてるんだから聞きなよ」
画面。
拓真が左を出す直前。
相手の前足が動いている。
「ここで入ってる」
「うん」
「相手、まだ構え直せてない」
「うん」
「前よりこっちのほうがいい」
拓真は少し考える。
「待ってる感じ?」
「待ってない」
「またその違い?」
「相手が動いたところに入ってる」
栞は画面を戻す。
「自分から無理やり距離を詰めてない」
拓真が見る。
「後の先?」
「そういう言い方もできるけど」
栞は首を傾げる。
「名前つけるより、この感じ覚えたほうがいいと思う」
「技名つかないの?」
山口が後ろから覗く。
「つかない」
「地味だな」
拓真が振り返る。
「お前が言うな」
山口は笑った。
*
大会当日。
会場へ着く。
今度は、
春より落ち着いていた。
受付。
荷物。
アップ場所。
試合場。
一度経験しただけで、
少し違う。
「俺、大会慣れしてきた」
山口が言う。
かなが答える。
「マウスピース」
山口が止まる。
「……」
「慣れてないね」
「あります!」
今回はすぐ出た。
「成長」
かなが言う。
「でしょ?」
「そこから?」
*
横断幕を広げる。
観客席。
霞北の応援席。
赤い布。
かなが位置を確認する。
熊谷と神戸が上へ持ち上げる。
「もうちょい右」
「こっち?」
「行きすぎ」
「でかいから調整しづらい」
「横断幕のせいにしないで」
ようやく固定。
拓真は下から見上げた。
霞北高校 野武士旋風
会場で見ると、
部室で見たときより大きい。
隣の学校旗。
横断幕。
応援。
その中で、
霞北の赤はかなり目立った。
「……赤いな」
拓真が言う。
山口が笑う。
「風呂先生と同じ感想じゃん」
*
少し離れたところ。
城徳。
黒。
島田晋作。
田川秀吉。
前田利行。
田川秀長。
石田成樹。
加藤正輝。
島田はこちらを見た。
横断幕を見る。
ほんの少し、
目を細める。
だが、
来ない。
黒田も松尾も、
今日は観客席に来ている。
島田はそちらへも行かない。
ただ一度、
小さく頭を下げた。
黒田も返した。
それだけ。
今日は、
城徳の監督。
*
兵学館。
白。
柳瀬が大島を見つける。
遠くから手を上げる。
大島も返す。
服部。
内藤。
山下。
カルロス山崎。
新井鋼太郎。
それぞれアップ。
城徳ほど統一されて見えない。
でも、
もう霞北は知っている。
あれで強い。
*
筑浦二高。
青と緑。
宮本文明。
目が合う。
「大島!」
声がでかい。
「今日はよろしく!」
大島が軽く頭を下げる。
「お願いします」
宮本は霞北の横断幕を見る。
「おお!」
近づいてきた。
「野武士旋風!」
山口が嬉しそうに言う。
「昔のやつ借りました!」
「いいじゃん」
宮本が腕を組む。
「霞北っぽい」
拓真が聞く。
「先生、昔の知ってるんですか?」
「そりゃ県の空手やってたら知ってるよ」
「有名?」
「俺らの世代でも名前は残ってた」
大島が言う。
「宮本先生」
「何?」
「試合前なんで、そろそろ自分のところ戻ってください」
「冷たいなあ」
「監督でしょう」
「そうだった」
宮本は笑いながら戻る。
「じゃあ最終リーグで!」
山口が言った。
「まだ両方残ってないですよ!」
「残るつもりで言ってんだよ!」
「うちもです!」
宮本は手を上げて去った。
*
トーナメント開始。
最初は、
一試合ずつ。
霞北の名前が呼ばれる。
団体戦。
春とは違う。
一人で負けても、
次がいる。
一人で勝っても、
それだけでは終わらない。
*
先鋒。
山口。
試合直前。
一度、
高く跳ぶ。
膝を胸へ。
着地。
拓真が言う。
「それ定着したな」
「なんとなく」
「まだなんとなくなんだ」
「なんとなくが一番強い」
「意味分かんねえ」
大島が呼ぶ。
「山口」
「はい!」
「止まること忘れるな」
「はい!」
出る。
*
山口は勝った。
大きくは勝たない。
一点差。
でも、
最後まで動かされなかった。
戻ってくる。
「っしゃ!」
熊谷が次。
帯。
小松崎と神戸が両側へ。
思い切り引く。
「ぐっ……!」
拓真が見る。
「ほんとにやるんだ」
熊谷が苦しそうに笑う。
「これやらないと締まらない」
「帯じゃなくて身体が締まってますよ」
神戸。
「行け」
熊谷が出る。
*
熊谷も勝つ。
神戸も勝つ。
小松崎。
会場の端。
タオルをかぶっている。
拓真が飲み物を持ってくる。
「先輩」
「ん」
「水、ここ置いときます」
「ありがと」
「ゼッケン大丈夫です」
「うん」
「赤帯もあります」
「分かった」
拓真はそれ以上話さない。
最近、
自然にそうなっていた。
小松崎が集中している間、
必要なものを置く。
呼ばれたら渡す。
それだけ。
山口が小声で言う。
「お前、マネージャーみたい」
「うるさい」
かなが聞いていた。
「じゃあ記録もやる?」
「それは嫌です」
「即答」
*
小松崎は勝った。
霞北、
初戦突破。
*
二回戦。
三回戦。
全部を簡単には勝てない。
熊谷が引き分ける。
神戸が一点差で落とす。
山口も取られる。
拓真も出番が来る。
*
「佐藤」
「はい」
「行ける?」
「行けます」
相手は二年。
春なら、
それだけで少し嫌だった。
今は、
見ている。
構え。
前足。
距離。
礼。
「始め!」
*
相手が先に来る。
拓真は無理に行かない。
一歩。
二歩。
来る。
左。
――パンッ!
「止め!」
赤。
「よし!」
一本。
*
次。
今度は相手が警戒する。
来ない。
拓真も焦らない。
右を少し見せる。
相手の手が動く。
行かない。
もう一度。
今度は相手が反応しない。
左。
遠い。
届かない。
返される。
青。
「くそ」
*
同点。
残り時間。
春の公式戦。
ここで拓真は焦った。
追った。
自分の距離を捨てた。
今日は。
追わない。
*
相手が下がる。
拓真も止まる。
会場がうるさい。
大島の声。
栞の声。
全部聞こえる。
でも、
目の前だけ見る。
相手の前足。
一度止まる。
前へ。
今。
拓真も入る。
左。
――パンッ!
「止め!」
旗。
赤。
「赤!」
*
終了。
勝ち。
拓真は礼をする。
戻ってきた。
山口が手を出す。
「勝ったじゃん」
拓真も叩く。
「うん」
「公式戦」
「うん」
「初勝利?」
拓真が止まった。
「……あ」
山口が笑う。
「今気づいた?」
「忘れてた」
栞が言う。
「春は一回戦だったもんね」
「そうだった」
大島が聞く。
「どうだった?」
拓真は少し考えた。
春。
同じ質問。
あのときは、
負けました。
と答えた。
今日は。
「勝ちました」
「見てた」
「先生それ毎回言いますね」
「なんで勝った?」
拓真は試合場を見る。
「最後、追わなかったから」
大島が頷いた。
「覚えとけ」
また、
同じ言葉だった。
*
準々決勝。
勝てばベスト4。
最終リーグ。
相手も、
ここまで残っている。
簡単ではない。
先鋒。
山口。
負け。
戻ってくる。
「すいません!」
小松崎が言う。
「まだ終わってない」
次。
熊谷。
勝つ。
一勝一敗。
神戸。
引き分け。
小松崎。
勝つ。
霞北が一歩前へ出る。
*
最後。
必要な勝ち点。
試合場。
拓真にも出番が来た。
大島が言う。
「佐藤」
「はい」
「勝てとは言わない」
拓真が見る。
「じゃあ?」
「取ってこい」
「何を?」
大島は笑う。
「お前の一本」
拓真も少し笑った。
「はい」
*
試合。
互角。
一点。
取る。
一点。
取られる。
最後まで決まらない。
終了。
引き分け。
*
でも。
団体では、
霞北が勝った。
「勝者、霞北高校!」
一瞬。
拓真は反応が遅れた。
次に、
山口が叫んだ。
「ベスト4!」
熊谷が拳を握る。
神戸が笑う。
小松崎だけ、
少し息を吐いた。
かなが記録用紙を握る。
栞も笑っている。
大島が言った。
「まだだぞ」
山口が振り返る。
「でも残った!」
「残ったな」
「最終リーグ!」
「そう」
*
観客席。
赤い横断幕。
霞北高校 野武士旋風
黒田が見ている。
松尾もいる。
風呂はその横。
大声ではしゃがない。
拍手だけ。
昔のような全国制覇ではない。
まだ、
県のベスト4。
それでも。
霞北が、
最終リーグへ戻ってきた。
*
そして。
他の試合場。
城徳学園。
勝利。
ベスト4。
兵学館高校。
勝利。
ベスト4。
筑浦二高。
接戦を制す。
ベスト4。
*
山口が組み合わせ表を見る。
「マジで全部残った」
拓真も見る。
四校。
霞北高校。
城徳学園。
兵学館高校。
筑浦二高。
春に訪ねた三校。
今度は、
練習ではない。
*
最終リーグの開始は、
午後。
少しだけ時間がある。
霞北の選手たちは観客席へ戻った。
拓真は赤い横断幕を下から見る。
春。
霞北には何がある。
そう聞かれて、
何も答えられなかった。
今も、
答えは分からない。
城徳のような層はない。
兵学館のように完成された自立もない。
筑浦二高ほど積み上げた時間もない。
それでも、
ここにいる。
*
山口が横へ来る。
「なあ」
「何」
「やっと旋風っぽくなってきた?」
拓真が横断幕を見る。
「ベスト4で?」
「十分じゃね?」
「まだ早いだろ」
「厳しいな」
「でも」
拓真は少し笑った。
「前よりは似合ってる」
山口も笑う。
「だろ?」
*
アナウンス。
最終リーグ出場校。
城徳学園。
黒。
兵学館高校。
白。
筑浦二高。
青と緑。
そして。
「茨城県立霞北高等学校」
観客席に、
赤。
小松崎が立つ。
「行くぞ」
「はい!」
全員が立った。
横断幕の下を抜ける。
拓真は、
一度だけ振り返る。
赤。
昔の色ではない。
今日、
自分たちが着ている色だった。
第13話 赤 了




