第12話 赤き野武士
第12話 赤き野武士
土曜日。
武道場へ入った拓真は、
すぐに異変に気づいた。
「……人、多くない?」
山口も止まる。
「誰?」
見知らぬ大人が何人もいた。
四十代。
五十代。
もっと上。
ジャージ姿。
普段着。
中には道着を持ってきている人もいる。
熊谷が言った。
「今日はOB来るって」
「聞いてない」
拓真。
「言ったよ」
かな。
「いつ?」
「昨日」
「俺そのときミットやってた」
「じゃあ聞いてないの佐藤だけ」
「先に言ってよ」
山口はもう楽しそうだった。
「昔の野武士?」
「その言い方やめろ」
大島が横を通る。
「本人たちに言うなよ」
「言わないですよ!」
山口は答えた。
三秒後。
「でもどの人が野武士なんですか?」
「言ってるじゃねえか」
*
入口。
かなが急に立ち上がった。
「お父さん」
「おう」
一人の男が入ってきた。
五十代前半。
体格はそれほど大きくない。
穏やかな顔。
手には紙袋。
「差し入れ」
「ありがと」
山口が拓真の袖を引く。
「かな先輩のお父さん?」
「みたいだな」
かなが二人を見る。
「紹介するね。父」
男が笑った。
「松尾繁樹です」
二人が頭を下げる。
「一年の山口郁斗です!」
「佐藤拓真です」
松尾が拓真を見る。
「君が左の子?」
「え」
「話聞いてるよ」
かなが言った。
「私そんなに話してないよ」
「風呂先生から」
拓真が風呂を見る。
「先生」
「何」
「言いふらしてるんですか」
「別に秘密じゃないだろ」
「そうですけど」
松尾が笑う。
「いい左らしいな」
「まだ全然です」
拓真が答える。
「そう言えるなら大丈夫」
その言葉の意味は、
よく分からなかった。
*
さらに一人。
今度は背筋の伸びた男。
髪は短い。
歩き方が妙にきちんとしている。
松尾が振り向いた。
「黒田」
「久しぶり」
「全然変わんねえな」
「お前は太ったな」
「いきなりそれかよ」
笑いながら握手。
かなが拓真たちへ言う。
「黒田さん」
黒田が頭を下げる。
「どうも」
山口が聞いた。
「OBの方ですか?」
「一応」
「風呂先生の教え子?」
「一応」
回答が全部短い。
拓真はなんとなく、
元警察官っぽい、
と思った。
実際、
黒田は元警察官だった。
*
もう一人。
少し遅れて男が入ってきた。
風呂を見るなり、
深く頭を下げる。
「先生、ご無沙汰しております」
「おう」
次。
黒田。
「黒田先輩、ご無沙汰しています」
「久しぶり、晋作」
松尾。
「松尾先輩、お久しぶりです」
「お前この前会っただろ」
「大会では挨拶できませんでしたから」
拓真と山口が同時に男を見る。
見たことがある。
「……城徳」
拓真が呟く。
島田晋作。
城徳学園一軍監督。
黒ではなく、
今日は普通のポロシャツを着ている。
山口が小声で言う。
「普通のおじさんだ」
島田が振り向いた。
「聞こえてるぞ」
「すいません!」
今日一回目。
*
拓真は混乱した。
城徳の監督。
黒田。
松尾。
風呂。
みんな同じところで笑っている。
大会では、
島田は霞北側へ来なかった。
今日は違う。
風呂の前では元教え子。
黒田と松尾の前では後輩。
「なんか変な感じ」
拓真が言う。
小松崎が隣で答えた。
「そう?」
「城徳の監督ですよ」
「今日は城徳の監督として来たわけじゃないからな」
「そういうもんですか」
「そういうもんじゃない?」
小松崎も詳しくは知らないらしかった。
*
大島が全員を集める。
「今日はOBの皆さんが来てくれたので、合同で練習します」
山口が手を上げる。
「先生」
「何」
「どこまで現役でやるんですか?」
大人たちを見る。
大島が答える。
「人による」
風呂が笑った。
「お前ら、年寄りだからって舐めるなよ」
山口が言う。
「舐めてません!」
島田が道着の袋を置く。
「じゃあ山口、あとでやるか」
「え」
「舐めてないんだろ?」
山口が一瞬だけ固まる。
「……お願いします!」
拓真が笑った。
「逃げなかった」
「当たり前だろ!」
*
準備運動。
古いOBたちも混ざる。
当然、
動きは現役高校生ほど軽くない。
膝を気にする人。
腰を叩く人。
「いてて」
「お前固くなったな」
「昔からだよ」
笑いながら伸ばす。
拓真は少し拍子抜けした。
これが、
全国制覇した人たち?
もっと、
何か特別な感じかと思っていた。
普通だった。
*
ミット。
松尾がかなに言う。
「かな、持って」
「えー」
「昔やったろ」
「小学校のときでしょ」
「いいから」
かなが渋々ミットを持つ。
松尾が構える。
一発。
――パンッ!
音が変わった。
拓真が振り向く。
速いわけではない。
でも、
芯に入っている。
「……」
もう一発。
――パンッ!
かなが少し後ろへ動く。
「痛い」
「ごめん」
「絶対今強くしたでしょ」
「してないしてない」
「した」
親子喧嘩が始まる。
山口が感心する。
「かな先輩のお父さん、普通にうまい」
「OBだからな」
拓真も見ていた。
*
黒田は、
派手なことをしなかった。
小松崎と軽く組む。
ゆっくり。
小松崎が入る。
黒田が半歩ずれる。
返す。
「……」
小松崎が止まる。
もう一度。
入る。
また半歩。
返す。
大島が言った。
「黒田さん、相変わらずですね」
「もう身体動かないよ」
「十分動いてます」
拓真が聞く。
「何がすごいんですか?」
栞が答える。
「位置」
「位置?」
「ほとんど下がってない」
よく見る。
確かに。
逃げていない。
ほんの少しだけ、
相手から外れる。
そして、
もう返せるところにいる。
「地味」
拓真が言う。
黒田に聞こえた。
「そうだよ」
拓真が固まる。
「すいません!」
「地味でいいんだよ」
黒田は笑った。
「一本取れれば」
*
山口対島田。
「ほんとにやるんですか?」
「言い出したのお前だろ」
「先生が言ったんですよ!」
島田は笑いながら構えた。
「軽くな」
「お願いします!」
開始。
山口が動く。
島田は動かない。
山口が左右へ。
入る。
島田が外す。
「うわ」
次。
山口が止まる。
島田も止まる。
「……」
山口が動く。
島田が入った。
――パンッ!
「え?」
山口が自分の胸を見る。
島田はもう戻っている。
「今の何ですか」
「逆突き」
「普通じゃないですか!」
「普通だよ」
山口が悔しそうな顔をした。
拓真が笑う。
「普通の逆突きに負けてる」
「お前あとでやれよ!」
「嫌だよ!」
*
島田は大島とも少し組んだ。
今度は、
空気が違った。
現役大学空手部出身の若い教師。
全国常連校を率いるベテラン監督。
取る。
外す。
返す。
互いに無茶はしない。
でも、
高校生同士とは少し違う。
拓真は見入った。
「先生、強え」
山口が呟く。
「どっち?」
「両方」
「珍しくまともな感想だな」
*
休憩。
OBたちが輪になって話している。
山口はそこへ自然に入った。
「昔の霞北ってどんな感じだったんですか?」
拓真が呆れる。
「お前ほんと誰にでも聞くな」
「せっかくだろ」
松尾が答える。
「どんなって?」
「赤き野武士軍団」
一瞬、
OBたちが黙った。
そして。
黒田が吹き出した。
島田も笑う。
松尾は額を押さえる。
「まだその呼び方残ってんのかよ」
山口が驚く。
「嫌なんですか?」
「嫌っていうか」
松尾が言う。
「自分で名乗ってたわけじゃねえからな」
黒田が頷く。
「新聞がつけた」
風呂が遠くから言った。
「だから言っただろ」
「ほんとだった」
*
拓真が聞く。
「バラバラだったって先生が言ってました」
黒田が風呂を見る。
「先生、そんなこと言ったんですか」
「事実だろ」
「まあ事実ですけど」
松尾が笑う。
「黒田は細かい」
「お前が雑だっただけだ」
「俺は前行く係」
「係じゃない」
「五十嵐は渉外」
拓真と山口が同時に笑った。
「お前ら何で笑うんだよ」
風呂が言う。
「校長に言うぞ」
「すいません!」
「渉外大事だぞ」
黒田が真面目に言った。
「遠征ひとつでも五十嵐が学校と話してくれてた」
山口が頷く。
「それ聞きました」
「なら笑うな」
「はい」
*
島田が懐かしそうに話す。
「俺のころは、黒田先輩たちの代が上にいましたから」
拓真が聞く。
「黒田さんの代?」
「そう」
「強かったんですか?」
妙な沈黙。
松尾が黒田を見る。
島田も見る。
風呂が笑う。
黒田だけ、
嫌そうな顔をした。
「なんです?」
山口が聞く。
松尾が答える。
「全国取った代の主将」
拓真。
「……誰が?」
松尾が黒田を指す。
「こいつ」
山口が固まる。
「え?」
黒田が頭をかいた。
「別にいいだろ、昔の話なんだから」
「主将!?」
「声でかい」
「全国制覇したときの!?」
「そう」
「なんで先に言わないんですか!」
黒田が困った顔になる。
「聞かれなかったから」
拓真が大島を見る。
大島が肩をすくめる。
「霞北の大人、全員それ言うな」
拓真が呟いた。
*
山口は一気に黒田の横へ寄った。
「決勝どうだったんですか?」
「普通」
「普通なわけないでしょ!」
「試合は試合だよ」
「作並学院!」
「ああ」
「前年負けて!」
「うん」
「次の年決勝で!」
「うん」
「勝った!」
「そうだな」
「もっと興奮してくださいよ!」
黒田が笑った。
「もう三十年以上前だぞ」
山口は納得しない。
「俺だったら一生言いますよ」
「お前は言いそうだな」
島田が笑った。
*
拓真は、
少し離れて黒田を見た。
全国制覇した主将。
号外の真ん中にいた人。
もっと怖い人を想像していた。
でも。
普通に笑う。
松尾と昔話をする。
島田に「先輩」と呼ばれる。
かなから菓子を勧められて、
「甘いのは少しでいい」
と断る。
ただの人だった。
*
午後。
小さな団体戦形式をやることになった。
現役対OB。
「本気?」
熊谷が聞く。
風呂が言う。
「OBは無理するなよ」
「現役に言うんじゃなくて?」
拓真。
「高校生は怪我しても治る」
「先生それダメな言い方です」
栞が即座に言った。
風呂が止まる。
「あ」
「怪我を軽く言わない」
「はい」
風呂が頭を下げる。
「すいません」
栞が腕を組む。
「よろしい」
全員が笑った。
*
先鋒。
山口。
相手は松尾。
「かな先輩のお父さんか……」
「遠慮すんなよ」
「しません!」
開始。
山口が動く。
松尾は追わない。
山口が入る。
外される。
返される。
「うわ!」
だが次。
山口は動きを減らす。
松尾が来る。
山口が返す。
一本。
「よし!」
かなが拍手する。
松尾が娘を見る。
「どっち応援してんだ」
「現役」
「冷たいなあ」
*
次。
拓真。
黒田。
「え」
拓真が嫌そうな顔をした。
「全国制覇主将じゃん」
黒田が言う。
「今は五十過ぎのおじさん」
「それでも嫌です」
「左で来るんだろ?」
「バレてるし」
「全員知ってるよ」
構える。
*
始め。
拓真は距離を見る。
黒田は動かない。
左。
半歩。
いない。
返される。
「……」
もう一度。
拓真が右を見せる。
黒田は見ない。
左。
また半歩。
返す。
「何で?」
拓真が思わず言った。
黒田が笑う。
「試合中喋るな」
三度目。
拓真は行かない。
待つ。
黒田も来ない。
長い。
「来ないんですか」
「来てほしい?」
「いや」
「じゃあいいだろ」
拓真は焦れる。
入る。
半歩。
また外された。
「くそ!」
*
大島が声をかける。
「佐藤!」
拓真が戻る。
「取らされるな!」
筑浦二高で言われたこと。
相手にやらされるな。
拓真は息を整えた。
黒田は、
何もしていないように見える。
なのに。
自分が勝手に、
黒田のところへ行っている。
だったら。
行かない。
*
長い間。
黒田がほんの少し前へ出た。
拓真の目が動く。
もう半歩。
今。
左。
――パンッ!
黒田が外す。
でも、
今度は返ってこない。
「惜しい」
黒田が言った。
拓真は構えたまま聞く。
「今の?」
「今の」
「取れてないですけど」
「でも初めて俺のいるところに来た」
拓真は少しだけ意味を考えた。
*
最後。
黒田が入る。
拓真も出る。
左。
ほぼ同時。
止まる。
判定は、
拓真。
「赤!」
「よし!」
声が出た。
黒田は笑った。
「いいじゃん」
試合終了。
礼。
拓真は少し息を切らしていた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
黒田が手を出す。
拓真も握る。
「その左、大事にしろよ」
「はい」
「でも左だけ大事にするな」
「え?」
「身体全部で左を当てるんだよ」
拓真は黙った。
「……難しいですね」
「だから面白いんだろ」
黒田は笑った。
*
練習終了。
かなが差し入れを配る。
OBたちも帰り支度。
山口はまだ聞いている。
「全国決勝って緊張しました?」
「した」
「やっぱり!」
「朝、松尾が腹壊してた」
「それ言うなよ!」
松尾が遠くから怒鳴る。
「野武士が腹壊した!」
山口が笑う。
「お前なあ!」
武道場が一気に騒がしくなった。
*
小松崎は、
その様子を少し離れて見ていた。
壁際には、
製作途中の横断幕の案。
かなが学校へ申請している。
赤地。
白い文字。
予定されている言葉。
霞北高校 野武士旋風
まだ完成していない。
小松崎が黒田へ言った。
「黒田さん」
「ん?」
「俺たち、昔の横断幕の言葉を少し借りようと思ってます」
「聞いた」
「嫌じゃないですか?」
黒田は案を見る。
「何が?」
「昔の人たちからしたら」
黒田は首を振った。
「学校のものだろ」
「でも」
「俺たちのものじゃないよ」
黒田が言った。
「俺たちだって、その前の先輩から霞北を借りてただけだ」
小松崎は少し黙った。
黒田が笑う。
「好きに使え」
「ありがとうございます」
*
島田も帰る。
山口が聞いた。
「島田先生」
「何?」
「今度城徳と当たったら、今日みたいに教えてくれます?」
「教えるわけないだろ」
即答。
「ですよね!」
「大会では俺は城徳の監督だからな」
「黒田先輩とかにも挨拶しないんですか?」
島田は少し考えた。
「試合中は、必要以上には行かない」
「なんで?」
「俺があっちこっち行ってたら、城徳の生徒が嫌だろ」
山口が黙る。
島田は続けた。
「終わったら先輩は先輩。でも試合中は別」
「なるほど」
「高校生相手に仕事してるからな」
島田は軽く手を上げた。
「じゃあ県大会で」
その言葉だけで、
少し空気が変わった。
*
帰り。
拓真と山口が自転車を押す。
「黒田さん、主将だったんだな」
山口。
「びっくりした」
「もっと早く言えよな」
「昔の人ってあんまり言わないな」
「俺なら言う」
「知ってる」
「全国制覇主将・山口郁斗」
「うるさそう」
「新聞の取材全部受ける」
「だろうな」
二人は笑った。
*
拓真は、
一度だけ学校を振り返った。
今日会った大人たち。
黒田。
松尾。
島田。
風呂。
昔の写真の中では、
みんな高校生だった。
赤い道着袋を持って。
喧嘩して。
腹を壊して。
勝って。
負けて。
最後には全国で一番になった。
「赤き野武士軍団。」
拓真が呟く。
山口が言う。
「かっこいいよな」
「本人たちは嫌そうだったけど」
「そこもいいじゃん」
「そうか?」
「俺らもいつか何か呼ばれるかな」
拓真は少し考えた。
「別にいいよ」
「夢ねえな」
「勝ってからでいいだろ」
山口は笑った。
「それもそうだな」
二人は自転車へ乗った。
昔の赤は、
思っていたより遠くなかった。
同じ武道場で。
同じ床を踏んで。
同じように、
高校生だった。
第12話 赤き野武士 了




