第11話 霞北には何がある?
第11話 霞北には何がある?
月曜日。
――パンッ!
拓真の左がミットへ入る。
「もう一回」
自分から言った。
大島がミットを構える。
「いいよ」
距離を取る。
踏み込む。
左。
――パンッ!
「もう一回」
「佐藤」
「はい」
「今日それ何本目?」
「分かりません」
「俺は分かる」
「何本ですか」
「数えてない」
「分かってないじゃないですか」
大島が笑った。
「休め」
「まだできます」
「休むのも練習」
「それ風呂先生みたいな言い方ですね」
「嫌なこと言うな」
壁際にいた風呂が顔を上げた。
「聞こえてるぞ」
「すいません」
「何で謝るんだよ」
武道場に笑いが起きた。
*
山口も変わっていた。
以前ほど、
意味もなく跳ねない。
動く。
止まる。
また動く。
熊谷が前へ来る。
山口は逃げない。
半歩ずれる。
返す。
「止め!」
大島。
「山口」
「っしゃ!」
熊谷が首を振る。
「やりづらくなったな」
山口が嬉しそうに言う。
「マジっすか?」
「褒めてない」
「褒めてますよ、それ」
神戸が横から言う。
「調子乗るとまた跳ねるぞ」
「跳ねません!」
そう言った直後、
山口は二歩余計に動いた。
「山口」
栞。
「はい」
「跳ねてる」
「……はい」
*
練習後。
全員が床へ座った。
大島がホワイトボードを持ってくる。
山口が嫌な顔をした。
「勉強?」
「空手」
「ならよかった」
「お前は勉強もしろ」
「はい」
大島が黒いペンで書いた。
城徳学園
その横。
兵学館高校
さらに。
筑浦二高
「何を思った?」
大島が聞く。
山口が手を上げる。
「城徳は黒い」
「色じゃなくて」
「強い」
「雑」
熊谷が言う。
「選手層が厚い」
「そう」
神戸。
「個人の能力も高いです」
「うん」
栞が付け足す。
「試合慣れしてる。誰が出ても、やることが大きく変わらない」
大島が頷いた。
城徳の横へ書く。
層・個・試合力
「兵学館」
神戸が言う。
「自分で考える」
熊谷。
「修正が速い」
拓真も言った。
「一回やったのが、次に通じない」
大島が書く。
自立・修正
「筑浦二高」
山口が言う。
「普通」
宮本が聞いたら怒るぞ、と拓真は思った。
大島は怒らなかった。
「その普通って?」
拓真が答える。
「全部できる」
「うん」
「なんか……穴がない」
栞が言う。
「三年間の積み重ね」
大島が書く。
基礎・継続
*
三校の名前。
三つの特徴。
山口がホワイトボードを見る。
「強そう」
「強いからな」
「じゃあ」
山口が聞く。
「霞北は?」
大島はペンを止めた。
「それを考えようと思って」
全員が黙った。
*
山口が手を上げる。
「赤」
「だから色から離れろ」
「でも赤ですよ」
「それはそうだけど」
熊谷が言った。
「でかい」
神戸が熊谷を見る。
「お前だけな」
「神戸先輩もでかいじゃないですか」
「まあ」
拓真が二人を見る。
確かにでかい。
「身長」
大島が書こうとする。
小松崎が止めた。
「先生、それチームの特徴にしたら俺ら卒業したあと困りません?」
熊谷が笑う。
「確かに」
消す。
*
「小松崎」
大島が聞く。
「何かある?」
小松崎は少し考えた。
「今は……ないんじゃないですか」
誰も笑わなかった。
「ない?」
山口が聞く。
「うん」
小松崎は普通に言った。
「昔は知らないけど、今の俺らに『霞北はこれ』っていうものはないと思う」
熊谷も頷く。
神戸も否定しない。
拓真は少し意外だった。
三年の小松崎なら、
何か答えると思っていた。
*
「先生は?」
拓真が大島に聞く。
「俺?」
「霞北のOBなんですよね」
「そう」
「何かないんですか」
大島はホワイトボードを見る。
「俺のときも、そんなになかったよ」
「昔から?」
「俺がいたころには、もう昔ほど強くなかったから」
拓真が聞く。
「全国制覇したころとは全然違う?」
「全然違う」
大島はあっさり言った。
「俺も高校時代は、あのアルバムを見た側だから」
山口が驚く。
「先生も?」
「そうだよ」
「もっと直系だと思ってた」
「何の直系だよ」
*
風呂はずっと黙っていた。
山口が見る。
「風呂先生」
「ん?」
「昔は?」
「何が」
「霞北の強み」
全員が風呂を見る。
全国制覇した監督。
答えを知っている。
そんな空気になった。
風呂は頭をかいた。
「知らん」
「ええ!?」
山口が声を上げる。
「先生が知らないんですか!」
「そんなの後から新聞屋が勝手に書くんだよ」
「赤き野武士軍団は?」
「それも新聞」
「野武士旋風は?」
「新聞」
「全部新聞じゃん!」
「新聞記事なんだから当たり前だろ」
拓真が笑った。
*
風呂は続ける。
「あいつらだって、最初から野武士軍団になろうと思って集まったわけじゃない」
「じゃあ何だったんです?」
「高校生」
「普通?」
「普通」
風呂は笑った。
「喧嘩するし、練習さぼるやついるし、試合前に腹壊すやついるし」
「全国制覇した人たちが?」
「するよ」
「夢壊れるなあ」
山口が言う。
「勝手に夢見んな」
風呂は笑った。
「ただ、みんな空手が違った」
「違う?」
「バラバラ」
風呂は指を折る。
「前へ出るやつ。待つやつ。蹴るやつ。突くだけのやつ。でかいやつ。小さいやつ」
拓真が聞く。
「揃えなかったんですか?」
「何を?」
「スタイル」
「揃えてどうすんの」
風呂が逆に聞いた。
「身体も性格も違うのに」
「でもチームですよね」
「だからチームなんだろ」
*
風呂はホワイトボードへ近づいた。
大島からペンを借りる。
霞北高校。
その下へ、
何も書かなかった。
「先生?」
山口が聞く。
「空けとけ」
「何で?」
「まだ四月だろ」
ペンを返す。
「今決めたら嘘になる」
大島が少し笑った。
「俺もそう思います」
「じゃあ何で話し合いしたんですか!」
山口が抗議する。
大島が答える。
「考えるため」
「答え出ないんですけど!」
「授業でもあるだろ」
「一番嫌なやつ!」
*
片づけ。
拓真は部室へ入った。
この前のアルバム。
山口もついてくる。
「また見るの?」
「ちょっと」
開く。
県大会五連覇。
全国ベスト4。
赤き野武士軍団。
ページをめくる。
そして。
『霞北、悲願の全国制覇』
写真。
選手たち。
監督。
大勢いる。
拓真は記事を読んだ。
「去年、ベスト4だったんだ」
「何が?」
「これ」
指を差す。
全国制覇前年の記事。
作並学院の壁。
宮城の強豪。
霞北は全国準決勝で敗れている。
翌年。
再戦。
全国決勝。
『赤き野武士軍団、雪辱果たす』
山口が読む。
「作並学院」
「今も強いのかな」
「強いんじゃね?」
二人には、
まだ遠すぎる名前だった。
*
次のページ。
大きな写真。
土浦駅。
人が集まっている。
紙を受け取っている。
「何これ」
山口が見る。
記事の横に、
古い号外が貼られていた。
霞北、全国制覇。
「号外?」
拓真が言う。
「これ土浦駅?」
「そうじゃね?」
二人は顔を見合わせる。
「空手で?」
「空手で」
「マジかよ」
*
「風呂先生!」
二人は武道場へ戻った。
風呂は帰るところだった。
「なんだよ」
山口がアルバムを持っている。
「これ!」
「お前、それ持ち出すなよ」
「土浦駅で号外配ったんですか!?」
風呂の顔が、
露骨に嫌そうになった。
「ああ……」
「知ってるんですか!」
「そりゃ知ってるよ」
「見たんですか?」
「俺はそんときゃ武道館にいたから、実物はあとだよ」
「じゃあ誰が取っておいたんです?」
風呂は笑った。
「五十嵐のおふくろ」
拓真が止まる。
「五十嵐?」
「校長先生」
「校長!?」
*
風呂がアルバムを見る。
「あいつのおふくろが新聞社からもらっておいてくれてな」
「先生は?」
「恥ずかしいから全部ちり紙交換に出せって言った」
「なんで!?」
山口が本気で驚く。
「だって俺の顔載ってんだぞ」
「全国制覇ですよ!」
「だから嫌なんだよ」
風呂が笑う。
「しばらく行く先々で『風呂監督、風呂監督』って。恥ずかしくてしょうがなかった」
拓真は号外を見る。
若い風呂。
確かに、
かなり大きく写っている。
「これ先生?」
「見るな」
「もう見ました」
「閉じろ」
「若い!」
「閉じろ!」
山口が爆笑した。
*
「でも」
拓真が聞いた。
「五十嵐校長も空手部だったんですか?」
「いたよ」
「強かった?」
風呂が少し笑う。
「アルバム見てみ」
二人はまた部室へ戻った。
*
探す。
古い記事。
選手紹介。
大会前の記事。
山口が指を止めた。
「いた!」
拓真が覗く。
そこには、
現在の校長、
五十嵐の若いころの名前。
渉外担当 五十嵐君
沈黙。
山口が読む。
「……渉外担当」
拓真も読む。
「渉外担当」
「選手じゃない」
「渉外担当」
二人は耐えた。
三秒。
「ふっ」
「やめろ」
「だって校長、渉外担当……」
「立派な仕事だろ」
「分かってるけど……!」
笑いを堪えられない。
*
翌日。
朝。
全校集会。
壇上。
校長の五十嵐が話している。
「――高校生活というものは、日々の積み重ねが――」
拓真は真面目に聞こうとする。
隣の列。
山口と目が合った。
山口が口だけ動かす。
渉外担当。
拓真は前を向いた。
駄目だ。
笑うな。
壇上の五十嵐は、
立派な校長だった。
でも頭の中には、
昨日の記事。
渉外担当 五十嵐君。
拓真は必死に耐えた。
*
放課後。
「お前ら昨日から校長見て笑ってない?」
栞が聞いた。
「笑ってない」
拓真。
「全然」
山口。
「怪しい」
かなが言う。
「何か見つけた?」
山口が答えようとする。
拓真が止める。
「言うな」
「なんで?」
「本人に悪いだろ」
そこへ大島。
「何の話?」
「五十嵐校長が昔――」
「山口!」
「渉外担当だったって」
言った。
大島が笑った。
「見つけたか」
「先生知ってたんですか?」
「有名だよ、OBの間じゃ」
風呂も来ていた。
「五十嵐は昔から外と話するのうまかったからな」
「全国制覇したときも?」
「学校との調整、遠征、宿、OB、いろいろ」
風呂は言う。
「そういうやつがいないと、選手だけじゃ大会なんて行けないんだよ」
山口の笑いが少し収まった。
「……大事じゃん」
「大事だよ」
「じゃあ笑っちゃダメですね」
「お前笑ってたのか?」
「ちょっと」
「あとで謝っとけ」
「嫌ですよ!」
*
その日の練習後。
小松崎が部室へ入った。
拓真と山口がまたアルバムを広げている。
「最近好きだな、それ」
「面白いです」
山口が答える。
小松崎は壁を見る。
古い札。
常勝。
必勝。
全国制覇。
「先輩」
拓真が聞く。
「どれか使います?」
「何を?」
「今の霞北の目標」
小松崎は札を見た。
しばらくして、
首を振った。
「これは俺らじゃ似合わねぇな」
「ですよね」
「全国制覇って書いて大会行く?」
山口が聞く。
拓真が即答する。
「重すぎる」
「常勝」
「最近そんな勝ってない」
「必勝」
「それは普通」
「うーん」
山口がアルバムへ目を戻した。
*
ページをめくる。
赤き野武士軍団。
霞北野武士旋風。
野武士旋風、全国へ。
何度も出てくる言葉。
山口の指が止まった。
「これ」
「何?」
「全国制覇とかは荷が重いけど」
小松崎も見る。
山口は記事を指差した。
霞北野武士旋風。
「これだけ借りるのは?」
拓真が見る。
「野武士旋風?」
「うん」
「俺ら野武士なの?」
「知らん」
「知らんのかよ」
「昔の先輩たちの言葉だろ」
「新聞の言葉」
「細かいな」
小松崎は記事を見た。
*
「……これなら」
小松崎が言った。
山口が顔を上げる。
「いいですか?」
「ちょっと重いけどな」
小松崎は笑った。
「でも」
古い写真を見る。
自分たちより、
何十年も前の霞北高校空手部。
「先輩たちに見てもらいたいし」
少し考えて、
続けた。
「ちょっと力を借りよう」
山口が笑った。
「じゃあ決まり?」
拓真が言う。
「勝手に決めていいの?」
「先生に聞こうぜ」
三人はアルバムを持って武道場へ戻った。
*
話を聞いた風呂は、
少しだけ黙った。
大島が聞く。
「どうです?」
「俺に聞くなよ」
「一応」
「今の部員が使いたいなら使えばいい」
風呂はそれだけ言った。
「全国制覇じゃなくて?」
山口が聞く。
「やめとけ」
即答だった。
全員が笑う。
「常勝?」
「もっとやめとけ」
「必勝?」
「好きにしろ」
「野武士旋風」
風呂は少し笑った。
「それくらいがいいんじゃない?」
*
かなが聞く。
「横断幕にするの?」
山口が頷く。
「作れます?」
「学校に確認してみる」
「さすがマネージャー!」
「こういうのが仕事だから」
栞がアルバムを見る。
「赤?」
「もちろん」
山口が言った。
「霞北だから」
赤。
霞ヶ浦へ沈む夕日。
昔の霞北も、
今の霞北も、
同じ色。
*
大島はホワイトボードを見た。
数日前から残っている。
城徳。
層・個・試合力。
兵学館。
自立・修正。
筑浦二高。
基礎・継続。
そして、
霞北。
空欄。
大島はペンを持った。
書こうとして、
やめた。
風呂が言う。
「まだ書くなよ」
「分かってます」
「夏くらいまで空けとけ」
「長いですね」
「高校生なんて一か月で変わるぞ」
大島はペンを置いた。
*
拓真は部室へ戻り、
アルバムを棚へ戻した。
全国制覇。
赤き野武士軍団。
号外。
県大会五連覇。
全部、
自分たちのものではない。
借りられるのは、
たった一つ。
名前だけ。
野武士旋風。
まだ、
旋風なんて起こしていない。
県大会で負けたばかり。
拓真も一回戦負け。
山口も二回戦負け。
それでも。
夏になったとき、
この言葉が少しくらい似合うチームになっていたらいい。
拓真は部室の電気を消した。
第11話 霞北には何がある? 了




