女神のちから
◇
ヒルドラさんが帰ったあと、私たちが校門へ向かうと、クロウのお祖父様であるノクスさんとお父様が馬車の前に立っていた。
ゆるキャラであるお父様はいつになく深刻な表情をしていて、ノクスさんもまた然りであった。二人とも学校で何があったのか、すでにある程度は聞いているらしい。
私たちはそのままクロウの屋敷へ向かった。
「なんじゃと! 試されたじゃと?」
事情を聞いたノクスさんの驚きようは、それまでのイメージを覆すものだった。勢いよく立ち上がったかと思えば、腰から砕けるとはこのことを言うのかというほど、崩れ落ちるように椅子へ座った。
「なんということだ……やはり侮っていたな……ヒルドラ殿を……」
お父様も頭を抱え、机を叩きながら嘆いている。
んなこと言われても、こちとら殺されるところだったのだぞ。こいつらは何を言っとるのか……そして、クロウはなぜ呑気にお茶を啜っておるのか。
「あのぉ、何か問題でもあったのでしょうか……」
「おぉ、シャーロン! 嘆かわしいぞ父は。いや、もうシャーロンではないのかもしれんな……」
はっ? バレた? 富永さつきだと、もうバレましたか?
しかし二人が疑っていたのは、もっとぶっ飛んだ話だった。
クロウの父、オルフェン・ジェイドは長年、生の女神を探し続けていた。そしてノクスさんたちも、最近の私の変化から薄々その可能性を考えていたらしい。
なっ? 女神? 鳥取のド田舎検事、富永さつきから女神様は飛躍しすぎだろーーー!
「なーんのこと……ですかねえ……クロウくん?」
助け舟を求めるようにクロウを見るが、完全に無視してやがるよ、このガキは……どついてやりたい!
古い記録によれば、死神には生の女神を無条件で守る性質があるという。体育館で聖騎士が剣を振り下ろしてもクロウが動かなかったのは、そこに本当の殺意がなかったから。ヒルドラさんはそれを見抜き、今度は自分で本気の殺意を向けて、死神の守護能力が発動するか試した。
そしてクロウは私を守った。
昨日、甲冑の剣から私を守ったのも、今日、ヒルドラさんの剣を折ったのもクロウだ。少なくとも私はそう思っていたし、きっとクロウだってそのつもりだったはずだ。
なのに、それがクロウの意思ではなく、死神が女神を守っただけかもしれないと言われると、胸の奥に何かが引っ掛かった。
クロウも気に入らないのか、眉を寄せたまま何も言わず本を眺めている。
「でも、まだ私が女神だって決まったわけじゃないんですよね?」
「もちろんじゃ。ワシらにも分からん」
「だったら――」
「問題はそこではないんじゃよ、シャーロン」
ノクスさんに遮られ、私は口を閉じた。
「お前さんが本当に女神なのかどうかではない。ヒルドラ殿が、お前さんを女神かもしれないと考えたことが問題なのじゃ」
「あっ……」
ようやく二人がこれほど慌てている理由が分かった。
私が女神だろうが何だろうが、ヒルドラさんから疑われた時点で危険は始まっている。
「秩序を重んじるライト家にとって、死と生が再び揃うことをどう捉えるかは分からん。何もしてこない可能性もある。じゃが、もし世界の秩序を乱す存在と判断されれば――」
「私、殺されるんですか?」
誰もすぐには答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
「いやいやいや! 女神かどうかも分からないのに!?」
「だから父も困っているのだよぉ!」
「そこで一緒になって困らないでよ!」
お父様が半泣きで頭を抱えた。さっきまで深刻だったのに、いつものゆるキャラへ戻るの早いな!
「とにかく、今は何も変えんことじゃ」
ノクスさんはそう言うと、私とクロウを順番に見た。
「これまで通り学院へ通い、普段通りに生活する。こちらから余計な動きを見せれば、それこそ疑ってくれと言っているようなものじゃからな」
お父様もそれには同意したものの、私を一人にする時間をなるべく作らないよう、屋敷の者にも話を通しておくことになった。
ただ、それでもベイン家だけで守り切れない事態になった場合は話が別だった。
「そのときはシャーロンをこちらで預かろう」
「ここで?」
「うむ。ジェイド家ならばワシもおるし、何より死神がおる。ライト家とて、簡単には手を出せんじゃろう」
お父様はしばらく考えていたが、最後には深く頭を下げた。
「もしものときは……娘をお願いします」
「任せておけ」
なんだか私だけ置いていかれて、ずいぶん大きな話になってしまった。
女神かもしれないと言われたうえに、下手をすれば命まで狙われる。そして本当に危なくなったら、私はこの屋敷で暮らすことになるらしい。
死者を蘇らせるネクロマンサーの屋敷なんて、少し前の私なら全力で遠慮していたところだ。
でも今は、不思議とそこまで嫌じゃない。
◇
「シャーロン、クロウ、ちょっといいか」
翌日、学校で私たちはリオンに校舎裏へ呼び出された。
「うちの親衛隊を含む人間が、ベイン家へ調査に入ることとなった。対策はできているのか?」
「対策って、なーんでお前の立場でそれを俺たちにバラすんだよ?」
「私はこれでも、お前たちの味方のつもりだ……ライバルとしても……愛する者のためとしても」
(またサラッと入れたな、こいつ……)
昨日ならそこに食いついていたかもしれないけれど、今はそれどころではない。
リオンはライト家の人間だ。それも次期当主になるであろう一人息子が、家の調査を事前に私たちへ漏らしている。
敵側の人間から内部情報をもらっているようなものだ。
「へー、ただのお坊ちゃまってわけじゃねーんだ」
「正確には……父上も止められないんだ。自分の意思とは別に……」
「どういうことだ?」
「説明しづらいのだが、神の意志とでも言えばいいのかな。私たちライト家も、光の神の力を完全に自由にできるわけじゃない」
クロウに宿る死神は、クロウ自身が命令しなくても私を守った。
なら、ライト家に宿る光の神も同じなのだろう。
リオンのお父様が私を殺したいわけではない。ヒルドラさんが個人的に私を憎んでいるわけでもない。
それでも秩序を乱すものが現れれば、光の力はそれを排除しようとする。
人間の意思で止められないのなら、むしろそっちのほうが厄介だ。
「でも、それならクロウだって排除されるんじゃないの?」
「本来ならね。だが私が生きていること自体が、クロウの力によるものだ」
「あっ……」
「私という存在を保つためには、クロウの力を否定できない。だから今まで均衡が保たれていた」
なんとも都合のいい秩序だ。
死者を蘇らせる力は駄目。でも自分を生き返らせた力だからクロウは消せない。
神様の話なのに、急に人間臭くなってきたぞ。
「でもシャーロンには、それがない」
リオンの一言で、笑えなくなった。
クロウには、秩序側から見ても存在を否定できない理由がある。
私にはない。
「理由を作る見込みは?」
クロウの問いに、リオンは首を横に振った。
「なら、たぶんもうシャーロンは家には戻れないぞ。とっくに手配が回ってるはずだ」
「待て。父上からそこまでは聞いていないぞ?」
「時間の問題だろ。シャーロンを生き返らせるために、ベイン家は財産の二割をうちに払ってるんだぞ? その金がジェイド家に流れたところまでバレなくても、急にそんな大金が消えてりゃ、何かあったって疑われる」
この子ホントに十二歳かーい? お金の動きって!
ただ、言っていることは正論だ。ライト家ほどではなくてもベイン家は相当な財産を持っている。その二割を一度に動かしたとなれば、完全に隠すのは難しい。
しかも私は、その直後から別人みたいに性格が変わっている。
金の動いた時期と私が変わった時期を並べられたら――元検事としては、見逃してくれと願うほうが無理がある。
「そう言われれば……そうだけど……クロウ、ならどうすればシャーロンを救えるんだ?」
「分からない。ただ、まだ調べられることはある」
「何を?」
「絵本だよ。三家には同じ神話なのに違う絵本が残ってた。だったら他の記録も同じかもしれない。特に女神について書かれたものを、できるだけ俺の家に集めて調べる」
なるほど。
三冊の絵本を調べたとき、分かったのは結末が違うことだけじゃなかった。
ジェイド家は死神。
ライト家は光の神。
ベイン家は生の女神。
それぞれ自分たちの始祖を中心に、同じ歴史を違う形で残していた。
なら、絵本以外にも三家で食い違っている記録があるかもしれない。
「分かった。至急集めて、ジェイド家へ持っていく」
「私も持っていくよ。学校が終わったら集合! それでオッケー?」
「ああ」
「俺もそれでいい」
こうして私たちは、聖騎士団より先に私の正体を突き止めることになった。
◇
翌日、放課後に私たちはジェイド家の館に集まり、答え合わせのように三家から持ち寄った文献を照らし合わせた。
机の上には古い本や記録が山のように積まれていたが、一冊ずつ読み込む必要はなかった。同じ出来事について書かれた箇所だけを拾って並べてみると、三家がそれぞれ何を伝えてきたのかは意外なほど簡単に見えてきた。
ジェイド家では、生の女神は死の神を裏切って光の神のもとへ行き、死の神は女神との関係を断ったことになっている。
ライト家では、死と生が交わったことで崩れた世界の秩序を、光の神が二人を引き離すことで元に戻した。
そしてベイン家に残されていたのは、女神が死神を守るため、自ら光の神のもとへ行ったという話だった。
「同じ話なのに、全員言ってること違うじゃん」
元検事としては、三人の証人が揃って自分に都合のいい供述をしているようにしか見えない。
ただ、三家の記録を並べたからこそ分かったこともある。
生の女神は単に人を癒やすような神ではなかった。何もなかった大地に草木を芽吹かせ、獣や人間を生み出したとされている。
そんな女神と、死者の魂を連れ戻せる死神が一緒になった結果、本来なら二度と戻らないはずの死者まで生へ戻せるようになった。
しかも今、その死神がクロウに宿っていて、私は生の女神かもしれないと疑われている。
聖騎士団からすれば、昔やらかした二人がもう一度揃いかけているようなものなのだろう。
そこで隣に座るクロウが目に入り、私は慌てて本へ視線を戻した。
どうにも昨日からいけない。
好きだと自覚したせいで、近くにいるだけでいちいち気になる。そのくせクロウ本人は何も変わらず、私が見ていたことに気づいても「何?」で終わり。
このガキ……少しくらい察しろ!
余計なことを考えないよう、ベイン家の文献をさらに追っていくと、最後に一つだけ他の二家にはない言葉が残されていた。
『いつの日か、生の女神はあるべき場所へ還る』
私はその一文を何度か読み返した。
あるべき場所がどこなのかは書かれていない。
死神のところなのか、光の神のところなのか、それともまったく別の場所なのか。
ただ、もし本当に私が生の女神なのだとしたら、一つだけ思い当たる場所がある。
「……元いた世界?」
二人の視線が私へ集まった。
私は富永さつきとして別の世界で生まれ、そこで二十五年生きてきた。シャーロンの身体へ入ったこと自体が本来とは違う状態なのだとすれば、『あるべき場所へ還る』という言葉とも辻褄は合う。
リオンもその可能性はあると考えたようだったが、クロウはもっと簡単に納得した。
「お前、向こうに告白してきた奴もいるんだろ?」
「……いるけど」
「じゃあ、やっぱ向こうなんじゃね?」
なんでそうなる! くそう。
好きだと自覚した男から、別の男がいる世界へ帰ることを勧められると、今まで気にしていなかったことまで気になってくるではないか。
しかも本人には悪気の欠片もない。
結局、私が女神だと証明できるものは見つからなかった。ただ、新しく『あるべき場所へ還る』という意味の分からない言葉だけが残った。
もし、その場所が私のいた世界なら――私はどうして、この世界へ来たんだろう。




