堕婬の魔女
◇
「さて、リオンくんはそろそろ帰したほうがよかろう」
私たちが文献を一通り調べ終えた頃、ノクスさんがそう声を掛けてきた。
「まだ少し調べたいものがあるのですが……」
「ライト家の跡取りが、いつまでもジェイド家におっては余計な疑いを招く。今は互いに慎重になったほうがよいじゃろう。馬車を用意させよう」
ただでさえリオンは、ベイン家へ調査が入ることを私たちに漏らしている。これ以上こちらと仲良くしていることまで知られれば、さすがに父親のヒルドラさんも庇いきれなくなるだろう。
「分かりました。それでは今日は失礼します」
「うむ。送らせましょう」
ノクスさんもリオンと一緒に部屋を出ていき、広い書庫には私とクロウだけが残された。私はもう今日はここまででいいと思っていたのだが、クロウはまだ本を漁っていた。
一冊読み終えれば次の一冊。古すぎて読みにくいものまで引っ張り出して、女神について書かれた箇所がないか探している。
私はさっきから同じ本を開いたまま、ほとんどページが進んでいない。
文字よりクロウのほうが気になって仕方ないのだ。私のことを調べてくれている。私が聖騎士団に狙われずに済む方法を探してくれている。そう考えると嬉しいくせに、昨日聞いた話がどうしても頭から離れなかった。
『死神は、生の女神を無条件で守る』
甲冑の剣から守ってくれたのも、ヒルドラさんの剣を折ってくれたのも、本当にクロウの意思だったのだろうか。そんなことを考えながら見ていたせいだろう。
「……ねえ、クロウ」
「なに?」
「もしさ……私が女神じゃなくて、本当にシャーロンさんだったら、こんなふうに調べた?」
「はぁ? 状況がちげーし」
クロウがようやく本から顔を上げると、呆れた顔をしてそう言った。
「だから、私を助けるためにこんなに調べたりしたのかなって」
「お前シャーロンじゃないじゃん」
確かに私は何を聞いているのだろう。答えてほしい答えに誘導したくて質問しているみたいな気がしてきて、恥ずかしくなった。
「お前はさつきなんだから比べても意味なくね?」
「……もういい!」
「はー? なんで怒ってんの? 意味分かんね」
私は本で顔を隠して話を終わらせた。
今すべきことは分かっている。
私が現世に帰れるように彼は動き、死神の力も仮に私が女神であれば本能的に守っている。
ただ一つ一つの非現実の世界の中で、直向きに行動してくれることが今の私には刺激が強すぎるのだよ。
すると、クロウが三冊の本を抱えて向かいの席から私の隣へやってきた。
「これ見てみろよ」
三冊とも開かれ、そのうち二冊には怪しげな魔女の挿し絵が描かれていた。
「ベイン家からさつきが持ってきた本とか文献に、やたらとこの魔女が出てくるんだよ。知らねーか?」
「知るわけないでしょ? こっちに来てまだ……ん?」
そう言いかけて、ふと思い出した。
「この人じゃないけど、私が、この世界に来て変だってバレそうになったとき、ベイン家で魔女の話が出てきたような……」
「ほんとか!」
クロウが勢いよく身を乗り出した。
「だったら調べてみようぜ。何回も昔の記録に出てくるんだぞ? なんか知ってるかもしれねーじゃん」
確かに、三家の文献をこれだけ漁っても、女神について肝心なことはほとんど分からなかった。それなのに、時代の違う記録に同じ魔女らしき存在だけが何度も顔を出している。
本の中に答えがないのなら、答えを知っている者を探せばいい。
私は一度ベイン家へ戻り、この魔女について残っている記録を調べることにした。
◇
「お父様、先日私のところに来た魔女について、お聞きしたいことがあるのですけど」
「はて魔女? なんのことかのぉ〜」
お父様は、あからさまに魔女の話題を避けた。
「そうですか。ではクロウ・ジェイドと二人っきりで、各地の人気の少ない旅館に泊まりながら、しっぽり魔女探しに行ってまいりまーす!」
「ちょーーーっ! シャーロン! 待つのじゃーーー!」
「あらっ? お父様、なにか言い残したいことがおありかしら?」
「そんな、中小企業の暇な社長が愛人と行くような絶対楽しいやつは許さん!」
お父様が元検事の駆け引きに勝てるはずもなく、ものの数秒で口を割った。
魔女の名はネフィラ。
ここから遥か遠く、恐山と呼ばれる山の麓に住み、普段はほとんど町へ降りてこないらしい。私が生き返ってから明らかにおかしくなったため、お父様がわざわざ馬車を走らせて連れてきたのだという。
元々はネクロマンサーから派生した魔女の一族らしいが、その能力について詳しいことは分かっていない。
ただし、ネフィラには二つの異名があった。
一つは――《堕婬の魔女》。
なんでそんな不名誉な名前になったのかは、今は聞かないでおこう。
そして、もう一つ。
長い年月の中で得た膨大な知識から、一部の学者たちには敬意を込めてこう呼ばれている。
《碩学の魔女》
……なるほど、女神について知っている可能性は、十分にありそうだ。
◇
「ああ! あの淫乱ババアのことか!」
クロウが教室中に聞こえるほど大きな声で言うので、私とリオンは揃って口元に指を当てた。
「シーッ!」
「こちらでは、そのような者の噂は聞いたことがないのだが……なんというか、その……随分と自由な淑女なのだな」
「あんなのライト家の近くをウロウロしてたら、聖騎士団に速攻で捕まってるよ。この前なんて俺のチンコをいきなり――」
「ストーップ! ストップ! そんな話をしに来たんじゃないから!」
「で、どうなんだクロウ? その淑女は女神のことを知っていそうなのか?」
「んー。物知りババアなのは間違いないと思うけど、素直に教えてくれるかなぁ」
「やはり献上品は必要か……私に用意できるものであればいいのだが」
「おお! リオン、用意してくれるか?」
「ああ。できることなら何でもしよう。シャーロンのためだからな」
「じゃあ、その身体だ! ババアに捧げてくれ!」
クロウは手を擦り合わせると、そのままリオンへ向かって拝み始めた。
「なっ!?」
「ちょっと待て! 献上品ってそういう意味じゃないから!」
結局、私たち三人でネクロマンサー地区に住むネフィラの家へ向かうことになった。
ところが、辿り着いた先は、私が想像していた所謂【魔女の家】とはかけ離れていた。
まず、敷地が馬鹿みたいに広い。
見渡す限りの土地に牧場まであり、その奥に建つ平屋の屋敷も「何部屋あるの?」と聞きたくなるほど横に長い。使用人やメイドらしき人たちがあちこちで働いている光景まで含めて、とてもじゃないが魔女の家には見えなかった。
「……堕婬の魔女って、儲かるの?」
「知らねーよ」
バンッ!
いきなり屋敷のドアが開いた。
そこに立っていたのは、裸の上にガウンを一枚羽織った若い女性だった。
……ババア?
クロウが散々ババア呼ばわりしていたから、てっきり腰の曲がった老婆でも出てくるのかと思っていたのだが、どう見ても若い。しかも裸にガウン一枚という姿を見る限り、《堕婬の魔女》という不名誉な異名のほうは、あながち間違っていないのかもしれない。
その若い女性は機嫌悪そうに私たち三人を見回した。
「なんだい、ガキじゃないか。しかも一人はジェイド家のガキ……帰んな」
バンッ!
「あの……閉まっちゃいましたけど……」
「そのようだな……クロウのことは知っていたようだが」
私とリオンが呆気に取られて顔を見合わせていると、クロウは一人、スタスタと今閉まったばかりのドアへ歩いていった。
「ちょっと、クロウ?」
左手が薄いオレンジ色に光り、その手の甲から鎌のようなものが肩口までゆっくりと伸びていく。
「おい、クロウ!!」
「ちょっと待って! 人んちだからね!?」
クロウは構わず鎌を振り上げ、ドアへ叩き込もうとした。
バーンッ!
その寸前、再びドアが開いた。
紫色に輝く杖がクロウの鎌を受け止める。
「とんでもないガキだね。いきなり人んちのドアをぶっ壊そうとするとは――」
ネフィラは杖で鎌を押し返しながら、クロウの顔をまじまじと見た。
「父親そっくりだよ」
そこでようやく思い出した。こっちの世界へ来たばかりの頃、私がおかしくなったと疑われて屋敷へ呼ばれていた魔女だ。
あのときとは違って裸にガウン一枚だったせいで気づかなかったが、紫色の杖を構えた途端に漂い始めた、こちらの軽口など許さないような威圧感には見覚えがある。間違いない。
クロウとネフィラが同時に鎌と杖を引くと、彼女は何事もなかったように「入りな」とだけ言い残し、屋敷の奥へ戻っていった。
◇
「噂は聞いとるが、あたしゃ無償ってのが嫌いでね。シャーロンの家にも立ち寄っとるが、おんしゃあがどういう星のもとに生まれたかなんぞ、正直どうでもええ。それでも……何か用かい?」
ネフィラさんはリビングのソファへ腰を下ろすなり、矢継ぎ早に話して私たちの答えを待った。
「金なら後で用意する。それより、シャーロンを元に戻す方法を知ってるなら教えてほしい」
「それができるなら、ベイン家に行った時点でやっとるわい。それに金なんぞいくらでもある。あたしには何の価値もないわ。カッカッカッ」
ネフィラはそう言うと、使用人からキセルのようなものを受け取り、ぷかぷかと煙を吐いた。
「どうしてもって言うなら……そこの金髪パラディン。二、三日あたしのところに泊まっていくなら、考えてやってもええけどのう。ウッシッシ」
「リオン、頼んだぞ!」
「おいっ! 困るぞ! 私はまだ……」
「「まだ――?」」
クロウとネフィラが同時にリオンを覗き込み、いやらしい笑みを浮かべた。
「な、なんだその顔は!」
『グオオオオオン!』
そのとき、屋敷の外から獣の苦しそうな鳴き声が響いた。
「んちっ……商談中だってのに」
舌打ちしながら立ち上がったネフィラだったが、さっきまでのいやらしい笑みはもう消えていた。
そのまま足早に外へ向かうので、私たちも後を追った。
◇
牛小屋に行くと、一頭の牛が藁の上に横たわり、苦しそうに腹を上下させていた。後ろ脚の間からは、子牛のものらしい脚が一本だけ覗いている。
「どうやら難産のようだねえ……可哀想に、獣医が言うには母子共に命は助からないかもと言われてなあ」
ネフィラは先ほどまでのいやらしく強欲な表情は消え去り、悲しそうにそっと牛の頭を撫でてあげていた。
「ん? 難産? 逆子じゃなくて?」
「逆子?」
「私、鳥取にいた頃に似たようなのを見たことがあるんです。子牛の足が変な向きになって、途中で引っ掛かって出てこられなくなってたの」
「「「トットリ?」」」
私自身に獣医の知識があるわけではない。ただ、あのとき大人たちが子牛の向きを直してから引っ張り出していたことだけは覚えていた。
「ネフィラさん、魔法でお腹の中って見られない?」
「見られるが……なるほど、そういうことかい」
ネフィラが牛の腹へ手をかざすと、紫色の光が大きく膨らんだ腹を包んだ。
「……本当だ。前脚が一本、途中で曲がっとる」
「だったら獣医さんに直してもらえば!」
「おい、獣医を呼び戻せ!」
戻ってきた獣医へネフィラが子牛の状態を伝えると、母牛の体力を魔法で保ちながら、引っ掛かっていた脚の向きを直していった。
しばらくして母牛が大きく鳴き、藁の上へ濡れた子牛が滑り落ちる。
一瞬動かなかった小さな身体が、ネフィラに口元を拭われるとピクリと震え、やがて弱々しい声を上げた。
「生きてる……!」
母牛も顔を伸ばし、生まれたばかりの子牛を何度も舐め始める。
ネフィラはその様子をしばらく眺めていた。




