ゲート
◇
『月の姿が天より失せ、夜と日の境を告ぐる鐘が鳴る時、此方ならざる世より来たりし魂が高き処より堕ち、その命を終えん。されば二つの世を隔つ門は開き、迷いし魂を、あるべき世へと誘わん』
「どういう意味ですか?」
「ジェイド坊やの父親が向かった先さね」
思いもしなかった答えが返ってきた。
クロウは父親のことを言われても何も聞き返さず、ネフィラが見せてくれた古文書をじっと読んでいる。
逆子の牛を助けた【報酬】として、ネフィラは私が元の世界へ戻れる可能性を教えてくれている。ただ、肝心の古文書がこれでは、私にはさっぱり分からない。
「ネフィラさん、もう少し具体的に教えてもらえないですか。我々には、その謎を一つずつ解いている時間がないのです」
「せっかちなパラディンだね。それともバカなのかい?」
「新月の零時だ」
「えっ?」
古文書から目を離さないまま、クロウが口を開いた。
「《月の姿が天より失せ》は新月。《夜と日の境》は日付が変わる零時。《此方ならざる世より来たりし魂》は、さつきのことだろ」
そこまで一気に読み解くと、最後の一節を指でなぞる。
「高いところから落ちて命を終えれば、二つの世界を隔てる門が開いて、元いた世界へ帰れる……多分、そういう意味だ」
ネフィラが指を鳴らした。
「御名答!」
「ちょっと待って。今ので分かったの!? しかも死ぬの? ヤバいじゃん」
「そのまんま書いてあんだろ」
私にはさっぱりだったものを、クロウは一分もかからず読み解いてしまった。普段から古い文献ばかり漁っているだけあって、こういうときだけは腹が立つほど頭の回転が速い。
「ただ、一個足りないかなぁ」
クロウは古文書をネフィラへ返した。
「場所が書いてない」
「ほう。じゃあジェイドの坊や。なぜ、アタシがその場所を答えてやらないと思う?」
クロウは今度もすぐには答えず、ネフィラの顔を見た。
「……親父か」
「――続けな」
「親父もこの古文書を知ってた。それで実際に試したんだろ。だからあんたは最初に、親父が向かった先だって言った」
私はそこでようやく、ネフィラが最初からクロウのお父さんの話を持ち出した理由に気づいた。
「でも親父は帰ってきてねえ。死体も見つかってねえ。成功したのか、ただ死んだのか、あんたにも確認できてない」
「場所は?」
「終天崖か天裂峡。そのどっちかだ」
ネフィラはしばらくクロウを眺めたあと、愉快そうにキセルを咥えた。
「父親そっくりのクソガキだと思っとったが、頭の出来も似たようじゃのう」
「褒めてんのか、それ?」
「好きに取れ」
「では、その二つのどちらなのですか?」
リオンが尋ねると、ネフィラは薄ら笑って答えた。
「そこまでは知らんよ。御伽かもしれなけりゃ、死体が行方不明なだけかもしれん。本当に門が開いて、坊やの父親が別の世へ渡ったのかもしれん」
「じゃあ結局、どっちから飛び降りればいいのよ?」
「それを調べるのは、あんたらの仕事じゃ」
新月の零時。終天崖か天裂峡。そのどちらかから飛び降りて、一度死ぬ。
ようやく見つけた帰り道なのに、肝心の行き先は二択。しかも外れたら、帰宅どころか本当にあの世行きである。
「ずいぶん命懸けの帰宅方法ね……」
◇
帰りの馬車では、元の世界へ帰る方法が見つかったというのに、誰も浮かれてはいなかった。肝心の場所が二択のままでは、試してみようにも命が一つでは足りない。
そんな重い空気の中、私は以前から引っ掛かっていたことをリオンに尋ねた。
「ねえ、リオン。ずっと気になってたんだけど、パラディンが受け継いでいる《秩序》って、結局なんなの?」
「難しい質問だな……力ある者が、その力を正しく使うための教え、というのが一番近いと思う。人には欲も怒りもある。それを力のままに振るえば、弱い者が犠牲になる。だから僕たちは、自らを律し、人々を守ることを教えられる」
検事だった私だって、法律も秩序も必要ないなんて思ったことはない。それ自体は私も正しいと思う。
「でも、死神の力は危険だから警戒されるのよね?」
「ああ。死を扱う力である以上、当然だと思う。ただ、知っての通り私が蘇ったことで、今は均衡が取れていると判断され、秩序を守れる範囲内にあるとされている」
「だったら光は? この前、大木を一発で斬ってたじゃない。あれ、人に向けたら普通に死ぬわよね?」
「だからこそ、我々は使い方を律するんだ」
「うーん……」
リオンの言っていることは分かる。死神だろうがパラディンだろうが、人を殺せるほどの力を持っていることに変わりはない。危険かどうかを決めるのは力そのものではなく、それをどう使うかということなのだろう。
でも、それなら一つ分からない。
「じゃあ《生》は?」
「生?」
「私が本当に女神だとしてよ。死神には死を与える力がある。光には秩序を守る力と、そのための教えが残ってる。じゃあ、生の女神って何をするの?」
死んだ人間を蘇らせるのが《生》の力だと思っていた。でも、それならクロウが私やリオンを生き返らせたことの説明がつかない。女神がいなくても、死神だけで蘇生は起きている。
「変じゃない?」
「ああ。確かに三つの中で、《生》だけが何を司るものなのか曖昧だな」
「でしょ? 死と生と秩序。三つあったはずなのに――」
「一つだろ……」
それまで窓の外を眺めていたクロウが、不意に口を挟んだ。
「え?」
「今残ってんのは二つじゃねえよ」
クロウは頬杖をついたまま、リオンを見た。
「まともに残ってんのは死神だけだ。生の女神だって言われてるシャーロンには何の力もねえ。光の秩序だって、シャーロンとリオンは一度死んでるのに今も生きてる。そのうえ、本来できなかった蘇生まで俺ができるようになった」
言われてみればそうだ。
死神はクロウの身体を通して、今もその存在を示している。でも女神は私の中にいると言われているだけで、何の力も記憶もない。リオンたちが守ろうとしている《秩序》にしたって、本来死んでいたはずの人間が二人も生きている今の状態が、本当に正常なのかは分からない。
「神々から見たら、とっくに全部ぶっ壊れてんじゃねーの?」
◇
クロウを降ろしてから、私はベイン家で馬車を降り、従者がそのままリオンを送っていった。
「お父様。生の女神って、結局なんだったの?」
「なんだった、と言われてもねえ……ワシの代でも神様に会ったことはないからのう」
「そういうことじゃなくて。死神は死すべき人を死へ送る。女神は生きるべき人を生かす。だったら、死と生は最初から二人で一つだったんじゃないの?」
お父様は少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「……そうかもしれんねえ。死と生は、本来どちらか一方だけで成り立つものではなかったのかもしれん」
だとすれば、そもそも今の世界は、とっくに均衡を失っていることになる。
死神だけが残り、生の女神はどこにいるのかすら分からない。その女神が本当に私なのだとしても、当の私は何の力も記憶も持っていない。
このまま元の世界へ帰ったところで、女神でも何でもない富永さつきが鳥取へ帰るだけ――なんてことも十分あり得る。
「光の神は、死者が蘇ることで世界の《秩序》が乱れることを恐れた。だから死神と女神を引き離した。それ自体には理由があったのじゃろう。じゃが……秩序を守ることにこだわりすぎて、もっと大きなものを壊してしまったのかもしれんな」
「もっと大きなもの?」
「《理》じゃよ。生きるべき者が生き、死すべき者が死ぬ。誰かが決めた決まりではなく、もともとこの世界にあった自然の流れじゃ」
「……秩序は、光の神や人間が守ろうとしている決まり。《理》は、それより前からあった生と死の流れってこと?」
「そう考えれば分かりやすいかのう。死神と女神は、その流れを勝手に変えていたのではなく、むしろ狂った生と死を正しい場所へ戻していたのかもしれん。だとすれば、二人を引き離したことで《秩序》は守られた。じゃが、その代わりに《理》のほうが歪んだ」
そこで私は、これまで何度も見てきた蘇生を思い出した。
クロエちゃんを生き返らせれば、お母さんが死んだ。
リオンを生き返らせた時も、代わりに母親が死んでいる。
そしてベイン家はそれを知っていたから、シャーロンを蘇らせるために最初から死刑囚を用意した。
私たちはずっと、一人を生き返らせるには別の一人が死ぬ。それが《蘇生の代償》なのだと当たり前のように受け入れていた。
「……待って。だったら今の蘇生って、本当に正しい形なの?」
「ワシにも分からんよ。ただ、一人を生かすために別の一人が死なねばならん今の仕組みを見ておると……そんな気がしてならんねえ」
もし死と生が本来二人で一つだったのなら、今クロウが使っている蘇生は、《生》を失った死神が無理やり一人で起こしている奇跡なのかもしれない。
「……お父様、たまにものすごくまともなこと言うよね」
「たまにとはなんじゃ、たまにとは!」
「普段が普段だから!」
「父親をなんだと思っとるんじゃー!」
……ん、待てよ?
ジェイド家のノクスお祖父様が、いつだったか自分は『光側の人間だ』と言っていた。事実、婚姻関係を辿れば、ジェイド家にもライト家の血はかなり入っている。
それに、ライト家には今も光の力が残り、《秩序》を測るための天秤まである。それでも、光の神そのものを見た者はいない。
一方でジェイド家には、クロウの身体を通して死神そのものが現れている。
そして生の女神に至っては、私がそうだと言われているだけで、何ができるのかすら誰も知らない。
「女神にしても、光の神にしても、クロウみたいに具現化して現れたことってあるの?」
「具現化しているかどうかは知らんし、シャーロンから何かを感じたこともない。ただ、力という意味ならリオンくんも相当なものじゃろう。ライト家では《秩序》を測る時、代々伝わる天秤にその判断を委ねるとも聞いておる」
「ここ数十年……下手したら数百年、神そのものを体感できているのがクロウだけなのか……」
死神と女神は元々対になっていた。それを光の神によって引き離されたのだとしたら――女神は、本当にそれを受け入れたのだろうか。
もし受け入れていなかったとしたら、今のこの世界を見て、女神はどう思うのだろう。




