疑惑
◇
出口まで出ると、白い甲冑は追いかけてこなかった。必死にリオンは謝罪を繰り返し、ベイン家の従者へリオンの親ヒルドラが謝っていた。
どうやら誤作動であったらしい。
私は元検事になって一年足らず。犯罪者を取り扱う仕事をしてきて修羅場をくぐったつもりでいたが、全くもって役に立っていなかったことを痛感した。
馬車の中では恐怖で泣きじゃくり、家につくまでずっとクロウに抱きしめられていた。
◇
だれにも挨拶もせずに部屋に帰ると布団の中にもぐり、ずっとクロウをまぶたの裏側で追っていた。
学校で窓の外を眺めているクロウ。不意にキスをしてきたときの、あの切ないほどの唇の温度。
そして今日、命を懸けて戦っていた猛々しい姿。
何度も何度も反復して追っていくうちに、もう、どうしようもないほどに胸がいっぱいになった。この時ばかりは彼が好きだという感情が、堰を切ったように溢れ出して止まらなかった。
まぶたの裏の彼に完全に圧倒され、目眩のような昂ぶりのなかで激しく心臓を波打たせ、ただ熱い吐息を寝具に吐き出した。涙が滲むほどの情熱に身を委ねきり、やがて嵐が過ぎ去ったかのような深い脱力感のなかで、気づくと朝になっていた。
「私は……彼が……好きなの?」
◇
朝食の時の私はすこぶるスッキリした気持ちでいっぱいであった。
そうか、そうか!私よ!
私は『クロウ』に恋をしたのだな。結構、結構。
恋する乙女と言うのはこういうものか。
初めて経験するこの感情に私の心はウキウキしていたのだ。これから学校にいけばその好きな男に会えるのだ。
馬車の中でも考えていることはクロウのことだけ。
いつもの気の小さい父親が可愛く見え、紅茶の香りが何十倍も芳しくなり、執事やメイドの仕事に対するリスペクト感が以前にも増してすごい!
楽しくて仕方がない!
ああ、なんて幸せなんだろう。
こんなにも景色が美しく見えるものだなんて知らなかった。こんなことをみんな中高生のうちからやっていたのだとするのであれば、私も早くやっておけば良かった。
◇
「おっはよー!諸君」
私はテンションMAXで入るとクロウがいつも通り窓際に座っているぞ。
うん。座っているぞ……座っているぞ……。
なぜだ……さっきまであれだけ滝のように湧き希望に満ちていた勇気が、高速で蛇口は締められて、水滴レベルにまで落ち込んでしまっているではないか。
どうする。どうするのだ。このあとは……。
「シャーロンさん、ちょっと」
そんなことを考えていると、うしろから先生が私を呼ぶ声がした。
「はっ、はい!」
「あと、クロウくんも、ちょっと別室へ」
クロウもだとっ!なんだ!恋する気持ちがバレた?それはいけないことだったのか?
そんなよくわからない妄想に駆られていた。
◇
私たちが通されたのは、普段は使われていない面談室のような部屋だった。
扉を開けた瞬間、さっきまで浮かれていた頭が一気に冷えた。
校長、教頭。その隣には昨日何度も頭を下げていたリオンの父親、ヒルドラまで座っている。
さらにその後ろには、白を基調とした鎧に身を包んだ男たちが数名、壁際にずらりと並んでいた。
昨日襲ってきた甲冑とは違う。ちゃんと中身がいる。
(……いやいや。恋する気持ちがバレた人間を呼び出す面子じゃないぞ、これ)
クロウを見ると、さっきまで窓際でぼんやりしていた顔からは、すでに眠そうな気配が消えていた。
「二人とも、座ってください」
校長に促され、私たちは並んで椅子へ腰を下ろした。
「昨日の件について、改めて二人から話を聞かせてほしい」
ヒルドラさんのその一言で、今度こそ私の浮かれた気分は完全に消えた。
「昨日、我が屋敷で護衛として置いてある甲冑に反応があった。以前から死神を宿したクロウ・ジェイドくんに反応したものだと最初は考えていた」
ライト家の執事が資料をヒルドラさんに手渡した。
「えー、資料によれば、護衛用甲冑の対象はシャーロン・ベインに向かっていったものであり、それをクロウ・ジェイドが応戦、我が息子、リオン・ライトも加勢し対処。屋敷外へと退避した。ここまでは間違いないかな?」
「その前に私とクロウは、何の疑いでここに呼ばれたんですか?」
「疑いというのは――」
「昨日の当事者は三人。私、クロウ、そしてあなたの息子のリオン。なのに今日ここへ呼ばれたのは私とクロウだけ。しかも校長、教頭、ライト家当主に武装した聖騎士までいる。これで昨日の状況を確認したいだけ?なんて説明が通ると思っているんですか?」
「おっお前……どうした?」
クロウが隣で目を丸くしている。
どうしたもこうも何もない。
さっきまでは確かに恋する乙女だったが、これは話が別だ。こんな魔女狩り裁判のようなもの認めるわけにいくわけないだろ。
「何らかの嫌疑を持って私たちを呼び出したのであれば、まずそれを明らかにする。それから話を聞く。当然でしょう?」
「シャーロンさん、少し落ち着いて――」
「校長先生は黙っていてください」
「……はい」
「十二歳の子ども二人を大勢の大人で囲み、何を疑っているのかも知らせず、先に供述だけ取ろうとする。ずいぶんと都合のいいやり方ですね」
腹が立つ。
こんなやり方で話を聞いておいて、あとから都合よく意味づけされたらたまったものではない。
「まずは休廷!」
「……休廷?」
「とにかく、ここから先は一旦中断! こちらも校門で待機している御史と執事を二名、立ち会わせます。それまでは全て黙秘!クロウもいい?」
「おっ……おう……」
◇
そんな私の要求は通ると、話は想像以上に大きくなった。
放課後には学院の体育館が貸し切られ、聖騎士団の兵士たちが周囲を囲み、ベイン家からも御史や執事など数十名が参加することになった。
そしてジェイド家からは、クロウと祖父のノクス・ジェイドさんの二人が姿を見せている。
(いや……私は立会人を呼べって言っただけなんだけど……)
なんでこんな大事になってるんだ。
改めて事情聴取が始まる前に、私は一つだけ確認した。
「私たちを弁護する人は?」
「弁護?」
ヒルドラさんだけではない。周囲にいる人たちまで、不思議そうな顔をしていた。
「疑われている側に立って、代わりに主張したり反論したりする人です」
「なぜ、そのような者が必要なんだ?」
「…………マジか」
その反応だけで十分だった。
どうやらこの世界には裁判そのものはあっても、罪を問う側と疑われた者を守る側に分かれて争うという考え方がないらしい。
「シャーロン・ベイン。最近、何か変わったことはなかったか?」
「いえ、特にありません」
それからも、いつ、どこで、何をしていたのか。昨日の甲冑が動き出す前に何か触れなかったか、変わったものを持ち込まなかったかと、聞かれる内容は単純なものばかりだった。
それはそうだ。今のところ証拠らしい証拠は何もない。極端な話、私が嘘をついたところで、それを立証するものすらないのだ。
(これで何が分かるのよ……)
昨日はあれだけ怖い思いをしたというのに、だんだん馬鹿らしくなってきた。こんな非科学的な裁判ごっこに付き合わされるくらいなら、クロウと教室に戻ったほうがよっぽど――。
「では、実証を」
「……実証?」
ヒルドラさんが手を上げると、壁際に並んでいた聖騎士の一人がこちらへ歩き出した。
腰の剣を抜きながら。
(おいおいおいおい……)
まさか、いきなり処刑?
さすがにそれはないだろうと思いたいのに、白銀の刃を見た瞬間、昨日の光景が勝手に頭へ戻ってきた。首へ落ちてきた剣。目の前で散った火花。馬車に乗ってからも震えが止まらなかった自分。
身体が椅子の背へ逃げるように縮こまり、私は隣のクロウを見た。
助けて――と口にするより先に、目がそう訴えていたと思う。
けれどクロウは前を向いたまま動かない。
(えっ……クロウ?)
聖騎士が私の前で止まり、剣を振り上げた。
ちょっと待って。本当に振るの?
昨日は考える暇さえなかった。でも今は違う。落ちてくると分かっている剣を待つ時間が、こんなにも怖いなんて知らなかった。
「ひっ……!」
剣が振り下ろされ――何も起きない。
痛みも、衝撃もなかった。
恐る恐る目を開けると、剣はすでに下ろされ、聖騎士は何事もなかったようにヒルドラさんのほうを向いていた。
「反応はありません」
「……そうか」
ヒルドラさんの表情から、わずかに緊張が抜けた。
「どうやら問題ないようだ。昨日の件についてはこちらで引き続き調査する。二人とも、時間を取らせてすまなかった」
何が問題なかったんだ!
こっちは昨日殺されかけたうえ、今日は大勢の前で剣まで振り下ろされたというのに、説明はそれだけ?
文句の一つでも言ってやりたかったが、とりあえず疑いが晴れたのなら、それでいい。これ以上ここにいたくもなかった。
結局、私たちは何事もなく解放され、その日の事情聴取は終わった。
ただ、教室へ戻る途中からクロウの様子がおかしかった。
いつもなら私が何か言えば、うるせえだの馬鹿だの一言くらい返してくるくせに、今日は何を話しかけても上の空で、難しい顔をしたまま考え込んでいる。
「ねえ、クロウ」
「…………」
「クロウってば」
「あ? なんだよ」
「いや……なんでもない」
隣を歩くクロウの横顔を見ていると、胸の奥に引っかかった小さな棘だけが、どうしても抜けてくれなかった。
「いや、さっきは済まなかったね。驚いただろ?二人とも」
そこにヒルドラさんがまた現れ、リオンも隣りに控えていた。
「父上が無礼なことをしてしまったそうで、心よりお詫び申し上げます」
そうリオンは言い膝まづいた瞬間、ヒルドラさんは剣に手をかけ私に斬りかかってきた。
「父――」
バチッ――
一瞬だった。
リオンがなにかを言いかけた時には、クロウの身体はオレンジ色に輝き、私を剣から守っていた。
カランッカランッ――
そして、折れた剣は少し溶けていて廊下に転がっていった。
ヒルドラさんとクロウは睨み合っている。
「やはり……疑念は……事実へと変わった……君はそれを知っていたというわけか、クロウ」
「なーんのことだか?俺は殺気を感じただけ!」
「あくまでも白を切ると?」
「おっちゃんもしつこいねぇ?知らねって!むしろ俺が聞きてーつーの!」
ヒルドラは折れた剣を鞘に戻すと、立ち去っていった。




