三冊の絵本
ティーパーティーならぬ、ただの茶会に連れてこられた私は、本を読んでいるクロウを放っておいて、クロエちゃんとジェイド家を探索することにした。
「お兄ちゃんがシャーロンと一緒にいるの、すっごく不思議なんだよ」
「えっ? そんなに嫌われてたの? シャ――私は?」
「うん、大嫌いだったみたい♪」
本人を目の前にしてグサグサくるなー……。悪意がないのが分かるから、何も言えないけど。
クロエちゃんに案内されて屋敷の中を見て回っていると、クロウがよく籠もっているという書庫に辿り着いた。
少しかび臭く薄暗い書庫には、歴史やネクロマンサーの能力について記された本や文献が大量に並んでいる。その中で、一冊だけ棚からはみ出した本があった。
どうせクロウがきちんと戻さなかったのだろう。何気なく奥へ押し込もうとしたところで、なぜか手が止まった。
「これ……私……知ってる?」
慌てて引き抜いてみると、それは古びた絵本だった。表紙をめくり、最初のページを読む。
――――――――――
昔々、この世界には、死を司る神と、生を司る女神、そして世界の理を守る光の神がいました。
死の神と生の女神は愛し合い、二人の力を合わせて、死んだ人々にもう一度命を与えるようになりました。
しかし、それを許さなかったのが光の神です。
「死者が蘇れば、世界の理が壊れてしまう」
死の神と光の神は争い、やがて世界を巻き込む大きな戦いとなりました。
戦いに勝ったのは、光の神でした。
そして生の女神は、愛していた死の神から蘇生の力を奪い、光の神のもとへ行きました。
こうして死の神は愛する女神に裏切られ、二度と人を蘇らせることができなくなったのです。
――――――――――
「知ってる?……私、この本を……」
そんな気がして、もう一度最初から読み返してみる。それでも思い出せない。知っているような気もするのに、私の知っている話とは何かが違う。単なる既視感とも違う、妙な感覚だった。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「ん? そうね、ちょっとこの絵本が気になっちゃってね」
「あっ、クロエも昔、読んでもらったことあるー!」
クロエちゃんは目をキラキラさせながら、嬉しそうに私の手元を覗き込んだ。
「ちーちゃい頃、読んでもらったー! 最後、死の神様と生の女神様がまた一緒になるやつだよね?」
「えっ?」
慌てて最後のページを確認するが、何度読んでも、生の女神が死の神を裏切り、蘇生の力を奪ったところまでしか書かれていない。
「あれー? 違う――?」
「ううん! 素敵なお話だね。そろそろ戻ろうか」
私は絵本を閉じ、クロエちゃんを連れて書庫を出た。
◇
その日、私はクロウに頼んで、見つけた絵本を借りて帰った。
屋敷へ戻る途中で少しずつ思い出してきたのは、生前最後の日のことだった。確かバーで、これによく似た絵本をチラッと読んでいる。ただ、肝心の内容がどうしても思い出せない。
「おや、シャーロン。随分懐かしい絵本を読んでおるねえ」
「あっ、お父様。この本をご存じで?」
「知っているも何も、よく母さんに読み聞かせてもらっていたじゃないか」
「うちにもあるの?」
お父様が持ってきた絵本は、ジェイド家から借りてきたものとよく似ていた。二冊を並べてベイン家の絵本を開いてみると、最初に書かれていたのはほとんど同じ話だった。
生の女神と死の神が愛し合い、二人の力で死者を蘇らせた。それを光の神が許さず、死の神との戦いになり、最後には光の神が勝つ。
「やっぱり同じ……」
そう思いながらページをめくっていた手が、途中で止まった。
――――――――――
光の神は、敗れた死の神とその一族をすべて滅ぼそうとしました。
「お願いです。あの人たちの命だけは奪わないでください」
「ならば私の妻となれ。そうすれば、彼らの命は助けよう」
生の女神は愛する死の神を守るため、その願いを受け入れ、光の神のもとへ行きました。
こうして死と生は引き離され、二人が起こしていた蘇りの奇跡も、世界から失われたのです。
――――――――――
「……違う」
私はジェイド家から借りてきた絵本を開き、二冊を並べた。
三人の神が登場し、死の神と生の女神が愛し合い、光の神との戦いに敗れるところまでは同じなのに、肝心の結末がまるで違う。
ジェイド家では、生の女神は死の神を裏切って蘇生の力を奪ったことになっている。しかしベイン家では、死の神とその一族を守るため、自ら光の神のもとへ行ったことになっていた。
「同じ話なのに……なんで?」
検事だった頃なら、証言が食い違えば証拠を探せばいい。だが、これは何百年も昔のおとぎ話だ。本人たちを呼び出して事情聴取するわけにも――
「……あ」
一人、いるじゃん。
死者を呼び出せる、とんでもないクソガキが。
いやいや、流石に神様まで呼べるとは思えないけど……。
そこで、ふとクロエちゃんが言っていたことを思い出した。
『最後、死の神様と生の女神様がまた一緒になるやつだよね?』
私はもう一度、二冊の最後を確認した。
ジェイド家では、女神に裏切られたところで終わっている。ベイン家も、二人が引き離され、蘇りの奇跡が失われたところで終わっている。
どちらにも、二人が再び一緒になるなんて書かれていない。
「じゃあクロエちゃん……何を読んでもらったの?」
漠然とした引っ掛かりを感じていながらも、それ以上のことは分からず二冊の絵本をカバンへ入れた。
◇
翌日、学校に行くと様子が変わっていた。
「ねー、昨日リオンくんに何したの?」
「あの後、シャーロンと何かあったの?」
教室に入ると、クロウの周りだけ綺麗に反応が二つに分かれていた。相変わらず怖がって近寄ろうとしない生徒がいる一方で、昨日の一件が気になるのか、遠巻きに様子を窺っている生徒もいる。
当の本人は特に饒舌に語ることもなく、いつも通り窓の外を眺めているだけだ。
「なんか……ああして見ると格好よくない?」
「分かる。喋らないのも逆にいいかも」
特に女子からの評価が爆上がりしていた。
(いやいやいや、昨日まで散々怖がってたじゃん!)
クロウが怖がられなくなったのだから、喜ばしいことのはずだ。それなのに、女子たちがクロウを見ながら楽しそうに話しているのを聞いていると、なぜか少しだけ面白くない。
「クロウって、近くで見ると結構――」
(……別に、近くで見なくていいんじゃない?)
そこまで考えてから、自分でも何を言っているのだと呆れた。
私はこの世界に骨を埋めるつもりなんてない。元の世界へ戻れれば、ようやく掴んだ検事の仕事にも戻れるかもしれないし、聖人さんとのことだって、まだ何も始まらないまま終わっている。
それなのに、十二歳のクソガキを誰が近くで見るだの見ないだの、私には何の関係もないはずだ。
「……やめよう。また思い出す」
◇
そんな悶々とした頭を抱えたまま放課後を迎えたが、今回はベイン家の人間であることに感謝した。
馬車なら、誰にも聞かれずクロウと話ができる。
「それで、昨日見つけたのがこの二冊なんだけど」
向かいに座るクロウへ絵本を渡すと、意外にもすぐにページを開いた。
「女神ってのは、お前んとこの家系の話なんだよ」
「えっ? うち女神?」
「ああ。ベイン家なら知っているはずだ。そのあたりは親にでも聞けば分かる。ただ、結末が違う絵本があるのは俺も知らなかった……」
クロウは二冊を膝の上に並べ、一ページずつ見比べていく。
「違うのは結末だけじゃない」
「えっ?」
指差された最初のページを覗き込んだ。
「こっちは女神から話が始まってる。でもジェイド家のほうは死神からだ」
「あっ、本当だ」
言われて初めて気づいた。
描かれている出来事はほとんど同じなのに、ベイン家の絵本では女神が、ジェイド家の絵本では死神が物語の中心に置かれている。
「でも表紙は同じだよ?」
「ああ」
クロウは二冊を閉じ、同じ絵が描かれた表紙を並べた。
「誰が、何のために同じ話を二つに分けたんだ?」
「…………」
そこまでは考えてなかった。流石、普段から本ばっかり読んでるだけあるな、このクソガキ。
……ん?
私は二冊の表紙を眺めているクロウの横顔を見た。
普段はあれだけ適当なくせに、本を読んでいるときだけは妙に真剣だ。そう思ったところで、今朝女子たちが話していた言葉が余計なところから戻ってきた。
『ああして見ると格好よくない?』
……だから何だというのだ。
私には検事として戻りたい人生があって、聖人さんとの話だって途中で終わったままだ。十二歳の横顔を真面目に品評している場合ではない。
私はクロウから絵本へ視線を戻した。
(それより、この本だ。……ん? クロウ?)
ジェイド家は死神。ベイン家は女神。
「待てよ……なら三冊あるってこと?」
クロウも同時に何かに気づいたらしく、顔を上げた。
「さつき! お前、ビンゴかもしれねーぞ」
「「リオン・ライト」」
私たちの声が綺麗に重なった。
◇
名門ライト家の屋敷は、ジェイド家とは反対方向、ベイン家を越えたさらに先にある。
まずは一度ベイン家へ戻り、お父様にこれからライト家へ行きたいと話してみたものの、案の定いい顔はされなかった。
「こんな時間にかい? 明日じゃ駄目なのかい?」
「あらそう。じゃあ今日は帰らないでジェイド家にお泊まりして、明日の朝一番で向かうわ」
「ええ! そんな困らせないでおくれよぉ、シャーロンよお」
自分でもよく分からない理屈でお父様を押し切り、先触れ代わりの手紙を一筆書いてもらうと、そのままクロウとライト家へ向かった。
到着した頃には日もだいぶ傾いていた。
「……でかっ」
馬車を降りて最初に出た感想がそれだった。
ベイン家とジェイド家を足して、さらに二倍にしたくらいはありそうな屋敷が目の前に建っている。流石はパラディンを代々輩出してきた名門というべきか、門から玄関までですら、ちょっとした散歩になりそうだ。
出迎えた従者へお父様の手紙を渡すと、程なくしてリオン本人が姿を見せた。
「ようこそ、シャーロン。それにクロウ。二人が訪ねてきてくれるなんて光栄だよ。昨日のことは昨日のこと。せっかく来てくれたんだ、今日は僕に二人をもてなす役目を譲ってくれないかな?」
昨日クロウに負けたばかりだというのに、そんなことは微塵も感じさせない笑顔だった。
流石はライト家の御曹司。こういうところだけ見ていれば、本当に絵に描いたような王子様である。
「杓子定規な挨拶は抜きにしましょう、リオン。それより、これを見て」
私は早々に挨拶を切り上げ、持ってきた二冊の絵本を差し出した。
リオンは少し面食らったようだったが、表紙を見るなり「ああ」と懐かしそうに目を細めた。
「これなら昔、私も読んだ記憶があるよ。母上だったか乳母だったか……随分幼い頃だから、内容まではよく覚えていないけれど」
「やっぱり! なら、ライト家にも同じ絵本がある?」
「あると思うよ。確か書庫に――」
そこまで答えたところで、リオンは二冊あることに気づいたらしく、重ねられた絵本へ視線を戻した。
「……どうして同じ本を二冊も?」
「それが同じじゃないのよ」
私とクロウはそれぞれ一冊ずつ手に取り、結末のページを開いてリオンへ見せた。
片方には、生の女神が死の神を裏切った話。
もう片方には、死の神を守るために生の女神が光の神のもとへ行った話。
リオンは二冊を交互に見比べるうちに、先ほどまでの柔らかな笑みを少しずつ消していった。
「……確かに違うな」
「それでね、ジェイド家が死神、ベイン家が女神なら――」
「ライト家には、光の神から見た話が残っているかもしれない、ということか」
「そういうこと♪」
流石、話が早い。
リオンはもう一度二冊の表紙を確かめると、近くに控えていた執事を呼んだ。
「この絵本と同じものが書庫にあるはずだ。探して持ってきてくれないか」
「かしこまりました」
執事を見送ったリオンは、改めて私たちへ向き直った。
「見つかるまで少しかかるだろう。立ち話もなんだ、中へ入って待っていてくれたまえ」




