↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
特別のその日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
98/115

【夜明けを祝福したあの日】


ガルドがのっそりと浴室から出れば、ルシアンはソファで、今日借りてきた本を眺めていた。

背表紙を見ると、"怪談集"の文字が見える。


――急に気が抜ける。守備範囲が広いな……、とガルドの背ががくりと落ちた。


「あ、ガルド、見て、この本に"逆さ村"が載ってるんだ」

「ああ?……こっちはまだ頭も拭いてねぇよ」


まだ湯気の立つ護衛を呼び寄せ、ルシアンが本のページを傾ける。

楽しげな表情に、――ガルドも、わずかに口角が上がった。がしがしと頭を拭きながら、そちらへ歩み寄る。

ルシアンが座るソファの背に手をかけ、開かれたそのページを覗き込む――瞬間に、ふっと甘い香りがした。


――ひく、とガルドが硬直する。


香膏だ。

――ルシアンに嗅がせた柑橘の方とは別に、……黙って、こっそり選んでいた方。

くどくない、穏やかなベリーの……けれど甘い香り。


あの贈り物の袋に、二つ一緒に入れてもらっていた……やつ……。


「……、お前……」

「うん?」


振り返った顔はにこりと微笑んでいて、けれどガルドの視線が自分の口元に留まっているのを見て、こちらも「あっ」といった表情をする。


「香膏、使わせてもらったよ。二つも選んでくれてたんだね。こちらもいい香りだよ、ありがとう」

「……あ、ああ……」



――思わず、ガルドの喉が鳴りそうになった。

油断をした。……日用品だと、油断をした。香油と被らないようにと贈った。

装飾品では過分だろうかと、消耗品にした。だが、……こちらのほうがまずかった。


――うまそ……、いや……地面に突っ伏したい。



「……お前、そっちのやつ、外出る時はやめとけよ。寝る時だけにしろ」

「え?うん、わかった」


それを言ったきり、ガルドは向かいのソファに移動していった。乱暴に座り込んだのは、逃げが半分。後悔も半分。しかし認めてよいものか、胸中のどこかに、"満足"もいる。


……逆さ村とやらは、今はもう見る気にはなれない。自分で自分の罠を増やした気分だった。

クッションの沈みと同時に、ガルドもじわじわと沈んでいく。


(……なに言ってんだ、俺……)


寝る時だけにしろ?――どういう理屈だ。どの立場だ。っていうかこう、正直完全に食らった。

先ほどのような、なかなかの至近距離でないと匂いを感じないのはまだいい。まだいいが、もし今後添い寝……っが、常態化した場合……その"至近距離"で食らうのは間違いなく自分。

……いや、しねぇか……添い寝の常態化は可能性に入れなくても……、……いやわかんねぇか……。

――護衛、久々に鋭意混乱中である。


「……――ッ……」


声にならない呻きが、喉の奥で溶けて消える。

顔を見られないように、額を抱え、背もたれに頭を預ける。

――見ない。あいつの顔は見ない。一定の距離確保。深呼吸禁止。


けれど、気配は感じ取ってしまう。

ページをめくる音。紙面を滑る指先。微笑みが滲むような呼吸。


ついさっきまで"ただの贈り物"だったはずの香膏が――何故"地獄の香り"に……。


(……うまそうは、まずいだろ……)


よくよく考えれば、唇に触れるものだ。何を選んでいるんだ俺は。

よくよく考えた結果、アウト寄りのアウトだ。そりゃもうアウトだ。

だのに目の前で、当の本人はそれを纏って、平然と笑っている。


(…………)


クッションにうずくまりたくなる衝動を必死に抑えながら、ガルドは死んだような顔でソファに沈みきっていった。




「……?」


――ちらり、と、怪談集から顔を上げたルシアンが、向かいのガルドを見やる。


風呂上がり、何やらソファに沈み込み、急停止してしまった護衛。

昼から今にかけて、……急に誕生日だなんだという話になって、疲れさせてしまっただろうか、と。


――とはいえ、とルシアンが怪談集を閉じる。


誕生日を祝ってもらえたのは、いい。

正直嬉しい。……が、引っかかるところがないわけでもない。


(……私は、君の誕生日も知らない)



張り合うわけではない。けれども、それだけが、ほんの少し悔しかった。

このぶっきらぼうな護衛のことだ。きっと、教えるまでもない、とでも思っているのだろう。

とん、と間にあるローテーブルに本を置き、肩にかけたストールの端をたぐる。


「……それで?」

「……あ?」

「君の誕生日はいつなんだい?私にも祝わせてくれるんだろうね?」


あくまで軽やかに繰り出されたその言葉に、ガルドが背もたれから、やや、頭を上げた。

――片眉が吊り上がり、次に目を逸らされる。

……短くため息を、ひとつ。


「……、……ってる……」

「え?」

「……もらってる、もう」



返された言葉に――今度は、ルシアンが固まる番であった。


銀の瞳が、……その手元にいく。護衛の左手には、控えめに光を返す、腕輪。


「…………」

「…………」


――そろり、と、ガルドがその手を静かに引っ込めた。



「……ベルミードで、君、誕生日だったのかい?」

「…………まぁ……」

「……いつ?」


静かに、穏やかに問いかける声は、尋問――というには優しい声色だったが、質問というには、温度がなさ過ぎた。

その表情も、かすかに笑みは湛えているが、……"知らなかったよ?"が滲んでいる。


「…………」

「……ガルド」


静かなルシアンの声に、すぐに返事は返らない。

けれどしばしの沈黙ののち、何事かを観念したような小さな舌打ちがひとつ。



「……、……黎明讃座(れいめいさんざ)で……」

「黎明讃座……」



ルシアンの脳裏に、その景色が、まざまざとよみがえった。

夜明けの回廊。……朝を祝福する神殿。

誰かの祈りを受けて淡く光る石板。それを守る石像たち。

高く造られた採光の窓。そこから差し込む黎明の気配。


"ひとつひとつの朝が、終わらぬ夜を越えてきた証でありますように"


石板に浮かんだ、そんな祈りの文も。



だが目の前の護衛は、一人でこっそりとそれを受け取って、自分が生まれた日をそれで良しとした。

今もなぜか、バツの悪そうな顔で、ふてくされたように座っている。


恥ずかしいだとか、祝わせてくれないのではない。

――どうでもいいとすら思っているのだろう、と、合点がいった。


「……そう」

「…………」


知っていれば、腕輪やポーチにも、もっと意味を持たせられた。

けれど、彼は「黙っている」を選んだ。


――隣にいたのに、だ。



「……よくわかった、ガルド」

「……あ?」

「君が自分を"どうでもいい"と思っていることがよく分かった」



初めて聞いた雇用主の強い口調に、――びた、とガルドが止まった。

雲行きが怪しい。ルシアンが俯いていて、目が合わない。

脳内の警鐘が鳴る。いけない。まずい。そんな焦燥が襲い掛かる、が。


「――来年は絶対に祝う」


まるで断罪でもするような声音で、じろり、とルシアンが目線だけを向けてきた。

……合っていない。言葉の内容と顔と声色が、全然合っていない。


「それまでに、君がどれほど大切かを認識してもらう」

「っ……は、ぁあ?……」

「せいぜい、来年の誕生日までに欲しいものを考えておくといい」


最後に、冷たい笑顔とともにぴしゃり、とそう言ったっきり、ルシアンはさっさとベッドに潜り込んでいってしまった。


呆然と、ガルドがその背を目で追う。


「っ……っ!?……!?」


目はその背を追っている。追ってはいるが、理解はできていない。

怒られたのか。

叱られたのか。

喧嘩を売られたのか。

いや、だが、いや、でも、と、頭もまったく追いつかない。


――何を言われたんだ、俺は、と。


混乱極まる胸中を抱えたまま、目線だけが泳ぐ。鋭意混乱中ではあるものの、頭には実務も滑り込んでくる。

寝るのか。なら部屋の灯りを落として、明日は何時に起きるんだ。明日……、明日の予定は何なんだ。いやでも怒っているから聞けないか、え、何で怒って……?


(来年……な、なん……?俺をか……?)


一語ずつ反芻するたび、焼きつけられたようにじわじわと効いてくる。

それは、"来年も一緒にいる前提"だ。……何かが、喉の奥で苦く弾けた。


(……はっ……)


あれは、怒っている顔だったか。初めて見た、むしろ、……悔しかったのか……?


たかだか護衛の誕生日を知らされていなかったことが?

黙っていたことが?

言う必要などないと、こちらが構えていたことが?


ベッドからは、もう何の物音もしない。すっかり拗ねているのか、何の気配もくれない。

だからガルドはしばし、夜の部屋の中で身じろぎもせず、ソファに座っていた。

けれど──、



「……。……来年、な」


ぽつりと小さく、返す。……けれど、自分に返したのかもしれなかった。



しばらくののち、ようやく腰を上げ、ガルドは黙って自分のベッドへと向かった。


明日も、共に歩くために。

──今日の続きの、来年のその日を、ちゃんと迎えるために。






――【夜明けを祝福したあの日】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。