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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
特別のその日

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【いつか終わりが】


いつもより少しだけ大股で歩く護衛を、ルシアンは少々足を速めて追いかけた。

「ったく」などとぼやく声が、ちらりと聞こえていた。



今日は、自分の誕生日である。

それを隠していたわけではなかったが、――思い出そうとすらしなかった。

毎年家族に祝ってもらってはいたが、旅に出ればそれも遠くなる。だから意識から抜けていた。大したことではないと思って。


ガルドとも、そんな会話をしたこともない。現に、彼の誕生日だって、知らないのだ。




足早に歩いていく護衛は、まるで怒っているかのような背中で、けれども怒っているわけではないのだろうということは、その眼差しから窺える。

あれはいつもよく見る、――言うなれば、"やれやれ"に近い感情だろうと思う。



雑貨屋の軒先で、何やらを手に取り、匂いを嗅ぐ後ろ姿を見やる。

指先で「来い」とされ、隣に行けば、小ぶりな錫(すず)の容器を面前に掲げられた。


「これ匂いどうだ」

「えっ」


言われ、ルシアンがその容器に鼻先を近づける。

中身は、香膏(こうこう)。唇や指先を保湿するための日用品だ。

落ち着いた柑橘の、深く、すっきりとした香り。


「……うん、いい匂いだね」

「そうか」


頷いたガルドが、きち、とふたを閉じ、それを店主へ返す。

その後、二、三言のやりとりののちに、小さな包みがガルドへ手渡された。

それをそのままルシアンへ。


「……ほらよ」

「ありがとう……」


ああ、と短くぶっきらぼうな返事だけで、ガルドがまた歩き出した。

後を追う。宿へと向かう帰り道。――今度は、歩幅が、ゆっくりだった。




風にさらさらと包み紙が鳴る。手の中の小さな重みと、淡く残る香り。

ルシアンが視線を落とせば、包みの封と一緒に小さな押し花が貼りつけられていた。


先ほど見た、シンプルな錫の容器。

変に残るでもない、実用性の高い消耗品。飾らない無骨なその選択が、どこか――ガルドらしかった。



護衛はもう、何も言わない。先を歩きながら、ちらとも振り返らない。

だが、足取りはさっきまでとはまるで違い、緩やかで、一歩踏み出せばすぐに肩が並んだ。


ルシアンの視線が、その横顔をひとつだけ見上げる。

ちろ、と目の端で見返してきたガルドも、すぐに目を逸らし、前髪をかき上げながら小さく唇の端を引いた。


街の喧騒は遠のき、宿までの道に、二つの影が静かに伸びていく。


ふふ、と小さく笑う声と、鋭く舌打ちをする音だけが、ふたりの間に交わされていた。






宿へ戻り、夕食をとり、ルシアンが入浴を終え。

入れ替わりで、すっかりと疲れ切ったガルドが風呂へ。



(――びびった、今日は)


浴室に入りながら、ガルドが深く息をついた。

出所不明の手紙が来た時も身構えたが、それが実の兄からで、しかも誕生日ときた。


熱い湯を被る。石鹸を泡立てて、体を洗う。


……かろうじて、なんとかなった。

贈り物の香膏も……まぁ、日用品として使えるものだ。

距離感としても、おかしくなかった。――はずだ。


(……、……兄貴な……)


――ごく自然に、ルシアンから説明されたそれが、頭をぐるぐると回る。


家族だ。彼を"ルシ"と呼ぶ者たち。

当然ながら、大きな隔たりを感じる。

当然ながら、その素性も知っていて、自分の誕生日を忘れるということも知っていて、昔の彼を知っている。


……当然だ。家族なんだから。



(あの文面じゃあ、家出とかそういうんじゃなさそうだった)



――『旅は楽しんでいるか。たまには連絡を寄こしなさい。』


「…………」


認められて旅をして、帰りを待つ者たちがいるのだろうか。



……帰る場所があるということは……。


いつかはこの旅が終わるということだ。



ひやり、と背筋が冷たくなった気がした。

ただいま、楽しかったよ、とあいつはいつか家に帰り、――では――。


(……俺は……?)


湯気の立ちこめる浴室で、しん、と音が消えた。


浴槽に、ガルドが静かに身を沈める。

肩まで湯に浸かっても、冷えたのは背中の奥で。

いつもなら、すぐに湯が沁みてきて、緊張も溶けていくのに。


――今日は、違った。


(……いつか……旅が、終わる)


その言葉が、どうしようもなく重く響く。

まるで、いつか来る"当たり前の終着点"を、はじめて突きつけられたようだった。

追われて素性を隠しているとか、逃げて来たとか、捨ててきたとか、そうではないのだ。



あいつには、帰る場所がある。

誕生日を忘れていても手紙を送ってくれるような、構いたがりの兄貴がいる。

きっとそこが、あの魔術師の、帰るところで――、


――じゃあ、俺は?



(雇いが終わったら、どうすんだ――俺は)



ぽつり、湯の音が鳴った。

急に、足元が空になったような気がした。

指の骨が軋むほどに、力が入っていた。


いつの間にか、隣にいるのが"当然"になってた。

旅路も、飯も、朝の香りも、笑顔も、声も――全部が、当たり前の"日常"になってた。


(それが……終わるかもしれねぇ、ってのに)


不安、なんてものではない。

怖いとか、そんなのじゃない。


「……耐えられんのか、俺……」


吐き出された言葉が、湯気に吸われていく。行き先は、今のところ、ない。


窓から外を見上げれば、月はなかった。






――【いつか終わりが】

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