【今日という日】
ガルドが目星をつけていた店は、骨付き肉や煮込みを専門にした料理屋で、木目を焦がした無骨な看板を下げていた。
店内は暖かで、職人や文官の姿もちらほらと見える。賑わってはいるが、静かに昼食がとれそうだった。
奥の席へとふたりを案内しながら、給仕がメニューを手で示す。
「今日は鹿の赤身肉の香草シチューと軟骨のこってり煮を出してます。骨付きは豚ですね」
にこり、とルシアンが頷いたのを見て、ガルドが手早くそれらを頼んだ。
卓の上に置かれた水のグラスに、互いに手を伸ばす。
「そうだ、書庫でね、逆さ村という伝承を目にしたよ。泉に村が映るんだって」
「……なんだそりゃ」
「あとはね、風花の窪地。どちらもここから遠いから、すぐには行けなさそう」
銀の瞳を細めて、穏やかに笑う声。
それに肩をすくめつつ、重なる旅の予定に、存外まんざらでもなさそうな護衛。
料理が来るまでの束の間は、穏やかな店内に合わせた、静かな時間が流れていった。
やがて、湯気をたてて運ばれてきた皿が、ふたりの間に置かれる。
深皿には鹿肉の赤身がごろりと沈み、香草と根菜がほろほろに煮込まれていた。
もう一皿には、ぽってりと艶のある軟骨煮。骨のまわりのゼラチン質が、スプーンで崩れるほど柔らかい。
どちらともなくスプーンをとり、無言で一口。
香りも深く、舌の上でほどけるような肉質。臭みもない。
「……んめぇな」
「うん」
ぽつりと呟いたガルドの一言に、向かいのルシアンが嬉しそうに頷いた。
食事を進める手つきは、いつも通りの落ち着き。けれど、書庫で仕入れてきた旅路の候補に、浮き立っているような仕草も混ざる。
「……風花のなんだかってのは、なんだ、谷か?」
「うん、そのようだね。谷底が落ち葉と花でいっぱいだとかで……」
頷きながら、ルシアンもパンをちぎる手を止めない。
書庫で得た情報を口にするほどに、どこか楽しそうな銀の瞳に、ガルドの眼差しも凪いでいく。
「近くに寄ったときにでも行ければいいな。逆さ村は場所まではわからなかったんだけれど」
「……泉に映る村ねぇ……。それ怖ぇやつじゃねぇのか」
「え……」
わずかに肩を引いたルシアンに、くつ、とガルドの眉間の皺が緩んだ。湯気がふたりの間を漂い、香草の匂いとともに鼻腔をくすぐる。
卓上の鍋から骨付きの肉を掴んで引き裂けば、骨が音を立てて外れる。器用にそれを皿の端に避けながら、赤い瞳が正面を見た。
「……こぇーのは苦手だもんなぁ?」
「そん、……なことないけど……」
返ってきたかすかな睨みに、ふっと鼻で笑って、ガルドがスープをすする。
湯気の向こうで揺れる銀の瞳が、まったくもう、と笑いながらも、どこか遠い場所を夢見ているようだった。
そんな顔を見ると、やはり止める理由などなくなる。
どこへ行くとも、何を探すともわからないこの旅路。
それでも、隣で見ていたいと思ってしまう。
(……まぁ、行くならついてくだけだな)
まだ楽しそうに、窪地の話を続けているルシアンを見て――、
――ひた、とガルドの手が止まった。
ああ、……ああ、そうだな。行くなら、ついてく。
隣にいたい、願わくば。
……知れるのならば、やはり、知りたかった。
――少々の、沈黙。からん、とまた、骨が皿に置かれる。
「……なぁ」
「うん?」
「……、……さっきの手紙、……あれ、なんだった」
言いながらも、ガルドは続ける言葉を迷っていた。
深く立ち入れば、きっと笑ってはぐらかされる。……けれど、全くの見ないふりも、もう無理だ。
「……言えねぇやつなら、いい」
最後に引かれた言葉は、せめてもの防衛線。
まだここなら引き返せる、の――言葉だったが。
「ふふ、なんか気を遣わせてるね?」
けれど軽やかに、まるでそれすらも許すかのように、正面から笑い声が返ってくる。
つい、とガルドが、半ば驚いたように視線を向けた。
「多分、なんでもない手紙だと思うけど」
皿にスプーンを置き、その手は本当になんでもないことのように、椅子に提げていた革鞄から件の封筒が取り出した。
ぎくり、護衛の心臓が鳴る。いいのか、なんか、そんな簡単に、と。
「封蝋がないってことは私信だよ。こんなことをするのは――兄くらいだね」
「――は……」
そんな言葉とともにさらりと取り出された便せんも、また無垢な白いものだった。
ガルドから見える裏側、店内の灯りに透けて見える文面は――そこまで文字量もない。
しかし、その便箋の中身を見ていたルシアンの目が、すぐに丸くなり、
「あっ」
小さく弾ませるような、そんな声をあげた。――びく、とガルドの肩が揺れる。
銀の眼差しが、驚き……のような色を保ったままに、ガルドに向けられた。
「……今日誕生日だった……」
「…………あ?」
――両者、停止――。
「……たん……なに、誰が……?」
「私が……」
「わた……」
まったくもって予想の斜め上どころか真上から降ってきたような一言に、……昼時の喧騒すら、止まったように思えた。
ガルドは口を開けたまま、言葉の意味を確かめるようにルシアンを見……いや、目が逸らせない。
笑ってる。笑ってやがる。……悪びれるでもなく、本当に「気づいてなかった」顔で。
「てめ……本気で言ってんのか……?」
ぎち、と椅子が鳴ったのは、ガルドが身を乗り出したからだった。返ってくるのは、誤魔化すような小さな笑みだけ。
とんでもないその様子に、――もはや、天を仰ぐしかない。
「……っ、バカかてめぇ……」
「すっかり忘れてたよ……」
「……すっかりって……」
うわ言のように呟いたガルドの手は、卓の上で止まったままだ。
意識の全てを思考へもっていく。誕生日だと。んなことあるか。どうする。何か買うか。
いや今から?た、誕生日祝い……?当然用意してない。そんなそぶりもなかった。そもそも、本人が忘れてた。
(なん、何で俺が、こんなに焦ってんだ……)
行きついたのは、至極当然の帰結。だが冷静になるには至らない。何故なら焦っているためだ。
誕生日だ。――特別な日だ。そうと知ってしまった以上。
(……なにか、だな……)
天井を睨んでいた赤い瞳が、一度だけ、深く閉じられた。
そのあとで、がり、と椅子を引く音。
「……食ったら、ちっとだけ付き合え」
まるで怒気でも孕んでいるかのような声音に、銀の瞳が丸くなる。
けれど、すぐに目は細められ、困ったように笑うだけ。その笑顔にまた、喉が詰まりそうになる。
"そりゃめでてぇな"の一言すら、うまく出てくる気配がない。
だったら、せめて――何か、形で。
ガルドは、食べかけの軟骨煮に目を戻し、もう一度だけ、湯気をまとった一口を運んだ。
……こってりとした味が、なんだかやけに沁みた。
店を出て、改めてルシアンに見せられた手紙には。
――『旅は楽しんでいるか。たまには連絡を寄こしなさい。
それと、誕生日おめでとう。忘れているだろうがな。C』
の短い文のみがあった。
私信や誕生日祝いというよりは、……もはや業務連絡のような簡潔さ。
「……この"C"ってのは……」
「次兄のクラドリックだね。ひどい構いたがりなんだ」
ぎく、と再びガルドの肩が揺れる。
ルシアンの口から――名前が出た。家族の名前が。しかも次兄。
「……お、前……三男坊か」
「うん」
――答えやがった……と、ガルドの視線が、泳ぐ。
何故答える。素性は、隠していたんじゃなかったのか、と。
そうしてつい、脳裏に浮かんでしまう。
もしこいつが名のある家の出ならば、"三男ルシアン"と"次男クラドリック"、これをたどれば、素性に行きついてしまうのではないかと。
……ならば、いつだったか、カドゥルでぽろりと零れた"アドリ"も、……もしや。
「…………しねぇ、けどよ……」
「うん?」
「いや……」
ガルドの脳内は、ぐるぐると渦を巻いていた。――クラドリック。次兄。三男。長男もいる。
つまり、あいつには――兄弟がいる。家がある。帰る場所がある。
なのに、今は隣で、小さく首を傾いでこちらを見上げて。
「……なん、で、言うんだよ……」
思わず漏らした声に、隣のルシアンがまたにこりと笑う。その仕草に、ぐ、とガルドが顎を引いた。
そんなのまるで、……まるでもう何も隠していないかのようで……いや……、……視線を逸らす。口を閉じる。
がり、と頭をかく。
――とにかく、今は誕生日だ。
「……なんか、あるか、欲しいもん」
「ええ……?」
ぶっきらぼうに訊いてから、すぐ後悔した。なに言ってんだ俺は、ヘタクソか、と。
だがもう、いちいち言い方にまで気を回すほどの余裕がどこにもない。誕生日もそうだし、兄貴もそうだし、素性もそうだし、それでもこうして横で笑っているのもそうだ。
ガルドの拳が、無意識に締まる。
「……なんかは、あんだろ。そんで……ちゃんと祝わせろ」
ぽつりと落とされた言葉は、取り繕うのをやめたように不器用だった。
もうどうしようもない。どうしようもないが、今日というこの日に、彼の隣にいるのは他の誰でもなく、手紙の家族でもなく、自分で。
ならば、"俺が"、という形で何かを渡したって――誰も文句など言えないだろう。
(……そんくらい、勝手したって、いいだろ)
ガルドの視線は、街の先へ向けられていて、――意識だけは、隣の気配をずっと拾っていた。
「…………」
――欲しいもの……。
そう言われ、ルシアンは、……はて、と思考が止まっていた。
目の前の護衛は、相変わらずの渋面で街を見回している。
なにかを考えてくれている。自分ですら忘れていた誕生日のために。
……口元が、少し緩んだ。
「ふふ、いいのに」
「……いくねぇんだよ」
笑えば、眉根を寄せたしかめっ面が返ってくる。それが余計に、この笑みを深めた。
欲しいもの……。再度、顎に手を当てた。元より、物欲はそこまでない。
あるとすれば、美しい景色、不思議な場所、珍しい魔獣、美味しい食べ物。
楽しい日々、信頼のおける人間、その人間からの信頼。
望んだ旅も、"ルシアン"でいられる場所も、自分のままでいられる毎日も、全て、ある。
「……欲しいもの、全部あるなぁ、ガルド」
「……ああ?」
「全部、君がくれてるよ?」
「……ふざけてんのか、お前」
低く漏れたのは、息が詰まりそうな、しかし呆れたような声だった。怒気のような色はない。
わけがわからないほどの感情が喉元につっかえて、どう言葉にすればいいかわからないだけ。――手のひらで、眉間を覆う。
「……じゃあ、もうやるもんねぇじゃねぇか」
自分でそう続け、自分でその意味に被弾する。隣で可笑しそうに笑われているが、じゃあそのゴキゲンも、俺がくれてやってるってか、と……ガルドの胸がどこか疼く。
(欲しいもんが、もう全部ある……?)
(…………)
(……俺……)
――は、その中に入っているのだろうか、なんて、……思考が危険なほうに滑りそうになり、ガルドはそれを遮るように早足で前に出た。
肩越しに、一度だけ後ろの淡紫に振り返る。眼差しで、"来い"をして。
「……んなら、勝手にする。文句言うなよ」
そうして前に向き直ったまま、拳を握った。返ってくる返事は聞かない。
今はもう何が劇物になるかわからない。すでに後ろの柔らかな足音が、その劇物に近い。
耳に、少しだけ軽やかな笑い声も聞こえた。
「……くそ……バカだろマジで……」
小さく、誰にも聞こえないように呟きながら――ガルドは、街の賑わいの中へと歩を進めた。
"全部ある"なら、何かひとつくらいつけ足しても構いやしないだろうと、舌打ちをして。
――【今日という日】




