【まだ遠いもの】
宿カルネティアから、旅宿通りを歩いて数分。
西部広場に建つ冒険者ギルドは、……今日は穏やかであった。
大きな街の、大きなギルド。そこを出入りする冒険者たちも、何も毎日ひっきりなしに依頼に奔走しているわけではない。
ごくたまには、ギルドが閑散とする日もあった。
ふたりがギルドに足を踏み入れても過度な視線は集まらず、知った顔の職員や無哭を知る冒険者たちが数人いる程度。
昨日の黒馬の件はまだ調査が続いているようではあったが、もうバタバタとした慌ただしさもない。
「おはようございます」
――ぺこり、と丁寧に頭を下げる受付嬢に、ルシアンも一つだけ、柔和な笑みを返す。
「おはようございます。書庫、もう開いているでしょうか?」
「はい、先ほど係員が出勤いたしましたので、ごゆっくりどうぞ」
その応対は、まだわずかに緊張の名残を孕みつつも、やはりどこか丁寧だ。
ルシアンも小さく頷きを返し、後ろのガルドを振り返る。
「じゃあ、書庫を見てくるよ。また昼頃に迎えに来てくれるのかい?」
「ああ」
「そう、じゃあ、後でね」
言葉少なに約束を取り付け、二つの影がギルドホールで分かれる。
ルシアンは階段を伝い、二階の大型書庫へ。ガルドは踵を返して大扉を押し開け、また外の通りへと消えていった。
「……なんかよ……送り迎え、つーか……」
それぞれに去っていくふたりの様子を見ていた冒険者たちが、ぼそりと呟く。
さも当然のような過保護。見ようによっては、囲い込み、……牽制……。
「わかる……無哭が独り歩きを許してねぇのか……?」
「えっ、無紋が従えさせてんじゃねぇか……?」
――穏やかで、暇なギルド。静かな食堂兼酒場。のんびりと時間を潰す面々。
依頼にも出かけず暇な傍観者たちが、勝手気ままに憶測を巡らせはじめる。
「……どっちが主導権握ってんだっけ……?」
「どっちが……無紋ってランク何だっけ……」
「いやどう考えても強いのは無哭のほうだろ……ありゃ無紋がなんか……弱みとか握ってんのか」
鬼の居ぬ間になんとやら、好き好きにそんな囁きが交差する。
カウンター裏で帳面を開いていた書記官の一人も、ぽつりと隣の職員に零した。
「……どっちでもいいけど、あのふたりが居ると、妙に空気が凪ぐんだよな」
「そうね……圧……圧?じゃないわね、格……かしら」
掲示板前で依頼を吟味していたパーティーも、結局めぼしいものがなくて、噂の波に乗る。
「しかし無哭と無紋って通り名も大概じゃね?」
「わはは、確かに」
「ばかやめろって、ぶっ飛ばされんぞ」
「いや無哭意外と話できるぜ」
「嘘つけぇ」
そんなふうに、名もない暇人たちは、今日もくだらない話題で時間をつぶしていく。
話題は流れるように近辺の物流の話に行き、どこそこの魚がうまいだとか、あの酒場の女が美人だとか、とりとめもない。
静かなギルドの朝。けれどその隙間には、確かにあのふたりの気配が残っていた。
――さて、昼前。
煮込みがいいという雇用主殿の望み通り、職人工房通りにある肉料理店に目星をつけ、ガルドは冒険者ギルドへと戻っていた。
ギルドに入れば、相変わらず穏やか極まりない。
二階の書庫もほとんど利用者がおらず、ルシアンと書庫の職員のみ。
「おい。飯行くぞ」
そう声をかければ、それに気づいたのか、読書スペースから静かな微笑みが返ってくる。
察するに、ぽやりと暖かな書庫内、穏やかな環境で読書ができ、大変ご満悦のようだった。
立ち上がりながらも手早くその場を片し、流れるように本をまた二冊ほど借り、書庫の入り口に肩を預けていたガルドの隣に並び立つ。
「お待たせ。いいお店あった?」
「ああ」
そう答えた自分の声が思いのほか穏やかで、ガルドは一瞬だけ片眉を上げた。
――また、顔が柔らかいだなんだ言われかねねぇな、とは思ったものの、……別に悪くはない。
「北通りのほう、肉の煮込みだ。いいか、それで」
「うん、いいね、行こう」
いつものやり取り。いつもの笑顔。
いつものふたり。――だった。ここまでは。
「あっ、お待ちを」
一階のギルドホールへの階段を降り、受付カウンターの前を通った時、ふと書記官に呼び止められた。
……ルシアンが、である。
「はい、何か」
「ルシアンさんに、お手紙が届いております」
「……私にですか?」
意外そうな声を出し、ルシアンがカウンターの方へと歩を進める。
各地を転々とする冒険者は、こうして滞在記録のあるギルド宛に郵便物が届くことも多い。
木のトレイに乗せて職員が差し出してきた封筒は、飾りもなく真っ白で、送り主も封蝋もない、シンプルな物。ただ、上質な紙だった。
それを受け取ったルシアンも封筒を一瞥だけして、確認もせずに革鞄にしまい込む。
職員に小さく目礼をし、そうしてそのまま、ガルドへと向き直った。
「ご飯に行こうか」
「……ああ、だな」
無骨な声は、訝しげな顔を隠しきってはくれなかった。
それでもルシアンは楽しげに歩き出しており、……まるきり対照的。
ギルドの扉をくぐり、石畳の街路へ出る。昼の日差しは柔らかく、空気はひんやりと澄んでいる。
その冷たさを感じさせないほど、隣の男は、機嫌がいい。
「今日は温かいものが美味しそうだね」
「……んん……」
いや、そうじゃねぇだろ――は、とてもじゃないが出てこない。相変わらず、ここぞというときに踏み込めない。ガルドがなんとか、歩調を保つ。
(――封蝋も送り主もねぇ)
けれど、紙は高級品だった。
(……今までこいつに便りが来たことなんざ……)
思い当たる中では、ない。
素性を伏せて旅をする彼に、どこの誰が手紙を寄こすというのか。しかもああして、まるで何の痕跡も残さないように真っ白な……"ただの便り"と見るには、あまりにも不自然、とは……。
(……俺の考えすぎか)
ましてや、変に詮索するのも違う。
何故なら、……ただの、護衛である。
舌打ちをひとつ。
(……そもそも、誰がこいつの居場所を知ってやがる)
封筒を手にして、疑問を抱いた顔もなかった。宛名を確認することもなかった。
革鞄にしまい込んだのは、隠したのか、そうではないのか。隣を歩く笑みが、あまりにもいつも通りで。
――ああ、また"知らない"が、浮き彫りになる。
(…………)
街路を行きながら、奥歯を噛む。今はこの問いが、口から出ることはない。
だが、その封筒の存在だけは、確かに脳裏から離れなかった。
――【まだ遠いもの】




