【揺らいだ肩】
色とりどりの布地。繊細な刺繍。異国的な色彩。
装飾の凝った香炉。銀製の手鏡。南方の書物。
海の向こうの暮らしが描かれた絵画。良質な木材を使った額縁。
保湿用軟膏、整肌水、身体用オイル、香油。
レストロワ東部の商業通りでは、ありとあらゆるものがその通りを彩っていた。
ルシアンはそのひとつひとつを楽しげに眺めながら、時に手に取り、光にかざし、店主と二、三のやりとりをする。
購入までは至らずとも、ルシアンとのそういったやりとりが、その手に取られることこそが、周囲の視線を引き付ける。
交易都市の商人たちは、こっそりとその動向を楽しみにしていた。
――その一角で。
「海の向こうには獣人が多い。西の大陸のティルイという街では人と獣人が共に暮らしているんですよ」
絵画を並べていた店の主人が、その一枚絵を見せながら、ルシアンと笑い合う。
壁際に飾られた大きな画には、背に翼を持つものや、立派な角を持つもの、大きな体躯に爪と牙を持つ獣人の姿があった。
「こちらの大陸では見かけませんね。私も獣人の方はまだお会いしたことがありません」
しげしげと画を眺め、ルシアンがわずかに首を傾げる。
後ろからガルドが同じように絵画を覗き込むが、……なんだか構図やら光やらが抽象的な絵で、よくわからなかった。
店主と軽く会釈を交わし、ふたりが店先から離れる。ガラガラと音を立てて、ガルドの横合いを交易隊の荷車が通り過ぎていった。
「ガルドは各地を旅したんだよね。獣人に会ったことはある?」
視線をこちらへ向けながら、ルシアンが小さく笑う。
答えようと隣を見下ろしながら――まさか、行きたいだのと言い出すまいな、とガルドが眉を寄せた。
「……ああ。……向こう……ティルイは、お前は行かねぇ方がいい」
「行ったことあるのかい?」
「ある。獣人連中は……まぁ話は通じるが、面倒だ」
どうにも含みのある言い方で、ガルドが言葉を切る。
きょとん、と続きを待つルシアンに……ひとつため息を漏らして、ガルドが苦い顔をした。
「……鳥連中は、綺麗な奴で、猫型は魔力の多さで、犬どもは匂いで――それぞれ番を決める。だからお前はダメだ」
「……へぇ……?」
ぽつり、とルシアンが返して、前に向き直る。……鳥型、猫型、犬型……番……。
「……草食系は?」
「牛やら馬やらは、力の強さだな、確か」
「……じゃあ君がモテモテだね?」
「バカ言え、んなもんごめんだ」
吐き捨てるような声に、ルシアンも緩く笑う。……、……なんだかこう、途中一回褒められたような気もするが、……ひとまずそれきり口を閉ざす。
獣人と人間たちが暮らす街。西大陸には、獣人の国もある。
興味こそあれど、……この護衛に却下されてしまっては、行きようがない。
まぁ、書物でもいいか、と歩を進める。
そんな具合に雇用主が黙り込んだのを見て、ガルドも目の端でそちらを見ていた。――ちと言い方がきつかったか。いや、あの"番"やらの話が余計だったか。少しだけ後悔したが、口から出た言葉は取り消せない。
(……面倒なんだぞ)
……獣人の国、街、文化。
なにも、理性のない獣ども、というわけではない。規律もあり、法制度もあり、人間側の国と大差ない。
違いがあるとすれば、……"性"が少々奔放で、番として気に入れば婚姻に雌雄を問わないあたり。
あれらは、理屈や血筋、損得ではなく、本能で番を選ぶ。一度決めた番は、そうそう手放さない奴らも多々。
少し考えただけで頭痛がしてきそうなほどに面倒なあれそれに、万が一この目立つ男が巻き込まれようもんなら……。
(……無理だ……)
――いや、違うか。
(……"奪われ"んのは、無理だ)
そう思った自分に、内心で舌打ちする。
もちろん自分のものでもないし、そんな予定もない。けれど……けれど連中に触られることすら、想像もしたくない。
何より、今も隣からふわりと香る穏やかな匂いを、……いつか自分が贈った深い緑の香りを、誰かにくれてやるつもりもないと――そう思ってしまう自分がいる。
――だが、彼の旅路を邪魔したいわけでも、ない……。
「……おい」
気づけば、苦々しくも声が出ていた。
何の気もなく、ルシアンがきょとんとガルドを見上げる。
「さっきの、あれ……ティルイの話な、あんま気にすんな。別に、どこ行こうが止める気はねぇ」
「うん……?」
「ただ……」
その先を言おうとして、またやめる。……やめたが、視線だけは逸らせない。
逸らせないまま、まっすぐにルシアンを見つめた。
「……お前が、――好き勝手できるように、してんだ」
"誰のもんにもならないように"――は、すんでのところで呑み込む。
けれど、ルシアンの笑みがやんわりと緩んだのを見て、やっと少しだけ、肩の力を抜いた。
――翌日も、よく晴れた日だった。
部屋で朝食をとり、出かけるために支度をする。
用事などはない。ルシアンが手持ちの本を読み終わり、新しいものを借りに冒険者ギルドの書庫へ向かうだけ。
そうして部屋を出る直前、革鞄を肩にかけるルシアンのそばへ、のそりとガルドが歩み寄ってくる。
見上げれば、いつものように胸元に顔を寄せられる。すん、と香りを確かめる仕草。
もうすっかりと毎日のことで、ルシアンも慣れたようにジッと待っていたが、……ふと思い出してしまう。
――『犬どもは匂いで』
――『お前が、好き勝手できるように』
「……、……」
思わず、……ぴく、と身じろぎをしそうになり……肩がわずかに強張った。――かろうじて、態度には出なかったが。
「……今日、は、ガルドも書庫に来るかい?また別行動にする?」
「ん」
一瞬だけ面前で視線が合い、――すぐに大きく距離をとられた。護衛はそのまま、しばしのだんまり。
赤い眼差しは、どこか部屋の隅を見ている。
「……書庫までついてく。あとで昼飯の店探してくる」
返ってきた答えはいつも通りの低さで――、それに何故だか少し、安心する。
そのまま踵を返したガルドは、扉に手をかける寸前に、一度だけ肩越しに振り返った。
雇用主は今日も整っていて、落ち着いた木と花の香り。バレない程度に、小さく鼻を鳴らす。
(……なんか、――嫌がられたか?)
いや、……思い過ごし、か。
けれど、それが"逃げ"だったかもしれないと思った瞬間、身体の奥底が、ぐっと凍るような感覚に囚われた。
そのまま扉を開け、通路へ出る。
(……獣、じゃ、ねぇんだ、俺は)
胸中の呟きが、己の鼓動を押さえ込むようだった。
並ぶ足音と、柔らかな気配。許されているこの距離が、万一。
(――嗅ぎすぎたか……)
舌打ちをかみ殺す。
だが今さらだ、という自分も確かにいる。余計だったのは、恐らく昨日の獣人の話だ。
犬どもが、匂いで番を決めるという――、……。
……揺れたのか、お前が、それで。
「……別行動の方がよかったか」
ぼそりと呟いたのは、ほんの一瞬だけ顔を覗かせた可能性に、蓋をすべきか迷ったからだ。
それでも見上げてくるルシアンは、"何故?"という顔をしていて、……ガルドも小さく頷いて、もう何も言わない。
ただ、口角が上がりそうになる。
「また煮込み料理が食べたいな……」
「……ああ、探しとく」
声に笑みが乗らないよう、ガルドはあえて低く落とした。
煮込みな、煮込み。北通りにそれが多い。パッと探してきてやる。
宿の玄関をくぐるその横顔が、ほんのわずかに機嫌がよさそうに見えた。
――【揺らいだ肩】




