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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
夜駆けの黒馬

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【晴れない湿度】


珍しい魔獣の観察に夢中になったこと。


自分の状態をないがしろにしたこと。


そうして結局このように手を煩わせていること。


そうそうたる罪状に――ルシアン、猛省であった。



じわり、両手で額を覆う。目線は腰元に。

目の前に跪いた男はといえば……眉間に皺を寄せて、難しい顔をして、器用に短剣を傾け、指先に力を籠め、きつく湿った紐を一段ずつ解いてくれている。

旅の護衛というだけなのに、こんなことまでさせてしまうだなんて、――雇用主失格だ。


「……以後、気を付けます……」

「……どうだかな」


低く返された言葉に、もはやぐうの音も出ない。

編み上げが残り二段ほど、というところで、短剣がガルドの剣帯に戻され、思わずルシアンもその指先に手をかけた。


「そ、その辺まで解ければあとはなんとか脱げるから――」


もう大丈夫だよ、ありがとう――と言いかけた言葉は、出てこない。ぎろ、と赤い視線が見上げてきて、ひくりと喉が鳴ってしまったためだった。


「……手ェ冷えてんぞ」

「えっ……」

「無理だろその手じゃ」


……掠れた声は、言外に声なき圧を孕んでいるように聞こえた。

ぱし、と手を取られ、無造作に退けられる。掴まれた手は確かにガルドのほうが熱くて、よほど自分の手が冷えているのだろうかと思った。


取られた手はそのままに、残る二段をもう片方の手の指先で以てきっちりとほどかれ、……ぱ、と手を引いたガルドが立ち上がる。


「ほらよ」



……言葉はそれだけ、顔は背けられ、すぐに後ろを向く。

大きな外套を拾いあげながら、天幕から外へ……出る間際、背中でぼやくように息をつく。


「……着替え終わったら、呼べ」


半ば吐き捨てるようにして、天幕の布をばさりと押し分けて出ていく背中。

だがその足取りが、どこか余裕を取り繕っているように見えて、……少なくとも、負けたのはどっちか――そんなことは、互いにもう考えられなかった。




「…………」


――天幕の布を後ろ手に閉めて、ガルドは夜の草原地帯を睨む。


……もちろんそちらを睨んでも、もう何もいない。……睨んでいるのは自分の理性かもしれなかった。

濡れて重量の増した外套を、脇の草地に放る。どしゃ、と湿った音が、数ミリだけ正気を取り戻させてくれた。


(……脱がした……)


さっきのは果たして……アウトだったのかセーフだったのか……。脳内で自らを尋問にかけながら、濡れた衣類に手をかける。

剣帯を外して、大剣ごと下ろす。貼りついたシャツをやや乱暴に引き上げる。ボトムも脱ぎ、……当然ながら下穿きもびしょ濡れだ。


「……チッ」


小さく舌打ちをして、ガルドが下穿きの前合わせを外す。腿の辺りまで長さがあるそれは、下着というには少々硬めの丈夫な素材。戦闘や踏み込みにも耐えられるような、厚手の生地。

……それが、……水を含んでがっちりと肌に噛み、内ももや鼠径部が擦れている。


(うぜぇ……)


痛みとしてカウントこそしないが、この擦れが傷になって明日以降に影響するのはもっとクソである。

傍らに置いておいたポーチから、粉末の入った包み紙と小さな小瓶を取り出す。こういうのは、手っ取り早く保湿するに限る。


ため息をひとつ、手慣れたようにカサ、と粉末を瓶に移し、水袋から水を少量。カチャリと蓋をして、シャッ、と手の中で振る。

これはこのまましばらく置けばとろみのついた液体になるもので、ベルトの擦れや靴擦れの保護・防止で、旅人や冒険者はほとんど携行している。


(……あいつが使ってんのは見たことねぇな……)


ふとそう思ったが、そういえばルシアンは回復魔法が使える。恐らく、靴擦れやらになっていたとしても、見えないところで治していそうだ。

――便利なもんだな、魔術師は、と肩をすくめながら、ガルドは濡れて貼りついた、もはや拘束具のような下穿きに手をかけた。






(……、……脱がされた……)


一方、替えの旅装に着替えつつ、ルシアンはやや肩を落としていた。


いや、まぁ、……腰装備をはがれたわけではない。

ローブは剥かれたが、シャツも剥かれたが、……肌着まで脱がされたわけでもない。

つまり肌は出していない。


ただ、装着は何度も頼んだことがあるが、"脱がされた"ことは……少なくとも人生において経験がなく、少々……いやなかなかに動揺しただけ。


(……頼んだのは私だし……)


……恥ずかしいかな、己の不祥事である。全責任は自分。護衛は何も悪くはない。


天幕の外から、カサ、チャポ、と何かしらの音がする。ついで、シャバッと何かを振るような音。


「……?」


なんだろう……と首をひねりつつ、着替えを進める。


ともかく、"濡れた腰装備は紐が締まりきって脱げない"は……大変いい教訓になった。

"濡れても着替えればいいしね"がそもそも通用しない場合がある。……うん、大変に有意義な学びだ。


だが、精神的にちょっと負けた。


身体を冷やさないように、風邪をひかないように。そういう優しさからだったというのは、理解できる。いや、優しさだったか……?いや、優しさ、優しさか……。

でもこれがどうにも、すごく、精神的に……負けた。雇用主の矜持。矜持……紐に負ける矜持って何……?


ルシアンの思考は、半歩ズレて戻ってこない。




いそいそと一通りの着替えを終え、天幕から外へ出る。

ガルドも着替えが済んでいて、濡れた装備類の手入れに当たっていた。


「……着替えたよ、ありがとう」


そう声をかければ、ガルドはちらりとこちらを一瞥して、小さく頷いただけ。

ついで揃って空を見上げ、薄くなってきた雲の向こうの月を見やる。


「……今から帰っても、夜中には宿に着ける」

「うん」

「このまま野営で冷えるより、風呂入って寝たほうがいい。帰るぞ」


ルシアンが頷きを返せば、ガルドは再び手を動かし始めた。

濡れた衣服がまとめて置かれている場所に、ルシアンも服を――と目をやったところで、ガルドの服の脇に小さな小瓶が転がっている。


「……?さっきの物音はこれかい……?」

「あ?ああ……、いいぞ開けて」


天幕の解体を進めながら、ガルドが視線だけを寄越す。

不思議そうにしたルシアンが小瓶の蓋を開けて傾けてみれば、ごく少量残っていた液体がとろりと手のひらに落ちた。乾燥している時にいいのだろうか。よく伸び、肌には馴染む。


「なんだい……?」

「靴擦れとかに使える」

「へぇ……」


靴擦れでもしたのかな……?といった具合でルシアンが護衛を見やるが、当人はいつも通りの動きで天幕を手早くたたみ、ロープを巻き、荷を整えている。

足捌きも変わらない、口数もいつも通り、けれどやけに機嫌が良く見える。


(……なんか……満足げ……?)


かすかに首を傾げ、ルシアンも小瓶をそこに戻して、まだびしょ濡れのままだった外套に手をかけた。布地を広げて、"そよぎ"と"きよら"をかけていく。


草地に放り投げられていたガルドの外套は、……分厚いわ重いわで、あらかた乾燥するまでに倍ほどの時間がかかった。



街道沿いを撤収する頃には、かすかに残っていた雷の匂いも、淡く湿った草原の風にさらわれていく。


けれどそれ以上に、互いの距離に宿る妙な湿度だけが、晴れぬままだった。






――【晴れない湿度】

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