【ご連絡は、白い鳥にて】
岩場の上に腰かけて、ルシアンは感知魔法を張っていた。
薄く広がるヴェールのように、この草原一帯、全てを見逃さないように。
(こちらの術式に干渉してくるということは、あちらとこちらに一本の導路があるということ……)
視線がどこか虚ろなのは、感知の波に沈んでいるから。魔獣の荒々しいその気配は、……探すまでもなかった。
小鳥や虫に至るまで、すべての生き物が逃げおおせたこの草原において、感知魔法に反応するのは自分、ガルド、そして黒馬だけ。
(――ふむ、感知の向こう側から、じわじわと侵食……いや、阻害される気配がある)
冴えたような銀の瞳が、緩く視線を上げる。体内には、魔力が静かに満ちていた。
視界に捉えることこそ叶わなくとも、阻害という手段を以てして魔力が繋がってしまえば、この広い草原において、それは、もう。
「……ふふ」
そこらの魔獣とは比べ物にならないほどの、干渉度、侵食率。
並の魔術師では、すぐに精神をやってしまいそうな、乱暴な波長。
――並の、魔術師ならば、だが。
顎先を、雨粒が伝う。
感知魔法の帳の中、黒馬から放たれる魔力の渦が、点々と草原のあちこちに留まっている。
恐らくあれに、雷と風を呼び込んでいるのか。
「そう。そこに顕現するんだね」
これは理解に苦しむ生態だ、と手帳を広げたくなったが、……生憎の雨模様。これは諦める。
キリキリと干渉波が迫っていた魔力の回路を打ち切り、新たに感知魔法を張り直す。手のひらからは、数羽のサイレント・ダヴ。
一の地点。二の地点。三の地点。それと、ガルドの下――"小鳥を追って"――を四羽目に。
「ひとまず、攻撃は当たるだろうか」
次の作戦は、そこからだった。
岩場の上から、闇を裂くように小鳥たちが滑空していく。
羽ばたきに音はなく、草原の広域にちらちらと散らばっていく。そのうちの一羽が、雷雲と草地の境を睨んでいたガルドのもとへと至り、虚空に魔力文字を描き出した。
――"三地点に鳥を配置"
――"黒馬はこの三点を結ぶラインで顕現/行動"
――"小鳥を追って"
「……ほぉ」
雨に濡れた前髪をかきあげながら、ガルドが短く呟く。実体があるはずの魔獣が、何をどうして離脱と顕現を繰り返すのかは……ガルドにはよくわからない。
馬のように見えて、実体のないレイスなどの魔物に近いのか、……もしくは消失したようにみえるほどに素早いのか……まぁ、難しいことは岩場の目に任せればよかった。
改めて草原地帯をぐるりと見渡せば、確かに白い鳥が三羽、各地点に留まっている。
雷と風――この二つの自然干渉を巧みに利用しながら、黒馬は移動を繰り返しているのか。
その時、小鳥が示した軌道の一点に、わずか――ほんの一瞬だけ、軋むような気配のズレがあった。
ピシィッ――風が裂ける音。ガルドが鋭く頭を振れば、次の瞬間……何もなかった空間に、裂け目をくぐるように黒馬が現れた。
「は、……来たな」
稲妻を纏ったその影は、なるほどかろうじて"馬"に見えた。
蜃気楼のような気配が、その身を包んでいた。分厚い胴体は漆黒で、首元から走った電流が、身体をなめて尾へと流れている。
ドカ、と地を打つのは、蹄ではなく刃に近い先端。
けれどどこか、駆けるためだけに洗練されたような、美しさも――、
――しかしガルドがそれを視界に留められたのは、ほんの一瞬だった。
一度大きく身を逸らした黒馬が、その巨体を以てして瞬く間に疾駆する。
「チッ……!」
大きな舌打ちをひとつ。……追ってガルドが駆けだそうとしたが、すぐさま足を止めてその背を目で追う。姿は顕現と離脱を繰り返しながら、別の地点の小鳥へと向かっていた。
もう一つの小鳥を視界の端で探せば、さっきとは別の場所をマーキングしている。
――なるほど、常にその位置が変わり続けているのか……。赤い瞳が静かにそれを観察するが、口の端には笑みがあった。
(……残念だな、こっちは"見えてる"らしいぞ)
……ならば、どこで待ち構えてやろうか。
黒馬が逃げ場を失う瞬間を。
あの瞳が微笑む瞬間を。
細かな雨が瞼にたたきつけても、赤い瞳は瞬きひとつしなかった。
夜の闇の中、白い小鳥がゆっくりと遠景を移動していく。――ぴたりと止まった地点で、わずかに空間が歪む。ぬるりと顕現する馬のような黒い影。
何度見てもよくわからないが、なるほどやはり、あの鳥は信じていいらしい。
そのうちの一羽が、今ガルドの真後ろに浮かんでいる。
片手で緩く下ろされた大剣は、切っ先で地面を抉っていた。左手は腰の辺りに構えている。
草原の外縁部に近い岩場の上では、静かにこちらを見下ろしている淡い影。
(……来たッ)
ピシ、ピシィ――と風切り音が走るよりも早く、ガルドの眼差しがそれを見止めていた。先ほど顕現した地点から、今いるこの地点へ、ジグザグと蛇行をするように、けれど地面に帯電痕を残して急速に疾駆するそれ。
「――ッ!」
目の前の空間が歪んだその瞬間、ガルドの地を払うような斬撃が、ほんの一瞬だけ現れた黒馬を確かに捉える。……が、大振りな跳躍を以てして、黒馬が大きくガルドの頭上を抜けていく。
即座にガルドが身を翻すが、その背はもう次の地点へと離脱していった。だが、いや、だが、これはいい。地面に再び大剣を突き立てたガルドが、小さく肩を揺らした。
――当たった、読みが。追いついた、速度も。
そしてなにより、黒馬が、その斬撃を跳ねて避けた。
……避けた、ということは。
「ふふ、効くんだね、物理が」
岩場の上、誰にも届かない声で、それを見ていたルシアンが楽しそうに笑った。
雨で張り付いた前髪を、指先でずらして耳にかける。フードはとっくに風で煽られ、けれど降り注ぐ雨足など歯牙にもかけていない。
感知魔法を遡ってくる干渉波を、ばちりと打ち切る。すぐに新たに感知魔法を張る。
「ええと、じゃあね……」
楽しげな声はまるで遠足にでも来ているかのようで……、手のひらから、小鳥が一羽。
"黒馬の見た目、覚えててね。あとで教えて"
ふわりと舞い降りていく小鳥と……だって遠すぎてよく見えないんだもの、のご不満は、この雇用主だから許されるわがままなのかもしれない。
さしずめ、わくわく、といった具合だった眼差しが、はたと止まって、緩く首を振る。
「……間違えた……」
誰にともなく、小さく誤魔化すような咳ばらいをひとつ。そうして、もう一羽。
"一瞬だけでいいから、動きを止められない?"
「……無茶言うなって怒られるかな……?」
それでもきっと、文句を言いつつなんとかしてくれそうだなと、小鳥はその指先を離れていった。
――【ご連絡は、白い鳥にて】




