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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
夜駆けの黒馬

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【ふたりを振り向かせるために】


――傾いた陽は、窓枠の影を長く落としていた。

六日目の夜は、ルシアンの行きたい店へ……だがその前に、冒険者ギルドへ掲示板でも覗きに寄ってみようということになった。


夕暮れ時のギルドは依頼帰りの冒険者で賑わっていて、併設の酒場で酒盛りを始めている連中もいる。

広間の空気が少しだけ湿っていたのは、ここ数日、空が曇り模様だったため。

冒険者連中がひっきりなしに正面の大扉を出入りするものだから、外から持ち込まれた冷えた風が掲示板の依頼書の端をわずかに揺らしている。


午後のひとときだけ顔を出した太陽も、今はもう沈みかけて橙の色を帯びていて、受付のカウンターや石柱の縁に、やわらかな金を差していた。


「お、無哭だ」

「えっどこ、俺見たことねぇんだよ」

「馬鹿あんたら声でかいわよッ」


奥の食堂兼酒場からは、代わり映えのしないそんな声と、いくつか椅子を引くような音が聞こえてくる。背もたれを肘をかけて振り返った冒険者らが、かわるがわるこちらに視線を寄こしていた。



「……鬱陶しいな」

「ふふ」


けれどもルシアンとガルドもそれきりで、反応を返すでもなく、静かに掲示板前に並ぶ。明日の予定を探るように掲示板を見上げていた冒険者が、びくりと肩を揺らして一歩ずれた。



ひた、と手元を止めて背筋を伸ばしたのは、受付カウンター付近の書記官らだった。

目の端でちらりと視線を交わし、しかし窺うように首を伸ばしたりはしない。


すぐそばの飲み場、任務を終えた者たちがエールのジョッキを傾け、笑い合う声がどこか遠い。討伐帰りの斧使いが頬に傷絆創膏を貼り、若い仲間たちに武勇談を語っている。隣席では、片耳の斥候が黙ってスープを啜る。


受付では、報告書を書き終えたパーティーが受付嬢に書類を手渡し、軽く内容を確認して踵を返す。

その背中に職員らが「お疲れさまでした」と控えめな声をかける最中も、――皆の意識はずっと、"あそこのふたり"に。



しばし掲示板を見上げていた銀の瞳が、ふと落ちる。

どうやらお眼鏡にかなうものがなかったらしく、その眼差しはどこか、興味をなくしているようにすら見えた。

ロワビア台地のような調査依頼も少ない。あっても、街から距離があったり、魔獣の痕跡調査だったり。


ああ……と職員たちがわずかに顔を見合わせる中、もう一方の掲示板の上部を巡っていたガルドの視線が、あるところで止まった。

隣の魔術師に指先だけで「来い」、と合図をすれば、それに気づいたルシアンもそちらへ一歩、肩を寄せる。



「うん?」

「ん」


くい、と顎でガルドが示したのは、南部草原地帯の魔獣討伐依頼だった。


ガルドが討伐依頼を選ぶのは、――正直珍しい。はて、とルシアンも思ったが、依頼書の内容を見て納得する。

《夜駆けの黒馬》と題されたその依頼書の端々には、『討伐、もしくは観測』、『雷雲とともに顕現する』、『夜風と雷光の交差点に現れる』、……そんな文言が、並んでいた。


「……お前好きそうだ」

「ふふ、確かにね」


その反応を見たガルドがぴり、と依頼書を引き抜けば、真新しい紙を受け取ったルシアンが、弾んだような足取りで受付カウンターへと向かった。

見ていないようでその一部始終を見ていた受付嬢が、ぴしりと背筋を伸ばし、小さな会釈ののちに差し出された依頼書を一瞥――、……パッと顔を上げた。


「――う、承ります!」

「……お願いします」


わずかにきょとん、としたルシアンも、小首を傾いでそれだけを返す。受付嬢は、笑顔……というよりも、どこか安堵が混じったような表情。彼女の後ろから依頼書を覗き込んできた職員が、身を翻して書棚のほうに駆けていった。


受付嬢が、台帳から依頼書の控えを取り出し、通り番号を控え、がちん、と受付印を押す。

返されたそれを受け取ったルシアンも、控えめに手帳を開き、印の押された依頼書を丁寧にしまう。カウンターの奥から出てきた書記官が、気象データをまとめた紙を括り、ガルドのほうへ手渡した。


「ッ失礼します!明日の昼から、南部草原地帯は雨の予報が出ていますっ」

「……おう。……じゃ、朝に出るか」


まだやや訝しげにするガルドの視線が自分へ向いて、ルシアンはにこりと頷いた。



彼らが受付前を離れた後も、職員たちはどこか名残惜しげに目で追っていたが……。

ふたりは特に気にする様子もなく、静かにギルドホールを後にした。






旅宿通りから一本外れた、石畳の細道。

木造の扉には、焼きごてで獣の牙をかたどったエンブレムが刻まれている。


炭火の匂いと香辛料が混ざり合った、濃密な香り。

ちらりと見える内装は、レンガ造りの壁と梁をむき出しにした無骨な造りで、明るい給仕と不愛想な店主がそこを彩っていた。


夜はルシアンのいきたい店、だったはずだが、どう見ても店の好みは隣の護衛である。

――どうかな、と見上げてくるルシアンに、……これにはガルドも思わず頷く。


「……悪くねぇ」


短いその一言に、意外だという響きと、わずかな期待が含まれていた。軋む扉を開ければ、温かい空気がぶわりと押し寄せてくる。


鉄串に刺された大ぶりの肉が、炉の上でじりじりと音を立て、香辛料が滲み出す油とともに赤い炭に滴り落ちていた。

給仕がにこやかにふたりを迎え入れ、……大柄で強面のガルドには一瞬たじろぐも、隣でルシアンが微笑むだけで、すぐに空気が和らぐ。

これももういつものこと、加えてふたりがここ最近"食べ歩き"で街中を散策しているのもあり、旅宿通り近辺では、ふたりを初めて見るわけではない人間も増えてきていた。


「お席、こちらでございますっ」


若い給仕がやや緊張した面持ちで案内し、ふたりは奥の壁際、やや広めのテーブル席へと通される。

椅子に腰を下ろすと同時に、ガルドがかすかに鼻を利かせるように一度、店内の空気を吸い込んだ。――香辛料、炙られた脂、焼けた鉄と木。まるで狩人の隠れ家のような、粗野で温かい空間。


「……腹が鳴る匂いしてやがんな」

「ふふ、うん」


ぼそりと呟いた声は、決して悪い感情ではない。むしろ、どこか落ち着いている様子ですらあった。

木枠で縁取られたメニュー板ですら、無骨で味がある。互いに気になったものを注文していけば、水差しとグラスを置いた店員が短く頷いて引っ込んでいった。


その背を見送り、……ガルドが腕を組んで、ちらりと正面の男を見やる。


「…………」


――こんな店、本当にお前が来たかった場所か、を、飲みこむ。聞いてもどうせ、へらりと笑われるだけだ。

焼けた香りがさらに立ちのぼる中、厨房の鉄串がまたひとつ、炉の上でひっくり返されていた。




しばらくして、給仕が肉の盛られた木皿を運んでくる。

ルシアンには果実酒、ガルドにはエールも。


鉄串から外された炙り肉が、香草とともに小さな山のように盛られ、横には塩と胡椒、赤い果実のソースが添えられていた。


炭火で炙られた骨付き肉や、香草をまぶした内臓の鉄板焼き、そしてスパイスの利いた肉団子の煮込み。


どれも酒に合うような、主張の強い味付けだった。

ルシアンも切り分けながら、一口、また一口と味わう。交わされる言葉は少なく、けれどいつものように多い分をガルドに押し付けては、よろしくねといった具合に微笑んで。

その口元がやけに楽しげで、黙って皿を引き寄せて、ガルドはテーブルに視線を落とした。


何を食べても、美味い。

自分のために選ばれたかのような、店。――自分のために、いるかのような、佇まいで――銀色の瞳がまた、こちらを振り返る。


「美味しいね」

「……、……ああ」


何とかそう返せば、満足そうな笑み。



(……くそ、やめろ、勘違いする)



ごきり、とエールの杯を呷り、肉の脂を流し込む。フォークに刺した肉団子から、汁が零れ落ちる。

ランタンの灯りが淡く頬を照らし、淡紫の髪にかすかな金を混ぜていた。



「……酒、もらってくる」


唐突に椅子を引き、ガルドが立ち上がる。

空いた酒杯を手に給仕のいるカウンターへと向かったのは、半ば照れ隠しのようなものだったのかもしれない。


向こうで二、三やりとりをして戻って来た手には、酒杯にたっぷりと注がれた二杯目。

ついでに、空いた手に小皿を持っており、炙った薫製肉の切れ端が、おまけのように盛られていた。


「……なんかもらった」

「ふふっ、君が食べっぷりがよかったからじゃないかい」


可笑しそうに肩を揺らすルシアンに、ガルドが小さく唸りを返す。ぼやきは悪態にもなりきれず、おまけの切れ端をつまんで口に放り込むくらいしかできない。

正面から手が伸びてきて、小さな切れ端を指先でつまんで、一口。



「……んん、美味しいね」

「…………」


何故か、ああそうだな、の簡単な答えが、もう出てこない。


だからガルドは、わずかに苦々しげにして、エールを泡ごと飲み下した。

すぐそばで、果実酒のグラスにそっと口をつける仕草だけが、夜の記憶にやけに焼きついていた。






翌朝、宿の自室にて朝食をとりながら……ふたりはテーブルの上に、件の依頼書を広げていた。




――《夜駆けの黒馬》

【依頼内容】

夜間、南部草原地帯において、雷雲の接近とともに顕現する馬型魔獣の出現・挙動が確認されました。

討伐または進路誘導・観測を行うものとしておりますが、従来の戦術では捕捉困難な速度と特性を有し、被害報告が継続しているため、現地の空間変動や残留反応を含めた多角的対応が望まれます。


【討伐対象】

仮称:夜駆けの黒馬

・属性:雷/風

・脅威ランク:B~A

・出現条件:夜間(未検証)/雷雲接近時(未検証)


【報酬】

・討伐完了:金貨三枚

・進路誘導、観測成功:金貨四枚相当(※記録・成果により増減)

・捕獲・鎮静化など、動作機構の解析に資する成果報告があれば、別途審議のうえ加算支給


【注意事項】

・極めて高速な突進、および雷撃を伴う魔力干渉波による視界・聴覚への影響が確認されています。

・術式展開中の魔術師に対し、干渉性が強い傾向にあります。(耳鳴り、発動阻害、魔力の攪乱を含む)

・攻撃痕は接触地点ではなく、通過軌道上に帯電残痕として現れるため、戦域の明確化が困難です。

・"風切り音ののちに本体が顕現する"という証言もあり、追跡には時間・空間双方の観測が求められます。

・感覚依存型戦闘者には不向き/Bランク以上の複数名による対応が推奨されます。


【備考】

・"夜風と雷光の交差点に現れる"との目撃談あり、出現地点は気象条件を元に予測可能であると推察されます。




夜風と雷光の交差点に現れる――その一文を、ルシアンが指先でなぞる。

……硬い文面に似つかわしくない、随分と詩的な表現。まるで、ルシアン個人に向けられたかのような印象を受けた。


「……というより、私越しの君かな」

「あ?」


パンをちぎっていたガルドが、訝しげに顔を上げる。なんでもないよ、と微笑めば、護衛は片眉を上げて朝食の続きに戻った。



「…………」


掲示板を見ていた時の、職員たちの視線を思い出した。

受付カウンターへ依頼書を持っていったときの、受付嬢のあの安堵の表情も。


――なるほど、と思ったが……、だからと言って何というものでもない。


ガルドが選んで、依頼の中身を見て、"見る価値がある"と思ったからこそ、引き受けたのだ。


「南部草原までは、歩いて二刻ほどだろうか」


片手で依頼書をたたみながらルシアンが問いかければ、空になった皿にスプーンを置いて、ガルドも頷いた。


「だな……昼過ぎには着ける。雨も、その頃には降り出すんじゃねぇか」


そう返して、ガルドが残ったパンを一口で放り込む。

咀嚼しながら、頭の中で南部草原までの道のりと、天候、補給物資、撤退経路、あらゆる条件を並べ直しているのが、傍目にもわかった。



食事を終え、静かに立ち上がったルシアンが、宿の窓辺による。旅宿通りを望むこの窓は、遠景に南の空が見えた。

早朝、朝の光はまだ柔らかく、レストロワを覆う雲は厚くはない。だが遠く、南の空を重く垂らすように、灰色の帯が見え始めていた。


ガルドも椅子を引いておもむろに立ち上がり、外套を手に取る。

腰のポーチを確認し、革紐を鳴らして締め直すと、視線が自然とルシアンの背へと向いた。


高速の突進、雷撃を伴い、視界や聴覚への影響があるとされる魔力干渉波。

干渉性は魔術師に対して強く、発動阻害や魔力の攪乱……依頼書の文面には、物騒な文字ばかりが並んでいた。


だというのに、空を眺める魔術師は、いつも通りの優雅な微笑を浮かべた横顔で。


「……さて、拝みに行くか」


わざとぶっきらぼうに言えば、肩越しに柔らかな笑みが返ってくる。


その静けさは妙に心地よく、けれど今日の空には、きっと雷が走る。


それが、ただの荒れた空であればいいと頭の隅で願いながら、ガルドは黙って荷をまとめていた。






――【ふたりを振り向かせるために】

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