【琥珀の酒で、晩酌を】
(――なんなんだろうな、ありゃ)
ボートの腹を、ゆっくりと桟橋へ這わせながら、ガルドは考えていた。
ごくたまに、ああやって手のひらで、明確に遮断される、視線。
近づこうが、触れようが、抱えようが、全てを許容する彼の、――何かしらの境界線。
だが、手の端から見える微笑みに、踏み込ませまいとする断絶を感じるわけではない。
実際に、不用意に外套や布団の中にも入ってくる。……魔術師なら本来触れてほしくないであろう、装備の編み上げも任せてくる。
(……俺が嫌だとか、そういうんでは……ねぇとは、思うが)
……などと、かろうじて自分をかばってみる。だがしかし、だとすればなんだというのか。
係員にロープを渡せば、桟橋の杭に係留され、小舟は動きを止める。
ガルドがひとまず橋へとあがり、振り返ってルシアンへ手を差し出す。
そうすれば案の定、ふわりと笑って、躊躇なく手を伸ばしてきた。――ほら、この通りだ。
引き上げ、桟橋の上へ。
「土産物、見るか」
「うん、覗いてみようか」
他愛のない会話も、もういつも通り。
……先ほどの何かしらのやり取りは、流れたのか、なくなったのか、済んだのか。
「…………」
――願望と、いうか、淡い……期待というか。
店先へ足を進めるルシアンの背を追い、ガルドはわずかに顎を引いた。
こちらからの視線を跳ねのけた、というよりは……なにかを隠そうとしたのでは、と、可能性の端の方で、思う。
たとえば、……崩れそうな表情、とか、を。
(……、……まさかな)
露店で、土産物を覗きこむ姿を、視界の端で捉える。
ガルドの視線の先で、ルシアンは土産棚の酒瓶を手に取り、くるりと光にかざしていた。透明な瓶の中、淡く揺れる琥珀色が、色は違えどどこか湖を思わせる。
その横顔は、まるで何もなかったように穏やかで――でもそんな涼しげな表情が、いつもの笑顔が保てなくて、ああやって手を――、……いや、彼に限ってそれは……。
「ガルド見て、湖の水で作った地酒だって。買ってみるかい?」
「……大丈夫なのかそれ……」
訝しげにする護衛に、つい肩を揺らして楽しそうにした笑顔は、やはりどこか無防備であった。
味の違う二つを、ガルドが無造作に手に取る。これか、と目線で問えば、にこりとまた笑みが返ってきた。
「……飲むか、宿でな」
「ふふ、いいね」
ああ、やはり気のせいかもしれない。
だがたとえ気のせいでも、自分に都合のいい答えがこの先出なくても、この距離が守れるのなら。
この夜、確かに隠されたあの事実だけは、ずっと忘れずにいようと思った。
――レストロワに戻る頃には、すっかりと夜も更けて。
宿に頼んだ簡単な夜食と、それぞれに風呂を済ませ、ふたりは部屋のソファに身を落ち着けていた。
タオルで髪を押さえていたルシアンの前、ローテーブルに、ごつ、と地酒とグラスが二つ置かれる。
その栓を手慣れたように開けながら、ガルドがひとつ、肩をすくめた。
「どこにも"竜"の要素なかったな、あの湖」
「んん、そうだね」
こくこくと、グラスに酒が注がれる。揺れる液面は部屋の灯りに照らされて、橙の光を湛えていた。
再びテーブルに置かれた酒の瓶には、なにやら翼の生えた爬虫類らしきが描かれている。
竜の湖とは名ばかりで、湖底が光るだけの美しい場所だった。
グラスの一つを手に取り、ルシアンがそれを覗き込む。
「ギルドの書庫で見た本には、大昔に竜のねぐらだったと書いてあったけど……眉唾だね」
「……はっ」
わずかに口角を上げて、ガルドが低く笑う。伝承というのは往々にして、大きく脚色されているか、隠されているか、そもそも存在しない話か。言ったもん勝ちだ。
酒を口に含めば、とろりとして口当たりのいい舌ざわり。美味いが、度数は弱くはない。
飲めるか、と思わず正面を見れば、ルシアンはぺろりと唇を舐めているところだった。
「うん、おいしいね。微弱な回復効果は消えているみたい」
「……お前は……ホントに……」
――地酒を前にしてもなお学者気質なところに呆れればいいのか、そうやってふいに唇やらを舐める仕草に目をつぶればいいのか。
まったくもって判断に困り、ガルドが深く、息を吐いた。
ああ。頭は驚くほどに静かだ。
この"無防備さ"は、恐らく今日も本物だ。
悔しいことに、自分も揺さぶられ慣れている。
脳裏には、しっかりと焼きついている。
湖面の光に照らされた、その横顔。
ふいに遮られた視線の先――薄闇の中の、ほんのわずかな笑い方の揺れ。
(――あの手がなけりゃ、なんかしらは届いたのか……)
そう考えて、ぐっと奥歯を噛んだ。
惜しい。今さらながらに、あの壁の先が惜しい。
今はもうここにはない、けれどあの小舟の上で、あの手のひらの向こうに、何かはあったのだ。
それは、触れるより、抱えるよりも、ずっと遠いもののようで。
……けれど、たまらなく手が届きそうで……、それでも。
「お前、……嫌なら、言えよ」
「え?」
唐突な言葉に、ルシアンが目を丸くする。
銀の瞳は、なにが?……という表情のままに、やがていつもの柔らかな笑みに変わる。
「うん……?君もね……?」
「……ああ」
わかっているのか、
わかっていないのか、
その曖昧な微笑みは、やはり今夜も、ガルドにしか向けられていなかった。
しかしもうそこに――今日の湖で見たような"揺れ"は、ない。
それきりガルドはもう何も足さずに、ただ黙って酒を口に含む。
琥珀の液が喉を滑る感覚に集中する、――ふりをして、目の前の微笑みから目を逸らす。
(……ああ、嫌んなったら言ってやるよ)
ごん、と、グラスを置く音が少し強くなった。
「……明日は何する」
低くぼやいた言葉は、言いたいことを丸きり飲みこんだ言葉だった。
小さく唸りながら首を傾ぐ魔術師に――視線は向けない。今はもう。
そんな自分に、内心舌打ちをしながら、ガルドはもう一度、グラスに酒を注いだ。
ただ、琥珀の酒だけが、ふたりの間に静かに満ちていた。
――【琥珀の酒で、晩酌を】
《旅の記録》
・場所名(通称):竜の湖
・最寄り街:レストロワ
・景観種別:美/儚/静/謎
・特徴メモ:レストロワの商魂と自然の美しさが調和されていた。伝承によれば、竜のねぐらだったらしい。だとすれば随分巨大な竜だ。
・時期・時間帯: 秋・夜
・再訪:可
・個人的メモ:
「雄大な湖面、薄闇を照らす淡い光。美しい景色だった。
. ちゃんと景色見ていたのかな。」




