【湖のほとりで】
石灰岩の白さが夕陽を反射して、辺りが淡い橙色に染まり始めたころ――。
調査団の荷馬車に乗せられた資材や記録文書の横で、ルシアンとガルドは静かに並んでそれを眺めていた。
一度軌道に乗った調査はとんとん拍子で終わり、魔獣や崩落の被害に遭うこともなく、当然けが人もない。
詰め所の撤収を進めていた団員たちからは、どこか浮かれた声すら上がる。
「まさか今日中に終わるなんて!」
「お、王都に帰れる……!」
「これ以上滞在伸びたら自腹だったぞ……!?」
悲喜こもごもといった悲鳴が聞こえ、ガルドの視界の端で、ふる、と淡い外套が揺れるのが見えた。
「ふふ、賑やかでいいね」
「……んん」
こちらを見上げてくる視線に、ゆるりと眼差しを返す。――まぁ、悪くはない、という顔。
遠目に、資料局の職員がふたりに手を振っているのが窺えた。
「お二方!馬車の支度が整いました!」
張り上げた声は明るく、明らかに朝よりも弾んでいる。さながら、滞りかけていた案件がやっと片付いて何より、といったところだろうか。
そちらへ顔を向けたふたりも、緩く歩き出す。
「あっ、ガルドさんもルシアンさんもありがとうございました!いやぁ!いやぁ本当にまた機会がありましたら是非ご一緒しましょうね!!」
――背を押すように副主任の声が聞こえてきて、肩越しに振り返ったルシアンが、会釈で以て返す。すぐさま主任に叱られているような声と、小さく鼻を鳴らすガルド。
向き直ったルシアンの頬は、やはり可笑しそうに緩んでいた。
調査団のマークが入った馬車のそばまで戻れば、職員の男が扉を開けてにこやかに待っていた。
「ささ、どうぞ!レストロワまでお送りいたします!」
ぺこり、とルシアンが頭を下げて、馬車の踏み台に一歩足をかけ、――ふとそのまま動きを止める。何事かを思い出したように職員へ振り返り、軽く首を傾げた。
「そうだ、竜の湖という場所を見てみたいのです。近くで降ろしていただけますか?」
「は、竜の湖ですか……」
問われた職員が、ちら、とガルドのほうを見やる。む、と顎を引いたガルドも、――そういえばそうだった、というような表情で、ひとつ頷いた。
それを確認し、職員ももう一度、ルシアンへ向き直る。
「ええ、ご案内できます。道の都合上、林縁部までしか馬車は入れませんが、道は整っています」
笑顔のままに返した職員に、ルシアンもまた、満足そうに頷いて馬車の中へ。山間を抜けた冷たい風が、ロワビア台地に夕暮れの匂いを運んできていた。
小さく、馬の尾が振れる。白い岩の台地は、ゆっくりと、遠ざかっていった。
竜の湖への分岐路は、レストロワの街並みが遠く見える場所にあった。
街道は整っており、よく踏み均された石畳が人の往来が多いことを告げていた。ひとつ挨拶を交わした資料局の職員は、一足先に馬車でレストロワへと帰っていく。
街の影に溶けていく馬車をしばし見送ったのちに、ルシアンも隣のガルドへ振り返った。
「この森の先だって言ってたね?」
「……ああ」
街道沿い、細く脇道が伸びる林縁へ、ふたりの視線が向く。
石畳から土の路面に変わるその境目は、足元に森の影を落としてはいるが、小さな魔法灯がぽつぽつと行く先の木立を照らしており、完全な薄闇ではない。
秋の草木をかすめる風が、森の中を渡って乾いた音を立てる。
並んで歩く足取りに、――やや、ガルドの視線も硬くなる。……いや、物見遊山だ。いつものやつだ。なんか光る水辺を見に行くだけ。そう言い聞かせ、森の奥へと続く街道に視線をやる。
観光地で。
浮かれた連中が集まる場所で?
恐らく、野郎二人で行くような場所ではなくて。
(…………)
相変わらず、あのワードがぐるぐると脳裏を巡るが、……自分という男がそのデー……んん、に、向かないガラをしている自覚もある。
というかそうじゃないしな。うん。
ひとり小さく頷く護衛、もう色々と手遅れである。
日はとっくに傾き、空には茜色の残光もない。
ぽつり、またぽつりと小さな魔法灯を通り過ぎるたび、道幅が少しずつ狭くなる。
数刻前までのあの騒がしさを置いてきた今、目の前に広がるのは静けさと淡い薄闇と――、
――薄い緑に、揺らめくような"光"。
観光地とされていた竜の湖は、道行のところどころに案内看板があり、湖畔には露店や屋台も出ていた。
それは人混みというほどではなく、地元の人間や旅人らしきで穏やかに賑わっている畔。
湖にせり出した水上小屋には、手漕ぎボートの貸出案内や、この場所ならではのアクセサリーや土産物などが並ぶ店もある。
ふたりが小さく顔を見合わせて、畔をぐるりと巡るように歩いていく。
……湖は、確かに光を帯びている。けれど、露店から漂う香ばしい匂いに、どうしても視線がそちらを向いてしまう。
しばらく露店群を流すように歩いて行った中ほどで、湖で獲れた魚を塩焼きにしたものが売っており、それをガルドが二つ買った。
「……商魂たくましいな」
「ふふ、レストロワらしいね」
湯気の立つ魚の串を受け取りながら、ルシアンが緩く笑い、……そのまま周囲を見渡す。
人は多い。屋台も多い。けれどこういった場所にありがちな、"景色を汚す"ものがない。
屋台群は湖の畔に控えめに並び、街灯などの人工的なものは少ない。
土産屋の店員も、あからさまに声を張り上げて客引きをするでもなく、穏やかな湖の光の明滅とともにあるようだった。
ぱり、と焼かれた魚の背に、ルシアンがかぶりつけば。
「もう少しすれば、強く光り出す時間ですよ」
焼き魚を売っていた屋台の店主が、ふたりの背に、穏やかな声色でそう補足をしてくる。
――だが、やはりただそれだけ。何を押し売りするでもない姿勢が、どこか好ましかった。
「……乗るか、アレ」
魚の身を頬張りながら、ガルドが視線だけを水上小屋の方へ向ける。何艘かの小船が杭に係留されており、湖面にちゃぷりと浮かんで……今も観光客を乗せた一艘が、湖に漕ぎ出されていくところだった。
それを見送ったルシアンが、隣で小首などを傾げてみせる。
「いいのかい?私漕げないよ……?」
「……ああ、だろうな。……俺がやる」
まるでそれすら予想済みだったかのように、ガルドが低く言い放つ。
雇用主の見たがっている景色を、とりあえず一番見栄えのするであろう場所で見せてやるだけ。
こいつは手漕ぎ船なんて漕げないだろうから、自分が漕いでやるだけ。――それだけだ。
三口ほどで魚を食いきり、ガルドが串をそばの屑籠へ放る。
「……ボート取ってくる。食ってろ」
ぶっきらぼうにそれだけを言い、湖畔にある小屋のほうへ歩いていく、大きな背。
「いい相棒さんですねぇ」
屋台の店主が、店先に取り残されたルシアンに、そう笑う。
ルシアンもまた笑顔で返し、焼き目の香ばしいその魚を食べきり、……外套の裾を弾ませてその背を追っていった。
――【湖のほとりで】




