【やってらんねぇ仕事】
――翌朝、ガルドはまたも、着替えの物音で目を覚ました。
ぼやぼやと目を開けて視線をやれば、……視界の端、こちらに背を向けて身支度をする後ろ姿が見える。
雇用主は今まさに寝間着の上衣を脱いだあたりで……く、とガルドが目を閉じる。
んん――いや、だい、大丈夫だ、着替え自体は、もう、何度か見た。
さすがに一部始終を正面喰らっては見ていないが、肩、だの……背中だので動揺しないくらいにはなっている……。
ほんの少しの精神統一ののち、再びまぶたを持ち上げたガルドが……進捗を確認する。
上衣は済み。下も済み。後ろからパッと見も済み。問題ない。
のそりと起き上がり、背と首を伸ばす。肩甲骨のあたりから、パキ、と小気味のいい音が鳴った。
昨日の風呂は、自分の希望で先に入らせてもらった。ああ、そうだとも。ルシアンの後に入るから、余計な煩悩が働くのだ。
この雇用主が、風呂の後先を気にしないたちで本当に良かったと、――昨夜は思った。
こちらの物音に気が付いたのか、ルシアンが肩越しにわずかばかり振り返る。
「あ、おはようガルド、ごめんちょっと……」
「ん……」
ベッドから足を下ろしながら顔を向ければ、こちらに向き直ったルシアンは、まさに腰装備の編み上げの最中。
前面、みぞおちから股上まであるレースアップの紐が、何やら途中でこんがらがっていた。
びく、とガルドの肩が、揺れる。
「なっ……んだ、えれぇことなってんな」
「うん……そろそろ紐新しくしなきゃかな」
それは、カーニャに作ってもらったばかりの新しい装備ではなく、ルシアンがもともと持っていた方の装備。
困ったように笑いながら、紐の塊を持ったままのルシアンが歩み寄ってくる。
これはもしや……とガルドが手を差し出せば、大人しくこちらの膝の間に収まる身体。――油断すれば頬が緩みそうで、きつく奥歯を噛んだ。
「ここがね、絡まってしまって……解けないんだ」
「何でこうなんだよ……慣れてんじゃねぇのかお前」
「私が慣れてても紐は古くなるよ」
むす、と不本意そうな言い訳が降ってきて、つい口角が上がる。
そうだな、お前は悪くないな、の言葉は――飲み込んだ。それこそなんだか睨まれそうな気がして。
目の前の胸元からは、深い緑の香りが漂う。手元には、ぬくもりの気配が。
頭上からは、銀の視線も感じた。ついで、柔らかな声。
「……ほどけそうかい……?」
――ほどけなくていい……。
ガルド、喉の奥で小さく唸るように、本音……いや、息を漏らした。
「……待っとけ」
かろうじて答えれば、思ったよりも声が掠れていたのがわかった。上ずりそうなのを、堪えていたせいもある。
慌てて咳払いを一つ。肩にぐっと力を入れ、目の前の編み紐へ集中する。
古くなった紐はところどころが柔らかくほつれており、結び目が固く締まっていた。
繊維と面が絡み合い、解けにくいが……それでも指先を器用に使い、爪の先で押し、緩め、引き出していく。
(……こういうパターンもあるわけか)
なるほどな、と……無哭、今後のパターンに刻む。ほんの少しだけ、この面倒な装備に感謝をして。
そうして一部の結び目が解ければ、腰装備の布地が少しだけ緩み、大元の塊もまた、わずかに緩んだ。
一体何をどうしてこうなったのか、しかしやがて絡まりが解けた紐を、――まぁ、手放すのも惜しいわけで。
「……もう、このままやるぞ」
「あ、うん、ありがとう」
低く言えば、静かに頷いた気配とともに、ルシアンが姿勢を正す。
左右の穴に、それぞれ紐を通し、一段ずつ引き締める。久々に補助をしているような気もするが……加減は、この手が覚えていた。
また一段引き締めれば、背中から腹部にかけて、その細身の身体がきゅっと揺れるのがわかる。
……力を込めすぎないよう、注意しながらも、緩みのないように仕上げる。慣れたものだった。
結び終え、締め付けを確認するために脇腹に両手を這わせる――ふりで、……一拍の間だけそのまま手を置いて。
(……平然としやがる)
警戒をするでもなく、きょとんとする顔を見せられるたびに、何かが積もっていく。
こっちは何とも思ってないわけじゃねぇぞと、そう言ってやろうかとすら思うほど。
――だが、それを言ったら負けの気がした。
「……もうこんがらがんなよ」
手を引き、ぽん、と軽く腰の横を叩いてから、ベッドの上掛けを直すようにして背を向ける。
「助かったよ、ありがとうガルド」
「おう」
答える声は、背中越し。
顔を向けないのは、もう緩んでしまっているため。
――やってらんねぇ……などという悪態も、この顔を見られればすべてがパァだ。
せめてものため息を、誰にも聞かれないように、胸の中でだけ吐いた。
――【やってらんねぇ仕事】




