【護衛、もやもや】
宿カルネティア、浴室――。
ルシアンたちが取った部屋の風呂は、白を基調とした明るい造りになっていた。
浴槽は作りつけられているもので、恐らくあの大柄な護衛でも十分に足を伸ばせる広さ。
洗い場も広く、洗髪用、洗体用の石鹸も複数ある。これは香りが違うようだった。
それらに目をやったルシアンが、ひとつずつ手に取り、香りを確かめる。
甘い花の香り。これはちょっとキツそう。
澄んだシトラスの香り。個人的には、悪くはない。
だが結局、ごく普通の石鹸の香りに落ち着いた。
身体と髪を洗い、旅の疲れを落とす。
ゆっくりと浴槽に身を沈めれば、冷えた身体がじんわりとほぐれた。
「…………」
気づけば、今日が、この旅の百一日目だった。
ある街のギルドで出会い、ここまで旅をしてきて、季節は夏から冬に差し掛かろうとしている。
夕食の席で、柄にもなく少々感傷的になってしまったが、彼は茶化したりすることもなく。
ぱしゃ、と手のひらが湯面をなぞる。
湯気に満たされた浴室は、外の秋風も感じられないほどに暖かい。
(……ふふ、さすがに日数までは言えなかったね……私でも引くよ)
顔を上げれば、壁の上部に空けられた小窓から、小さく星空が見えた。
――横に長い北大陸、その南部を、ほぼ東端から西端へと横断してきた。決して、短くはない旅。
大陸の北部には何があるんだろうか。どんな街があって、どんな景色があって、彼はそのうちのいくつの地を踏んできたのか。
……かつてセレフィーネで、もう二度と、こちらから契約の終わりを告げないと言ったことを、彼は覚えているのだろうか。
(……。……どこまでついてきてくれるんだろうね)
安くはない護衛契約金は、支払っている。
けれど自分でも、面倒な旅路を歩いている自覚はある。
馬車も使わない。馬もない。楽な街道よりも、見たい景色があればそちらへ舵を切る。
魔獣の始末などは全て押し付けて、野営の世話も、この身の護衛も、全て任せて。
冒険者たちが恐れる"無哭"が、今や自分の世話係だ。
――それは本当に、護衛契約の範囲なのだろうか。
……ぽた、と髪の先から、雫が湯面に落ちる。
理解不能なほどに、丁寧に、"彼"という存在を差し出され続けているかのように感じる。
『……暇だった。って言やぁ、信じるか』
「…………」
(……"暇つぶし"に飽きたら……彼は去るのかな)
ひとつ……窓から見える星に笑みを向け、ルシアンはざばりと湯から身を引き上げた。
脱衣所、宿に備え付けの寝間着を羽織る。肌触りもよく、肩からストンと落ちる生地。
髪を軽く拭き、布地の室内履きをはく。客室は暖かく、この程度の軽装でも問題なさそうだった。
部屋へ戻れば、ガルドは壁のそばにある椅子に腰かけて、解体用の短剣の手入れをしていた。
ちらりとこちらに視線投げて、赤い瞳はまたすぐ手元に戻る。
「ガルド、お風呂冷める前にどうぞ」
「……ああ、……入ってくる」
神妙すぎるほどに低い返事をして、短剣を静かに鞘へと戻す護衛。それを、スタンドにかけてある剣帯の背面へ戻す動きも、どこかゆっくりだ。
手荷物の中から着替えを取り出し、……手にまとめる。
「脱衣所に洗濯用のかごがあったよ」
「ん、……ああ」
背中にかかる柔らかな声に、声だけで返事をして、――無哭、風呂へ……。気持ちは断頭台へ向かう罪人。何故ならすでにルシアンが入った風呂だからだ。
(……。おか、おかしくはねぇ)
……そう、自分に言い聞かせながら、脱衣所へと入り、後ろ手に扉を閉める。そうだ、何もおかしくはない。
今まで泊まってきた宿の風呂だって、そうだったじゃないか。
ずっと順番だった。他の冒険者が入って、ルシアンが入って、自分が入る。他の客が入って、自分が入って、ルシアンが入る。
カドゥルに立ち寄る前の、あの山間の村だってそうだった。
村の連中が急遽作り付けてくれた風呂に、自分とアレとで交互に入った。そうだ、別にこれが初めてではない。全然初めてではない。
だのにどうして、こんなにも緊張する……。
ガルドが棚に着替えを置けば、膝に洗濯用のかごがぶつかった。おっと、と見下ろす。
これはあとあと宿の従業員に渡すもので、確か宿についている魔術師だかが、"きよら"やらなにやらで洗濯――、……すでにルシアンの服が入っている……。
「…………」
――武骨な手が、そっとかごを端に寄せる。何故か見れない。
上着を脱ぎ、腰のベルトを外す。袖を抜くたび、思考が妙に静かになっていく。
手早く服を脱ぎ、……一瞬迷ってからそのかごの……中に、自分の服を突っ込んで……。
み、えなくなればまぁ、いいと、……次々に服を入れる。埋まった。よし。見えねぇ。よし。
もう一枚扉を開けて、浴室へと踏み入る。
中は白く清潔な空間で、床にも淡い白のタイルが敷かれていた。
思った以上に広く、整っていて――そして、あからさまに"さっきまで誰かが使っていた"気配に満ちている。舌打ちをひとつ。
壁際の小さな棚に石けんがいくつか並んでいて、……ああ、なんか混じったような複雑な匂いはコレか、と眉を寄せる。
そこへ手を伸ばしかけ、……一番匂いがまともそうなやつに使った痕跡が見えて、手が止まる。
(…………)
――な、ならば花の香りかと思ったが、なにをどうやっても自分の匂いじゃない。
いいいや、柑橘だ。柑橘にしよう。ちょっと人生において選んだことのない匂いだが、今の精神状態でアレと同じ石けんは使えない。死んでも使えない。使ったら死ぬ。
歴戦の戦士、かつてない消去法で生存の道を叩きだす。
なおたかが石けん。ただの石けん。でも肌に直接触れるもの。無理なものは無理。
「……、くそ……」
低く吐き出して、ガルドはもう、さっさと身体と頭を洗った。
ごたごた考えるから面倒なんだ。旅の間洗えなかった身体を洗う。さっぱりする。それが今の最優先事項。絶対そう。
そのままの勢いで、乱暴に湯船につかる。とぷん、と揺れた湯面は、……落ち着いていくたびに、わずかに思考も落ち着かせた。
肩を沈める。足は十分に伸ばせる。
静かに、心を持っていかれるようだった。
(……風呂あがったら、聞いてみるか)
――核が揺れても、お前は死なねぇのか。
(……いい、よな……?護衛だろ、俺……)
ガルドが、眉間に深く皺を寄せる。それに縋るには、もうとっくにおぼつかない足下。
けれどそれに縋る他なくて、……それを考えていないと、さっきまで確かにここに彼がいたという事実が、じわじわと脳の端から浸食してきそうで。
「…………」
目を閉じれば、その姿がすぐに浮かんでくる気がして、ガルドは慌てて湯から立ち上がった。
音も、気配も、体温さえもすぐそばにある気がする。
まずい。……い、イロイロとまずい。
――風呂を上がって身体を拭く間も、心臓の音だけが、やけにうるさかった。
――【護衛、もやもや】




