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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
交易都市のお目通り

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【ただの風呂だろ、ただの風呂】


穏やかで温かで、少々むずがゆい夕食を終え、ふたりは宿への道を歩いていた。


中通りを、西部広場へと向かう。

橙の街路灯に照らされた"西部旅宿(りょしゅく)広場"の看板が、ただ静かに広場の往来を見つめていた。


依頼帰り、土埃に(まみ)れた冒険者。これから一仕事へ向かう背中。酒盛りの店を決める男たちは、酒の種類か飯の多さで揉めている。

肩を組み、笑い合い、路傍(ろぼう)の店先を覗き込み、……けれどもふいに"無哭"の影を見て、ひゅっと道を開ける。



「おお、びっ、びびったぁ……」

「あぶねぇお前、ぶつかったらぶっ飛ばされんぞ」

「ねぇちょっと聞こえるわよ!」



――ええ、もちろん聞こえている。


かといって視線を向けるでもないガルドに、ルシアンが口の端だけで笑う。

この護衛、むやみやたらに殴りかかったりはしないと思う。しないとは思うけれども、確かにぶつかったらガルドの体幹に負けて弾き飛ばされそうだね、という笑い。


「……笑ってんな」

「ふふ、だって……」


そんな調子で笑われてしまえば、ガルドもそれ以上問い詰めることもない。酔客も混じりだした往来の波に、せめて雇用主が流されて行かないのなら、なんだっていい。


そうして旅宿通りを進んでいけば、酒場は減ってきて、人波もやや落ち着いてくる。


温かな街路灯が等間隔に通りを照らす。もう秋も半ば。冬が早い北大陸は、気温が下がってくるのも早い。

まだ北風は吹かないが、夜気が肌を冷やす。でもきっと、宿は暖かくて……。


……暖かく、て……。



「…………」



ガルドの思考が、止まった。


かろうじて足だけが進んでいる。



――待て。同室だ。いや同室はもうこの際いい。

部屋に風呂がある。風呂が部屋にある――?


やや斜め前を歩く淡い外套から目を逸らし、護衛、思わず口元を覆う。


……カドゥルでは、部屋の外に……宿の一階に浴場があった。だから同室でも、どこか遠い出来事だった。

だが今回の宿は、扉一枚を隔てて浴室だ。

音。気配。湿度。温度。ダメだ。無理だ。逃げるほかない。


「……、……」


――なぁ、俺ァ、公衆浴場に、行ってくると。……そう言おうとして、言葉は出てこなかった。


万が一を考える。――万が一、ほんの少しでも、"しょんぼり"を見せられたら。


『そうなのかい?わかった』


なんて、なんでもない顔をして頷かれた表情に、一粒でも寂しさが見えたら、……もうだめだ。

ならば、最初から俺が苦しむだけでいい。辛いのは……俺一人でいい。――そんな変な方向に決意が固まる。なお、ただの風呂である。


「んん、寒いね。早く帰ろう」


ひとつ肩をすくめたルシアンが、するっと風下に立ち、ガルドを風よけにする。

さも当然のように滑らかな身のこなし。すれ違った冒険者が、道脇の木箱に足をつっかけたような破壊音を立てたが、――ガルドはそれどころではない。


風よけだ。並んで歩いているとか、もうそういう距離じゃない。ほぼ寄り添っている。俺寄り添われてる……?

視界の端、肩先にちらつく柔らかな髪が近すぎる。


「…………」


ガルドは、何も言えない。というか、何を言われたのかが思い出せない。会話の応酬を道端に落としてきた男。雇用主に風よけにされる護衛。もう崩せない足取り。


風呂、どうする。音が聞こえる。いや、野郎同士だ。

……いや、もうそれでどうこうっていう段階じゃねぇ……。


もうすぐ宿の灯りが見えてくる。まるで処刑台にでも向かうかのような心地……んん、処刑されるのは俺だけか……。


通りは夜風で冷えているというのに、この心中はひとっつも穏やかではない。ガルドの額に、まだ宿の気配が届く前から、じんわりと汗が滲み始めていた。






宿カルネティアへと戻れば、門番の衛兵がふたりを見とめて、すらりと丁寧な会釈をした。

音もなく正面玄関が開かれ、中へ。外気を遮断した宿内は、どこも一定に暖かい。

落ち着いた仕草で一礼をした受付の従業員が、カウンターの下から部屋の鍵を取り出し、――ちら、とふたりへ視線を向けたのちに、前に出ていたガルドへ差し出した。


「お帰りなさいませ、湯張りが済んでございます」

「……、ああ」


――ぐ、とガルドが顎を引いたのは、そうだった、という表情だった。

昼過ぎに宿を出る際に、カウンターに鍵を預けに来て、そういえば聞かれた。"お帰りに合わせて湯を張りましょうか"と。


留守中に客室には入られるのには少々抵抗があったが、その時隣の男が"いいね"とでもいうかのように頷いたのを見て、ならばとそれを頼んだのだ。

まぁ、盗まれて困るものもない。大剣も置いたままだが、あれを持ち逃げできる豪胆な者がいるなら拝んでみたい。

何よりルシアンの選んだ宿だ、そんな不届きなことをする輩もいないだろうということで、……部屋の入室を許可して、……風呂の用意を頼んだが……。



――心の準備をする余地もなくなってしまった……。



手の中を鍵をヂャリ、と鳴らしながら、ガルドが階段へ向かう。受付へひとつ目礼を向けながら、ルシアンがその背を追う。


明るい色合いの絨毯が、床からの冷えを遮断するかのようだった。靴音まで吸い込まれてしまい、客室へ向かう足取りに現実感がない。


部屋の前につき、鍵を回しながら隣の雇用主を見る。

冷えた頬がわずかに赤くなっていて、夜風にさらされた髪がひとすじ額に掛かっていた。

扉を引けば、するりと滑り込んでいく淡い背中。


「寒かったね。君、先にお風呂に入るかい」


扉近くで室内履きに履き替え、ルシアンが外套の金具を外す。脱いだクロークは、壁際のスタンドに。

肩掛けの革鞄も外して、こちらは作り付けの棚へ。

ガルドもまた重たい外套を外し、同じくこれを壁際のスタンドに。


「……いい、冷えたろ。先に入れ」

「そう?ありがとう」


笑いながらこくりと頷き、ルシアンが手早く着替えをまとめて浴室へ。白い扉が丁寧に閉まる。ぱたん。



「……、……」


それを見送り、ガルドは――ゆっくりとベッドに腰かけた。


というよりも、もう、脱力した。


――初日だ、まだ。この街に来たばかりだぞ俺。それでこれか。

しかもなんだ、「先に入れ」だなどと偉そうに、ちょっと彼氏っぽかったな……?

いや違うそうじゃない。そうじゃない。どっちかといえば旦那――いやだから違うそうじゃない。くそが。


護衛、黒髪を、手のひらでぐしゃりと混ぜる。


それもこれも、魔力核の揺れでは死なないという、まさかの情報の更新があったから。

あれからもうことごとくガタガタである。


「…………」


なんだかようわからん幾何学模様の絨毯が敷かれた床を、睨む。


まぁ、だが、結局……、……結局、あれは通りすがりの魔術師が言っていただけ。

ルシアン本人から聞いたわけではない。


「……、……聞くべきか?」


……――なんて言って……?

ベッドが、ぎしりと軋んだ。


しかし、街に着いてからずっと、自分一人であたふたしすぎて、すごく損している気がしてきた。


そうだ、わからないじゃないか。

他の魔術師は死ななくてもルシアンは命に係わる可能性もある。

本人から聞いたわけではないのだ。聞こう。聞いてやる。くそ。


「…………よし、」


――パシャ、



決心がついたところに湯の音が聞こえてきて、思考再び停止――。


ついでに身体の動きも停止……。


ガルドは両肘を膝に乗せ、手のひらで顔を覆った。

ごつい指先が、髪の間からこめかみを押さえる。まるで頭痛でも患っているかのような姿勢だったが、実際には頭痛より質の悪いものが脳内を駆け巡っていた。


浴室の扉越しに、しずかな湯の音。

パシャ……と小さく跳ねる水音が、息を飲むのと同じタイミングで耳に届く。


……。音的に……木桶か何かで……身体に湯をかけ


「ンッ、ンンッ……」


特大の咳ばらいをひとつ。そのまま無造作に立ち上がり、窓辺へ。背中にまでじんわり汗が滲んでいる。熱い。この部屋暑い。

試しに窓を開ければ、眼下に旅宿通りが見える。夜だというのに往来は多い。旅人や、商人、仕事帰りの職人連中。冒険者の数もまぁまぁ、住人も行き来していて……、


(……部屋が冷えるか……?)


…………湯冷めはいけねぇ、と、窓を閉める。身体は冷めなかった。


ガルド、天井を仰いで、長く長く息を吐く。精神統一。心頭滅却。雇用主の風呂を想像して死にかけている護衛がどこにいる。ここか。俺か。バカか。

その瞬間、また湯が流れる音がして、喉がひくりとした。


(……助けてくれ……)


声にならない、吐息のような嘆きが、広い部屋に溶けていく。


たかが風呂。ただの風呂。なにも、見てるわけじゃない。特別なことでもない。健康管理。衛生維持。俺だって入る。


(――……俺も、入る……?)


アレのあとに……?



睨みつけた天井から、護衛の眼差しは、しばらく戻ってこれなかった。






――【ただの風呂だろ、ただの風呂】

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