【穏やかなひと時】
交易都市、レストロワ。
到着初日のこの日は、自由に散策に歩けるようになったのが昼をだいぶ過ぎてから、というのもあり、ふたりは街の南側の通りを少し流してみることにした。
レストロワの中心に位置する中央広場から、南門方面へと向かっていく大通り、"運輸通り"。
南門近くにこの都市の運輸ギルドが建っており、馬車や大型荷車の待機所、馬匹用の大厩舎、鈍足だが馬力のある荷曳き魔獣の囲い場など、その敷地の広さは商業ギルドにも引けを取らない。
この運輸ギルド、もちろん他の街にも小さな出張所としては存在していたが、拠点級のギルドを間近で見るのは、――ルシアンも初めて。
今も、のっそりとした荷曳き魔獣によって、重荷車に積み込まれた石材や金属素材が曳かれていくところで……、背に岩のような甲殻を背負った大型獣が、牽引士の誘導に鼻を鳴らして遠ざかっていった。
「……魔獣だ、すごいね……」
「……頭はよくねぇから、前に立ってたら普通にあぶねぇぞ。アレは避けてくれねぇ」
「ふふ、わかった」
柔らかく笑ったルシアンがギルドの建物に視線を戻せば、大厩舎にせっせと飼い葉の山を運んでいく厩務員の背中が見えた。かすかに馬のいななきも聞こえる。
銀の眼差しが緩く細まり、ついで隣の護衛を見上げる。
「グリモ元気かな」
「……さぁな。のんきにしてんじゃねぇか」
答えるガルドの声も、……どことなく柔らかい。そのままふたりは踵を返し、また運輸通りをゆっくりと戻っていった。
大通りに面した街並みは、どこも二階建て以上。屋根の上に登れそうな造りの建物も多く、一階部分はほとんどが何かしらの店舗のようになっていた。
それらはレンガ造り、というほど上等でもない。けれど丁寧に切り出された石材が使われた外壁が、まるで統一されたように通りを彩る。
整った風景がゆっくりと沈み始めた夕陽に照らされて、……けれども街は、まだまだ眠る様子はなかった。
中通りを見つけて無造作に足を踏み入れてみれば、食事処の多い通り。
む、とガルドが眉根を寄せ、街路を見渡す。
「……、さっきの飯屋がある通りだな」
「うん?反対側から歩いてるということ?」
「ん、だな」
しかめっ面で返ってきた声に、小さくルシアンの肩が揺れる。
とはいえ、街自体が広く大きい。先刻の昼食の時だって、きっとこの中通りの半分も歩いていない。同じ通りとは思えないほどに、食事処も屋台も様々だ。
「夕飯も、この通りで探そうか」
柔らかに向いた笑みに、ガルドもひとつ、頷いた。
まだ浅い夜の中、街の灯りが料理屋の窓越しに揺れていた。
街に来た初日――まぁ少々騒がしかったが、そんな日の、静かな夜。
明日の予定もない。急ぐ旅路でもない。
向かい合う食卓には、肉厚なローストと温かなスープ。その傍らで、果実酒のグラスが控えめにきらめいている。
いつものようにルシアンは、自分の分を取り分け、食事を楽しみ――、そしてガルドが食べ終わるのを、果実酒を飲みながら待つ。
銀の瞳は揺れる液面を眺めて、穏やかに微笑むだけ。
「……君との旅も、慣れたものだね」
――そんな中、ぽつりとルシアンが呟いた。赤い瞳がちらと正面を見やるが、けれど視線は交わらない。
だからガルドも目線を皿に戻し、静かに夕食を片付けていく。
手元のローストの骨は、すでに脇に寄せられている。スープの器も空になっている。ナイフを置く仕草は雑ではないが、妙に慎重だった。
それが、ルシアンの言葉に反応している証左であることは、……本人だけが気づいていない。
「……まぁ、慣れたな」
低く返すその声に、グラスの淵がかすかに震えた。
「てめぇみてぇなお坊ちゃんが、歩き旅なんざ無理だろと思ったがな」
「ふふ」
――そう?とでもいうかのような、とぼけた笑顔。
その眼差しに、相槌を求める気配はない。ただこの夜を、旅の中の一つの夜を、大切に過ごすかのような。
しばらく沈黙が降りる。
料理屋の外では、街路灯が通りを照らしている。風もなく、人々の賑わいに満ちた夜だ。
なのにこのテーブルは静かで、どちらも立ち上がらず、帰るともない。淡紫の男はただ静かにそこにあって、ただそれだけで、胸の奥が妙にざわつく。
慣れたはずの時間。けれど、今日のそれは、なぜか少しだけ違って見える。
――きし、と音がする。
ルシアンが、椅子の背もたれに身体を預けた音だった。
「……あの日、ギルドで暇そうにしていた君に、何とはなしに声をかけてしまったけれど」
……ガルドが、眼差しは伏せたままに、鼻を鳴らす。それは、かつての護衛契約を持ちかけた時の話。
旅をするのに案内人を必要としていたルシアンは、ひとり、冒険者ギルドに足を運び、その喧騒と独特な空気を興味深げに見ていた。
周囲の冒険者たちもまた、ギルドにまるで馴染まない貴族然とした男の来訪に、無遠慮な視線を投げかけてくる。
視線を向ければ口を閉じる。笑みを返せば視線が反れる。
彼らでは対等になりえそうにないなとルシアンが思っていたところで、ギルド内の食堂の端、誰も近寄らせぬ空気で一人、座っている男がいた。
ルシアンの微笑みにも、威圧で以て返してくる。
だが、襟首を掴みかかってくるでもない。
『旅の護衛をしてくれる方を、探しているんですが』
そう声をかけた柔和な笑みに、静かな見定めの視線を向けてきた男が。
今、目の前でともに飯を食っている。
「……あの時の空気の凍りようも、なかなかだったね」
「そりゃお前……俺に声かける奴なんて命知らずか阿呆だ」
「ええ……」
わずかに肩をすくめて、ルシアンが小さく笑う。その頬が店の魔法灯に照らされて、柔らかな光を帯びている。
手元の杯で、底をつきそうな果実酒が緩く揺れていた。
「私はどっちだった?」
「てめぇは両方だな」
片眉を吊り上げて返したガルドに、また、ルシアンの肩が揺れた。この、一見雑に扱われるような距離が、……ただの"旅人のルシアン"としてくれるこの場所が、心地よくて。
それはきっと、あの日、あのギルドにいた他の冒険者たちの誰からも、得られないもので。
「声をかけたのが君で、本当に良かったよ」
――微笑んだルシアンが、また一口、果実酒を含む。
言葉がまっすぐに、このままに、この護衛に届かないことは、知っている。
きっとあのしかめっ面の向こうで、「誰にでもそう言うんだろう」とか、「俺じゃなくてもよかった」とか、考えていそうで。
それでも、本当に助かっていると、旅の供が君で嬉しいと、少しでも伝わればと……ルシアンはそう思った。
けれど。
「……俺も、お前で良かったと思ってるよ」
予想外に素直な言葉が返ってきて、思わず銀の瞳がそちらを向く。
ガルドはわざわざ目を合わせはしないまま、また眉間に皺もないままに、空になった酒杯に視線を落としている。
しかしそのあとすぐに、照れ隠しのように椅子を引いて立ち上がった。
「……、チッ、もう戻るぞ」
舌打ち混じりに、椅子の背にかけていた外套を乱暴に引き上げ、羽織る。ごつごつと床を鳴らして出入口へ向かう背中は――、いや耳が赤いか。
ぶっきらぼうなその背に、ルシアンが静かに笑ったように見えた。
――【穏やかなひと時】




