【それがこの街を守る】
応接室の扉が静かに閉じられた、瞬間――。
それまで緊張で凍っていた空気が一気に解け落ちるように、ラスタールはどさりと応接のソファに沈み込んだ。
顔には疲労が張り付き、その隣では気配を消していた主任書記官の女性が、優雅に紅茶などを飲んでいる。
「……いやはや、冒険者ギルドはすごい人材をお持ちだ」
「……恐縮です。ですが、彼らは私どもでも、ちょっと……」
「ああ、そう見える!」
困ったように答えた女性に、ラスタールも肩を揺らす。
対面には、一切手の付けられなかった紅茶のカップ。すっかりと冷め、湯気などはない。
口にしていた紅茶をかち、と受け皿に戻し、主任書記官が腹の奥からため息をついた。
「……かの軍都クレストンのスタンビートで、南門を防衛したのもあの方です」
「なんだと」
「ヴァルクレッサも、一晩で十体を討伐したとか……」
「十体!そりゃすごい!ははっ、は……」
ラスタールは笑ったが、零れた笑いは乾いていて、その後はもう何も言葉が出てこなかった。
今目の前で、ふたりを見て思った。恐らくその功績は、"無哭"だけのものではない。
あの銀の瞳、確かに微笑んでいた。だが――まるで、自分の存在ごと消し飛ばされるのではないかと、本能が警鐘を鳴らした。
「……ただの旅人ではないだろうな」
「……ルシアンさんのことを言っているのであれば、それを探るのは冒険者ギルドの禁忌となります」
冗談めかして、にこ、と目を細める女性に、ラスタールも苦笑いを返す。そんな恐ろしいこと、頼まれてもしたくない。
「……正直わたくしも、ルシアンさんを直接拝見したのは初めてで」
「ああ……あれは……」
「――ああして、両者とも、他を圧する存在感です。それが、"隣に立っている"のです」
「……は、」
ラスタールが顔を手で覆いながら笑う……だがそれきり。観念の笑いだ。
「わたくしも身に沁みました。あれは決して、干渉せず、詮索せず。ただ、"並んで歩く"その姿を、街の者に見せるだけでいい」
冷めた紅茶を見つめる主任書記官の声は、上品でありながら、どこか釘を刺すような響きを持っていた。
ラスタールも、ゆっくりと頷く。
ああ、いいじゃないか。こちらから何もせずとも、"並んで歩く"だけで、抑止となる。ならば街の観光を楽しんでくれるだけでいい。幸い、この街には飯も物も、舶来品も山のようにある。
――だからせめて、それらが、このレストロワが、彼らを繋ぎ留めてくれればいい。
「……しばらくこの街は安全だなぁ」
楽観的なラスタールのその呟きは、……もはや、せめてもの現実逃避だった。
一方、扉を抜けた廊下。
静けさに満ちたギルドの奥、その廊下を、ギルドホールへ向かって歩くルシアンの足取りは……変わらず静かで、柔らかい。
だがその背に立つガルドには、言葉にならない熱があった。
あの場の全てを支配し、制して、それでも柔和に笑ってみせたその背。
その"格"……のようなものは、今までも散々見せられてきた。だが今回は明確に、一つの意思が滲んでいた。
――『これは私のものだぞ』、と。
だからこそ、何も口を出さなかった。
ガルド自身、その舞台を、鑑賞していたかったのかもしれない。
「……街の、北は」
ぼそりと漏らしたその声に、ルシアンがわずかに、肩越しに目を向ける。その瞳は、もう仮面ではなかった。
気配の鋭さはもうとっくに引いていて、ほんの少し――安心の色が宿っている。
「……北は、職人工房通りだ。南は運輸通りだが、民家が多い。……すんだろ、散歩」
それだけを言い、ガルドはその隣を歩く。
まだざわめくギルドホールを通り、正面の大扉を抜け、二つの影は西部広場へ。
護衛からの散歩のお誘いに、しばし黙ったままだったルシアンも、ひとつ楽しげに笑う。
「うん。ついでに夕食のお店も探しちゃおうか。夜は何が食べたい?」
午後の陽が斜めに差し込む西部広場。
大通りには、まだ行き交う人影が多く、秋の空気がほんのりと肌を撫でていく。
わずかに肩を傾けて覗き込んでくる笑顔は、確かに今も隣にある。それが確かに彼が選んだ立ち位置であるという事実に、ガルドはほんの少し、顎を引くしかない。
「……つって、はしゃいで離れんなよ、ただでさえ人多いんだ」
精一杯の照れ隠しは、護衛としての言い訳で縁取られていく。けれど心の底で、護衛としてだけではない誇らしさが、ゆっくりと滲んでくる。
「ふふ、頼りにしてるよ」
笑う声は、もう何の防壁も意味をなさず、柔らかく耳に届く。
その言葉を受けてしまえば、もう後戻りなどできない。戻るつもりもない。
――ああ、歩幅が合ってきた。
それは、隣にいるのが、当たり前になってきた証拠。
街の喧騒の中、ただ静かに、ふたりの足音だけが揃っていた。
――【それがこの街を守る】




