【ふたりが在るということ】
ギルドホールから、廊下を行き、人々の声も届かない、その奥。
重厚な扉の前で書記官が控えめにノックをすれば、室内から小さく返事があった。
扉が開かれる直前、隣に並んだルシアンの手が、ふわりとガルドの腕に触れる。――まるで、"待て"のような仕草。
一拍置いたガルドも、開かれたその扉に淡紫が先に歩を進めていくのを……黙って、許した。
冒険者ギルドの中でも格式の整ったその応接室には、女性と、壮年の男がいた。
女性のほうは身なりからして、このレストロワ支部の主任書記官で、……恐らく顔役とは、この壮年の男のことであろうと検討がついた。
二人は何やら談笑していたようだったが、ノックののちに入室してきたルシアンとガルドを見て、顔役が一瞬だけ目を見開く。
が、すぐにスッと立ち上がり、微笑みながら手を差し出した。
「御足労いただいてすまない、顔役のラスタール=レストロワだ」
――対するルシアンは、もうすでに笑顔の仮面を張りつけており、……静かにその手を取る。
「ルシアンと申します。彼はガルド・ヴェルグリム。先程街に着いたばかりでもう顔役殿にお目通りが叶うとは、強い護衛を持って私は幸運ですね」
「は、……ああ、」
これは私の所有物だ、という言外の言葉が覗き、顔役が苦く笑う。
希少価値の高い"白焔リザード"の素材が持ち込まれ、なおかつその売主が高ランクの冒険者だと聞いて場を設けてみたが――。
この妙に目を引く青年は、笑顔だが目の奥が笑っていない。その後ろにいる巨躯の男が件の冒険者なのだろうが、腕を組み、こちらと主任書記官を一瞥している。
その赤い視線に、少なくとも友好的な色はない。
握手を交わした手は、ひたりとどこまでも丁寧で、けれど離すのにもやや気を遣う。
「……立ち話もなんです、お掛けになっては」
落ち着いた調子の主任書記官の声に、するりと両の手が離れた。
ルシアンはそのまま流れるようにソファにかけ、ガルドが黙してその後ろに立つ。
対面のソファにラスタールも腰を下ろしたが、……なぜそっちの"護衛"のほうが話の場につかないのか、などという疑問を抱くことすら、許されるのかどうか。
それはまるで、この大男のすべてを握っているのが、穏やかな空気を纏うこの青年に他ならないということを、場の空気で指し示すようで。
「さて、私の後ろにおりますのが、顔役殿の欲した私の護衛になりますが……」
後ろを一切振り返ることもなく、涼しく整った声が応接室に響く。仮にも街の権力者を前にしているというのに、その銀の眼差しは少しもぶれない。
その背に立ち、巨躯の男は一言も発さぬままに、ラスタールを睨んだ。――いや、視線を向けただけで、元々がこの顔なのだが、……それを受け取る側の印象は違った。
口の端をひくつかせるラスタールを見て、ルシアンもそれを察し、緩く笑みを浮かべる。ああ、また勘違いされているね、――それで、お前たちにこれの手綱が持てるのかい。
まるで、そういう笑みだ。
ラスタールの指先が、かすかに揺れる。
(――なるほど、この男が)
内心の呟きが表情に出かねなかったのを、笑みを強めて誤魔化す。
正直、この規模の都市を回すとなれば、とてもじゃないが街の衛兵隊だけではどこにも足りない。力のある冒険者が滞在するようであれば、街の非常時には是非力添えをお願いしたい。
これには冒険者ギルドも協力的で、その背景は"所属の冒険者が治安維持に貢献できる"と対外に示せるため。
冒険者がただの"荒くれ"ではなく、"都市機能の一部"になり得ると可視化できれば、それが他組織との力関係にも影響してくるためだ。
だから――、いわゆる"双方に利益のある"協力規定ではある。
――だが今にして思えば、今回ばかりは、報告に来たギルド職員の顔色が……確かに違っていた。
『顔役、Aランク冒険者が先ほど街に……』
『なに!それはいい、是非こちらから挨拶に伺おう!』
『あっいえ、ですがその、……一筋縄では……!』
――ああ、それはそうだろう、何故って高ランクの冒険者だ。ラスタールはその時、それ以上の報告を求めなかった。
ただ己を研鑽し、冒険者ギルドの厳しい昇級査定を越えてそこまで登りつめた者だ。半ば都市伝説に近い"Sランク"を除けば、ほぼ最高戦力に近い逸材。気難しいか。報酬に厳しいか。金や名声ではなく弱者の言葉で動く者もいる。自分なりの特別な矜持を持つ者も。
そんな想像に胸を膨らませて来てみれば、どうだ。
高い砦があり、本人との会話の土俵にも上がれない。
けれどもその赤い眼が、その威圧感が、この空間を完全に制圧している。
指一本動かさず、言葉ひとつ発さず。
その空気を意にも介さぬ様子で、涼しげに膝に手を添える、砦。
動作ひとつにすら、品格と余裕が漂う。
――選ばなければ、言葉を。……"これ"は、違う。
応接机の端に手を置き、ラスタールが薄く口を開け、小さく息を吸う。
助けを求めるように、隣――ギルドの主任書記官に視線をやれば、彼女がひとつ深く息を吐くのが見えた。
権力や支配を何よりも嫌う"無哭"が……まさかこうして面会の場に姿を現すとは。
恐らくこれもまた、この淡紫の魔術師――冒険者の間で"無紋"と呼ばれる、この男がいるからこそなのだろう、と。
「……いや、まずは、歓迎を」
何とか振り絞るように、ラスタールがようやく口を開き、……視線はルシアンに集中させることとした。
薄く皺の寄った笑顔の裏に、かすかな焦燥。視界の端では、ガルドの輪郭がちらつく。
目の前の魔術師から、返答はない。柔和な微笑を携えたまま、首の傾きだけで続きを促している。
さながら、"会談"ではなく"観察"のように。
「――その上で、先ほどのお言葉に答えよう。ヴェルグリム殿を都市の所有戦力として扱う意図はない」
「……と、言いますと」
「っ……この街は規模も大きく、人や物も集まる。それを狙った魔獣や賊の襲撃も後を絶たず、衛兵隊だけでは手が回らないのが実情だ」
ラスタールの言葉は、丁寧に選ばれていた。
本音を曝し、時に隠し、主導権を探りながら、互いの手を読む――そういう場面に慣れている人間の話し方。
だが正直――、もう、完全に面食らってすらいた。
高ランク冒険者。それに手放しで喜べるほど、浅慮ではない。人のかすかな機微に、その裏の考えにたどり着けなければ、この交易都市の顔役など務まらない。
しかし目の前の彼らはどうだ。
片や端然とそこにあり、どこまでも底の見えない笑みで、どこか抗い難い風格を漂わせる青年。
片や大柄な体躯に古傷を刻み、怯みもせずこちらを見据えてくる獣のような男。
目の前の青年がもし指先を動かせば、いつでもこちらに襲いかかってくる気迫すら、ある。
もう既に、この場の支配権が、……交渉の主導権がどこにあるのか……、それが、肌に刺さるようにわかる。
「っ、街の治安は、表向きは良好だ。お願いしたいのは、"私の剣"ではなく……街の緊急時における協力の可否と、……連絡手段の、確認を……」
――苦しくもそう重ねる言葉は、銀の微笑のどこにも、響いていない。
だからラスタールは、……口を閉じる。
静かに痛感するのは、己の言葉が相手の胸に届かないという、"断絶"。
しばしの沈黙。
起こったことといえば、ルシアンの眼差しが、ひたりとひとつ、瞬いただけ。
「……そうですか。お話は理解致しました」
「…………」
「ですが彼、私の隣ではこの通り護衛然としてくれているのですが……、なにぶん私も彼も"自由"を好みまして……」
応じたルシアンが言葉を切り、ソファの肘掛けに指先を遊ばせる。その細い指がゆるく曲がるだけで、ガルドの肩がぴくりと動いた。
魔術師の小さな一挙一動を、何一つ見落とさない、獣。彼の指示ひとつで、この場に凄惨が訪れる、幻覚。
……ぴた、とその指先が、動きを止める。
「……とはいえ、市民の安全を軽んじる意図はございません。"街にいるだけでいい"のであれば、しばらく滞在したい思いはありますよ」
そうして、ルシアンが唇にふわりと微笑を浮かべた。
その笑顔は、どこまでも穏やかでありながら、不思議と従わせる力を秘めている。
言葉にすれば、何の変哲もないはずの返答。
だがラスタールは、目の前の柔らかな笑みを見て――戦慄に近いものを覚えた。
なにかを掴ませてやったようでいて、すべて手の内にあるという錯覚すら抱かせる微笑。核心を一切渡さない。踏み込ませない。
まるで、氷の上に設えられた絹の道を歩かされているような、そんな感覚。
(――敵に回してはいけない)
本能的な警鐘が、静かに鳴る。
何よりも、もう一人の男――"無哭"の存在が、その緊張に拍車をかけていた。
威圧はある。牙の気配も。友好的な部分も見受けられない。
だがこの男がいるだけで、街が"守られている"ように思えてしまうのも……また、確か。
そして、その男が、たったひとりの魔術師の隣にだけ、立っているという現実。
ラスタールはようやく、悟る。
――ああこれは、ふたりでひとつなのだと。
「……承知した」
細く、わずかに息をつき、ラスタールは頭を下げた。……敬意を込めた、街の顔役としての敗北宣言だった。
その瞬間、場の空気がふっと緩む。ルシアンの表情に張りついていた仮面が、ごくわずかに和らぐのが見えた。
理解したように淡紫がひとつ頷き、緩やかに立ち上がる。すかさず、大きな影が傍らに立ち並ぶ。
……それに縋るわけではない。縋るわけではないが、ラスタールは絞り出すように言葉を続ける。
「滞在中、我々でなにか力になれることがあれば……」
返ってきたのは、肩越しにふわりと会釈をする仕草。その動作一つに、あまりにも優雅な重みがあった。隣の赤い瞳は、もうこちらを見てもいない。
"抑止力"。
それは、剣でも盾でもなく――このふたりが、街に「並んで立っている」ことそのものなのかもしれなかった。
――【ふたりが在るということ】




