【無哭殿、ご指名です】
ギルドの重たい扉を引けば、昼下がりの穏やかなざわめきが再び迎えてくれた。
受付前の冒険者たちがちらりと目を向けるが、ふたりの姿を確認してすぐに視線を逸らす。
早くも、静かに、確実に……"無哭と無紋"の存在は、この街でも根付き始めているようだった。
素材買取カウンターに足先を向ければ、窓口には先ほどの職員の姿が。
既に台帳を開いて待機しており、歩み寄ってくるルシアンらの姿を見るなり、立ち上がって軽く頭を下げた。
「お待たせいたしました。査定、すべて終了しております」
そう告げながら手渡してきたのは、査定額がのった紙。ふたりが覗き込めば、それぞれの素材の品質が良かったのか、相場よりもやや高めな値段設定。特に白焔リザードの素材は珍重されるため、こちらの査定額もかなりのものだった。
「火核と鱗甲は組合と職人ギルドのほうへ回します。残りは商業ギルドへ卸し、都度需要に応じて差配となる予定です。……以上でよろしければ、こちらにサインを」
こくり、とひとつ頷き、ルシアンが静かにガルドを見上げる。素材の良し悪しはわかれど、その査定相場については、ルシアンはまだそこまで明るくない。ここでガルドが頷けば、"過不足なし"といった具合。……これも、旅の中で自然と定まった、静かな決まりだった。
しかしガルドの視線は、紙面にはあれど……どこかここにあらずといった様子だった。表情は苦い。
査定人が小さく肩を揺らす。――まさか、納得いただけなかっただろうか。できる限り頑張って、商業ギルドで値段交渉という名の戦いを繰り広げてきた。
だが白焔が超貴重な魔獣で、その火核なんてレアなんてもんじゃないというのも確か。正直ここに関しては、商業ギルドの書記官と一緒に頭を抱えて唸ってきた……のに、"無哭"のお眼鏡には叶わないというのか……!
「……ガルド?」
「ん、ああ」
ルシアンに呼ばれ、ぴくりとガルドが隣を振り返る。振り返った先の視線の置き場が"腰"に行きかけて、――即逸らす。骨盤のあたり。……魔力核の上。
あの一瞬の引き寄せが、"意図的でない"ことは隣の魔術師も理解してくれてはいるだろうが、それでも……。
先ほどから、それだけがガルドの脳内を巡っていた。
「なんだ……ああ、査定な、それでいい」
「うん……?」
不思議そうに首を傾げたルシアンが、カウンターに置かれた書類にサインをひとつ。査定人は肩の力が抜けたように胸を撫でおろしており、報酬袋を取りにすぐに奥へと踵を返す。
ペンを置いたルシアンが、そっと視線を上げる。
その銀の瞳には、ただいつも通りの微笑が浮かんでいるだけ。昼食で腹が膨れて、ほんのわずかに緩んだ笑みがあるだけだ。
まるで命からがらといった様相で報酬袋を差し出した査定人に、訝しげに眉根を寄せたガルドがそれを受け取る。また一つ深く息を吐き、静かに中身を確認したのち、袋を腰のポーチへと収めた。
「街を散策してみようか」
「ああ――」
「――あ、あのっ、」
素材買取のカウンターから踵を返しかけたふたりに、……鋭く声をかけたのは、受付近くにいた書記官風の職員だった。
――ぴた、と一瞬だけギルドホールが止まる。外套を揺らすこともせず、柔和な微笑みで以てして振り返ったルシアンの後ろで、護衛がひどく険しい顔をしている。
「……、はい。我々でしょうか?」
「す、すみません、あの、ガルドさん、に……」
今にも消え入りそうな書記官の声に、ガルドは数ミリ眉を吊りあげた。ルシアンの柔和な表情は、揺るがない。
「彼が何か」
「…………」
優雅ささえあるルシアンの声に、低く睨むガルドの視線に、ギルド内の空気がひやりと落ちていく。
受付嬢が、カウンター内の職員が、じわりと背を伸ばす。肩を引く。まるで咎められているかのような……、……いつかベルミード支部からの通達にあった『無哭と魔術師には触れるな』というあの一文――。それが、今再び脳裏に突きつけられているかのような。
けれど、引くに引けない、事情もあった。
「……その、高ランクの冒険者が……街に滞在中は、その、非常時協力規定を、と……この街の顔役が申しておりまして…」
「…………」
――にこり、と微笑むルシアンの顔は、完全に仮面であった。その下にほのかに混じるのは、拒絶の色。
一歩踏み出そうとしたガルドが、その横顔を見てしまい……口角に、苛立ちよりも先に、ほんの少しの愉悦が浮かんでしまう。
「もっ、もちろん、ガルドさんはルシアンさんとご契約を結んでらっしゃるのは、職員全員がきちんと把握しております!ですが、その、お目通りをしていただく決まり……なの、です……」
書記官の語尾は、もはや泣きそうなほどに細かった。
無哭は怖い。今まで何人の職員が睨まれてきたか。こちらに寄り添ってくれることもない。緊急の討伐依頼などの案件を打診すれば、特大の舌打ちとともに乱雑に依頼書をもぎ取っていくような男だ。
だから、それが護衛業に納まったと聞いて、どこの支部でも"まさか"といった風潮だった。あれの手綱を握れる奴なんて、いるわけがないと。
それが、今、目の前で微笑んでいる。
剣もなく、睨みもなく、ただ微笑んでいる。
何よりあの"無哭"が、微動だにせず黙してその後ろに立っているのが、全ての答えに見えて。
ギルドホールの空気は凍り付いていた。冒険者たちが噂をする声すら聞こえてこない。併設の食堂ですら、冷や水を打ったように徐々に静まり返っていく。
そんな中、ルシアンはしばらく黙っていたが、周囲の張りつめた静寂を断ち切るように、ガルドへ目を向けた。
「まだこの街の美味しいものを全然食べきれていないし、これを断って居心地が悪くなっても困るね、ガルド」
「…………」
見上げてきた銀を、ガルドがじっと見つめ返す。
受けろ、ではない。喧嘩をするぞ、でもない。ならば見てみようか、といった具合か。
まるで散歩にでも誘うかのような口調が、どこをとっても"ルシアン"だった。
「……ああ、わかった」
低く返したガルドの声に、ホールが息を吹き返した感覚があった。ざわめきが戻った、というよりは、呼吸の糸がまた繋がった感覚。ガルドがひとつ、肩を回す。
面倒は面倒だが、ルシアンの意図はわかる。ギルドとの関係性も、この街での立ち位置も、旅の安寧も、必要以上に波風は立てたくないという判断だ。
ただこの柔和な魔術師が、自分の意志では絶対に行かない場所を選んだ、ということも、よくわかっていた。
――だからガルドは、あえて従う。歩み出す足は、ルシアンより半歩先を行く。
「……どこ行きゃいい」
「は、はい、あの、実は、もういらっしゃってまして……!」
臓腑に落ちる無哭の威圧に、書記官はなんとか舌を回して、廊下奥の応接室を手で示す。
そちらに視線を向けたガルドが、ちら、と隣の肩先に目をやって、ひとつため息をついた。
「――案内しろ。長引くようなら、話すまでもねぇ」
「っ、はい!」
鋭く声を上げた書記官が、足をもつれさせるようにして先導を始める。
ルシアンとガルドも一瞬だけ顔を見合わせ、けれども顔色ひとつ変えずに部屋へと向かう。
周囲の冒険者たちはもはや言葉も発せず、ただその背中を見送るだけ。
そこに在るだけであらゆるを圧倒する"無哭"。
その隣で、柔らかくも底の見えない微笑みを浮かべる、"無紋"。
このふたりが、この街の権力者と会うことを選ぶ――ただそれだけで、あらぬ憶測が飛び交う。
ふたりはただ、美味しいご飯のために会うだけ……かもしれないというのに。
――【無哭殿、ご指名です】




