【せめて昼食は穏やかに】
再び西部広場へと踏み出せば、雑踏と喧騒がまたふたりを包んだ。街の呼吸、物売りの快活な声、それらが昼過ぎの街に溶けていく。
「あっちに飯屋が多い」
ガルドが指さしたほうを、ルシアンも見やる。
西部広場から分岐するように中通りがあり、ぐるりと街の中心部へと向かっていくような流れ。周辺に旅人や冒険者用の宿が多いこと、レストロワの住民たちが利用することも多いことから、多種多様な店が立ち並んでいた。
その中通りへと進んでいきながら、ふたりが視線を巡らせる。
「何がいいかな……君は何が食べたい?」
「んん……煮込みのうめぇ店は多かったな」
朧げな記憶を引っ張り出しているのか、眉間に皺を寄せながらガルドがぼやく。隣の淡紫が頷く気配に、片眉で以てして返事をして、くん、と鼻を鳴らした。
ガルドは、獣並みの感性を持っている。
それは戦闘においてはもちろんのこと、危機察知や直感だけではなく、"うまい店の匂い"などにも適用され……、いつの頃からか、飯屋を探すのはガルドの仕事になっていた。
「……、あっち行くか」
「うん」
並んだ肩は、触れるかどうかといった距離。返ってくる声には笑みが混じっている。
大きな背に続きながらも、銀の瞳は近くの建物の看板を楽しげに眺めていく。
食べ歩きをするならば、常にアンテナを張っておかないとね……なんて、聞こえてきそうな横顔だった。
やがてガルドが立ち止まったのは、中通りからわずかに路地に入り込んだ店先だった。
まだ人通りこそ多いが、店構えは落ち着いていて、外壁には蔦が這っている。窓に花が飾られ、そこから人々が穏やかに食事をする店内の様子が窺えた。
赤い瞳がルシアンへ向けば、言葉はなくにこりと頷く仕草。ならばここでいいかと無言で店の扉を引くと、戸口の上部で控えめな鈴の音が鳴った。
中はこぢんまりとしていたが、清潔感があり、香草の香りがふわりと鼻をくすぐった。
昼食時の混雑もひと段落したのか、店内には空席もちらほらと見える。店員が笑顔で迎え入れてくれたのは、レストロワでは身なりのいい客も一定数は存在するが故なのかもしれない。
ふたりを窓際の席へと案内し、メニューを卓上に置いていく。
「後ほど伺いにまいります」
ルシアンににこやかに接する店員を横目で見ながら、ガルドが重たい外套を外す。ぎしりと木の椅子を軋ませて腰を下ろすと、ようやくふぅ、とひとつ息をついた。
「…………」
向かいの席で、メニュー表を静かに読み込むルシアンを、じっと見やる。
カルネティアのような宿での立ち居振る舞いは、自然。宿の従業員に丁寧な対応をされて億劫になるどころか、偉ぶりもしなければ普段の"ルシアン"のまま。
ギルドで好き勝手言われようとも歯牙にもかけず、その内に傷を負っているのかどうかすら読み取れない。
そうして今、街の食堂にこうして訪れて、メニューに並ぶ料理をどれにしようかと長考するような眼差しは――、この街に来てから一番真剣にすら見える。
けれどやはり、その睫毛の下の瞳が、どこか楽しげに揺れていて。
この街での数日が、せめて穏やかに過ぎればいい――、ふとそんなことを思いながら、ガルドも身を乗り出して対面のメニュー表を覗き込む。
「……何にすんだ」
「ううん……今日はちょっと肌寒かったし、やっぱり煮込みかな……」
「俺ァ肉が食えればなんでもいいな」
「ん、ふふ」
くすぐったそうに笑う銀の瞳に、ちょうど水を置きに来た店員が、わずかに指先をひくつかせた。その視線に気が付いたルシアンが顔を上げ、柔和な笑みをふわりと浮かべる。
「っ、し、失礼しました!」
「注文、いいでしょうか」
「あ、はい、ただいま!」
整った微笑を真正面から食らい、にわかに顔を赤らめた店員が急いで伝票を取り出す。
手元はどこかおぼつかなくなってしまい、わきに抱えた銀盆を取り落としそうになっていた。
ガルドが片眉を吊り上げて淡紫の男を向けば――ルシアンも視線で、"私のせいじゃないよ"ととぼけたような表情をする。
「肩肉と根菜の煮込みと、猪肉の香辛焼き、岩豆のスープを。ガルドは?」
「……肉盛り三種、パンふたつ」
「ッはい、かしこまりました!」
手早く注文を書き留め、店員が恥ずかしそうに奥へ引っ込んでいく。卓に肘をついてその背を見送り、……ガルドが小さくため息をついた。
「……ったく」
低くぼやいたのは、半ば様式美のようなもの。声音に苛立ちもなければ、呆れもない。眉間に寄った皺の奥にあるのは、諦めと、ほんのわずかな――誇りのような色だ。
見知らぬ他人にああいう顔をさせてしまうのは、まぁ、ルシアンのせいではない。彼自身、それを故意にやっているわけではない。
ただ、こうして毎度誰かがその"微笑み"に撃ち抜かれていくたびに、ガルドは思う。
それでも、自分のような男が、彼の隣にいる、と。
「……お前、どこ行ってもああだな」
片肘をついたままの姿勢で、護衛は視線をずらさずに言う。けれどその表情の奥には、どこか不器用な甘さすら滲んでいた。
それに対し、ルシアンも卓に片肘などをつきながら、小さくその肩を寄せて応戦する。
「君はああはならないから、助かってるよ」
テーブル越しに返ってきたその声には、冗談めかした軽さと、ほんの少しの甘さが込められていた。
――ガルドが、鼻を鳴らして視線を逸らす。負けである。
「……なってたらキリがねぇよ」
つい口を突いて出た言葉は、悪態にすらならない。視線を店内に向ければ、ちらちらとこちらを見やる視線。そのどれもがこの淡紫の男に向いていて、もはやため息も出ない。
ああ、そうだな、確かにそんじょそこらじゃ見ないような見た目だろう。
仕草も視線も立ち居振る舞いも、喋り口調ですら整っている。纏う空気も俺らとは違って、どこぞの貴族かお坊ちゃんか、気になるんだろう、お前ら。
まぁ、無理もねぇなと水のグラスを手に取って、ガルドがそれを一口。喉を冷たい水が落ちていって、そのままごつりとグラスを卓に置く。
(……、夜中に寒くて人のベッドに入ってくるような奴だぞ)
護衛、胸中に"こいつちょっとおかしい奴だぞ"の枠を生成しようとして、……引っ張り出してきた例題に頭を抱えそうになる。
間違えた。そこを持ってくるのは多分間違えた。腹が減って頭が働いていないのだ。きっと。恐らく。
一方周囲の視線に気づいているのかいないのか、柔和な笑みを浮かべているルシアンは全く意に介した様子もなく、ただ目の前のグラスに指を添えている。
細い指先が水滴を払うように動くと、陽光を受けた水面がきらりと揺れた。
「……そういや、」
「うん」
ふと、思い出したようにガルドが呟く。赤い視線はルシアンの手元にあるグラスに向いていて、ひとつ、瞬きをしただけ。
「――あれどうすんだ、……"無紋"」
ぼそりと落とされたガルドの声は、低く落ち着いているようでいて、どこか鋭さを含んでいた。
自分がどうこう言われるのは、正直もう、どうでもいい。
けれどまるでこの……"無哭"に付随するように広まってしまっているその符丁に関しては、まだ全然飲みこめていない。
「ありゃあすぐには消えねぇぞ。気づいてんだろ」
「…………」
その問いに、ルシアンは小さく顔を上げて、ほんの数秒の間を置いた。そうして、ごくわずかに、笑みの輪郭を深くする。
頷いたわけでも、肯定したわけでもない。ただ、そこに浮かぶ笑みが、無言の答えであるかのようで。
「……ふふ」
「……フフじゃねぇんだよ」
ぶっきらぼうに返しながらも、ガルドの声もどこか緩んでいた。
目の前の雇用主が、この程度のことで揺らぐ男ではないと……、そうとわかっているからこその、穏やかな緊張。ならばしばし眺めてみようかと思えるほどの、余裕。
静かなこの卓に、料理が運ばれてくる。香ばしい肉の香りが鼻をくすぐり、スープの湯気が互いの隙間を温かく包んでいった。
「猪肉の香辛焼き、熱くなっておりますのでお気を付けください」
「ええ、どうも」
店員との端的なやりとりの末、ちょっと遅めの昼食が始まる。卓に並べられた料理を切り分ける手つきはどこをとっても整っていて、……けれども何やら、ルシアンが小さく、ふ、と笑い声をあげた。
肉を口に運びながら、ガルドが視線を上げる。
正面の銀の瞳は料理に向いていて、けれど意識がガルドに向いているのが分かった。
「君は、自分が何を言われようと関係ない顔をしているのに、私が言われると怒るね」
「…………」
笑い交じりの口調に深刻さはなく、愉快そうな口調。まるで、君が代わりに怒るから、とでも言うような。
そうだとも、そうじゃないとも言い切れず――、ガルドが小さく鼻を鳴らす。そこまでわかっていて、野放しにしてるのはお前だろうがという文句もわずかに滲ませて――、
「気にしなくていいよ、"無紋"」
「……ああ?」
――初めて、本人の口からそれが発せられ……ガルドの手が止まった。
それは、カドゥルで貴族の息子から投げられた、侮辱の言葉。家紋も何も持たずに偉そうな顔をするな、と、言いがかりをつけられたもの、を……"気にするな"ときたか、と。
「……まぁ、……だな、俺にどうこうって話じゃねぇ」
思わず出てしまったのは、思いのほか拗ねたような言葉だった。言ってから、ガルドが自分でも苦い顔をする。――違う、そんなガキくさいことを言いたかったんじゃない、……小さく、舌打ちが漏れる。
けれどそんなガルドの呟きに、ルシアンはもう一つ、笑みを深くした。
料理を自分の皿に取り分け、多い分をガルドへ。日常が滲む、いつものやり取り。
「違うよ、ガルド。私はね、広まっても構わない。"無紋"である限り、私は何者でもないということだもの」
そんな――"日常"の中に潜む、ほんのわずかな非日常。"何者でもない"を選んだ、静かな笑顔。
ガルドの赤い瞳が、その笑顔をじっと見る。
また、こうして、隠すのだ、この男は。
「それに君とお揃いみたいで、正直なところ悪くはないね。無哭と、無紋。バディっぽいじゃないか」
「は……」
――どう?と笑う顔は、それでもやっぱり、ガルドにしか向けられない笑顔だった。
もう返す言葉さえ失い、渋面になったガルドが無言のまま、皿の上の肉を一つ……串の端から引き剥がすようにして口に運ぶ。
噛む。
――無哭と、無紋。
バディ。冗談めかして言うには、あまりにも……。
「……バカげた名乗りだ」
口の中の肉を飲み下した後、低く、しっかりとした声で返す。
視線は逸らさない。ルシアンの銀の瞳を真正面から受け止めていた。
その表情に、笑みではない何かが宿る。苛立ちではない。怒りでもない。
ただ、そこにあるのは――たった一つ、彼自身の矜持だ。
たった一人、ルシアンの隣を守ってきた、ガルドだけの矜持だ。
「……お前が"何者でもない"だなんて、俺は思っちゃいねぇぞ」
――静かで、けれど杭を打つようなその言葉に、ルシアンの睫毛がわずかに揺れる。
店員を呼ぶ声、スプーンを置く音、油が跳ねる音、周囲のざわめき。
その中でも低く重みのある声は、どこにも揺れずにまっすぐに届く。けれど余分に言葉を続けるでもなく、黙って次の料理に手をつける。
皿の縁に転がる煮込みの根菜を、ルシアンがそっと押さえる。
視線は伏せられ、微笑みながらも……、
(……まったく、参るね)
……ルシアンは、小さく眉を寄せていた。
目の前のこの男、すぐに目を逸らし、舌打ちをし、悪態などをつくくせに、こうしたことは正面を切って言い切る。
重く視線で縫い留め、……射ってくるのである。
今はもう、皿の上の料理に向けられているその赤い瞳。
危うく、また――手のひらで遮るところだった。
気恥ずかしさから保てぬ笑みを、見られないように。
食事を済ませて店を出れば、通りは午後の陽気だった。喧騒が先ほどよりも落ち着いて感じられるのは、店の店主たちが昼休憩に引っ込んでいったのか、耳がこの街の賑やかさに慣れ始めているのか。
店内で温まった身体に秋風が気持ちいい。ルシアンが、隣に立ち並んだガルドを見上げる。
「そろそろ査定終わったかな」
「ああ、行ってみるか」
肩を並べて歩き出した中通りを、街の子どもたちが明るい笑顔で駆けていく。
冒険者や商人のような外部の人間が多いのにも関わらず、こうして子どもが安全に遊べるのは、ひとえに街の統治と衛兵たちによるものなのだろう。
その光景すら、ルシアンには"価値ある景色"であるようで……、柔らかな眼差しが向けられたそんな時、真正面をよそ見をしたままの子どもが駆けてきた。
気づいたルシアンが道を開けるよりも先に、咄嗟に隣の大きな手に腰を引き寄せられる。
「っ……」
すぐそばを子どもが通過していくのと、ルシアンの肩が大きく跳ねたのは、ほぼ同時。
「――っわりぃ」
即座にその腰元から手を放し、ガルドが唸るように呟いた。
そっぽを向いて、小さく舌打ちまで。眉間には、皺。
「ううん、ありがとう、大丈夫だよ」
ルシアンが笑顔を向けるも、護衛は頭をがしりと掻くだけで……、冒険者ギルドの扉をくぐるまで、ずっと苦々しい表情のままだった。
――【せめて昼食は穏やかに】




