【ようこそ、カルネティア】
中央広場を抜けて旅宿通りに入れば、雰囲気はガラリと変わった。
街の西部と中央広場を接続する、この"旅宿通り"。道なりは緩やかにカーブを描いており、遠く道の先に、わずかに西部広場らしきが見える。
護衛によれば、あの広場にこの街の冒険者ギルドがあるとのことだった。
「西広場の向こうが、食い物系の多い通りだ」
「ふむ」
頷きながら、ルシアンもそのまま人の流れに乗って歩く。とはいえ今歩いているこの通りも、道の両脇には宿屋や軽食の露店が立ち並び、酒場や食事処もちらほらとある。
香ばしい匂いや明るい呼び込みの声が響いていて、商店の多い商業通りに負けず劣らず、こちらも賑わっていた。
そんな、この旅宿通りを進んでいく中。
「――おや」
……ひたりと、ルシアンの足が止まる。向けられた視線の先には、丁寧に磨かれた石造りの外壁。
縦長のアーチ状の窓は黒いアイアンの装飾柵で縁どられており、銀の飾りが暖かな陽光に照らされていた。
入り口脇にある看板は艶のない黒石で、銀糸細工の文字で"宿カルネティア"と名前があった。
しばし興味深げに、銀の瞳がそこを眺めたのち。
「……久々に、こういうところもいいかもね?」
「……だと思った……」
ルシアンが振り返れば、わかってた、という具合に、ガルドが額を押さえていた。
それにすら嬉しそうにひとつ笑ったルシアンが、さも自然とその建物へと足を向ける。
――靴音が宿の入り口の石階段を踏めば、扉の前にいた宿の衛兵が、静かに扉を開いた。
あちらこちらで貴族に間違われるルシアンならまだしも、いかにも冒険者然とした風貌の大男が入るには少々格式が高すぎるその宿は、外壁こそ石造りだが、扉や窓枠は濃い木材で丁寧に縁取られていた。
各所に銀の装飾が控えめにあしらわれ、外の陽光と室内の魔法灯の光を受けて、それらが柔らかく光を返している。
受付カウンターに、従業員が一人。
先ほどの入り口脇にいた衛兵もそうだったが、ルシアンとガルドを見ても、顔色一つ変えることがない。
ただ静かに、過不足のない一礼をするのみ。
「宿カルネティアへようこそ。ご宿泊でいらっしゃいますか」
「ええ。宿泊を検討しているのですが、本日から数泊、部屋に空きはあるでしょうか」
柔らかなそのやりとりを耳の端に受けながら、ガルドもやや後方で立ち止まり、周囲を一瞥する。
――宿の中は、静かなものだった。
外の通りの喧騒は外壁に吸収され、柔らかな絨毯に足音は吸われ、他の客の姿も見当たらない。
窓辺を彩る植物と、壁の控えめな装飾画。明るい色合いの絨毯が敷かれた木製の階段が、上階へと続いていた。
カウンター脇には小さなラウンジがあり、その向こうには食堂へ続くような仕切り。
よその宿でよく見かけるような、依頼帰りの冒険者や取引上がりの商人は、……当然こんな宿にはいない。
(…………)
……そうか、こういった高級宿であれば、逆に余計な視線にさらされることもない――、そう判断している自分に気づいて、ガルドは無言で肩を落とした。
(……くそ、"護衛"するには最適ってか)
――ぎし、と腕を組んで、窓から通りを見やる。街はざわめきに満ちていて、こちらは静寂の中にある。宿の従業員とルシアンの話し声が、ロビーにふわりと漂うだけ。
どちらにしても……この雇用主が選んだ宿に、黙って付き従っている自分を、ガルドはもはや否定できなかった。
足音を吸収する、絨毯の床。
階段はやや螺旋を描いて上階へと伸びており、建物内にはかすかに上品な香りが漂う。
受付の従業員が丁寧な所作で、ルシアンに客室の鍵を手渡してくる。
それを受け取ったルシアンも一つ頷きを返し、窓から通りを眺めていたガルドに向き直った。
「ガルド、荷物を置きに行こう」
「ん、……ああ」
ぱ、とガルドが振り返り、重い外套を揺らしてルシアンの隣へ。
連れ立って階段を上っていく背後で、従業員が控えめに視線を向けてくる気配があった。
それは無遠慮なものではなく、あくまで控えめに……けれどもこちらの背を追う形で。
「……お前、部屋いくつとった」
「一つだよ。別の部屋がよかった?」
「……いや……いい」
――なるほど、と、ガルドが従業員の視線の意味を理解する。
パッと見こういった宿にも気後れせず、さも慣れたように部屋を取り、なおかつ金払いの良さそうな客が、護衛らしき男と同室。
……恐らく彼らの接客のプロとしての品格や矜持が、ささやかな好奇心に負けたのだろう。
「…………」
いや、まぁ、わからないでもないが、とガルドが、階段を上がっていく背中を見上げる。
悪いが、こちらはもうそれどころではない。
同室がどうこうではない。いや同室がどうこうという問題ではあるのだが、同じ部屋で過ごすこと自体はもう、カドゥルで慣れた。街道宿でそれが継続しうるものだということも理解した。
だからこの街でも、もしかしたらその形は変わらないのかもしれないという予測も立っていた。だから、それ自体は少ししか問題じゃない。
だが今はもう、別の問題が露呈してきている。
――"核に触れても死にはしない"。
馬鹿の一つ覚えのように、そのことばかりを思い返してしまう。もちろん、だからといって、そこに触れていい理由にはならないが……。
二階の廊下を進む淡紫の後ろ姿が、なんとも届きそうで届かない距離を歩く。
(……だってなぁ……)
……自分に、都合よく考えそうになってしまう。
ベルミードでの魔力核封鎖時のくすぐりも、"命に係わらないから"ではなく、単純に俺だから許されたのでは、とか。
無防備な距離も、"護衛だから"ではなく、――……いや、まさかな、と。
やがて部屋の前で立ち止まったルシアンが、鍵を回して扉を開ける。
そのままガルドへ振り返り、にこり。
「そうだ、またお部屋に浴室がついてるよ」
「……そっ、かよ……」
――これだから高級宿ってやつは――!と、ガルドは心の中で頭を抱えた。
扉の向こうは、やはり――というか、案の定というか……上品な調度品と柔らかな光に満ちた、静かに整った客室。
床は淡い木目の木床、その上に幾何学模様の絨毯が敷かれ、広いベッドが二つ。
窓辺にはシェーズロングが向かい合わせに置かれ、色が揃えられたローテーブルが間にあった。
壁際には丸いテーブルと椅子、扉のそばには衣服をかけるスタンドと、小さな鏡台もある。
そして白い扉。その先にあるのが恐らく浴室、で……。
「…………」
セレフィーネで、あてがわれた客室の比じゃない――。
ガルドは小さく呻くようにして、仏頂面のままに背負いの荷物をおろした。
居心地が悪い。こういう"丁寧すぎる空間"は、もうどこにいたって居心地が悪い。
が――ルシアンには似合いすぎているから困る……。
当の魔術師はすでに窓辺に立っており、窓からの眺望を確かめていた。旅宿通りが一望できるこの宿は、行き交う喧騒は目に見えても、ここまでは届かない。
その背中から、ガルドが目を逸らす。
別に、なにかを見ていたわけじゃない。見ていたわけじゃない、けど。
「ギルドのある広場も見えるよ、ガルド」
「ん……、鍵」
「あ、うん」
低く落とされたガルドの声に、ふわりと戻ってきたルシアンが、手に持ったままだった鍵を手渡してくる。
鍵に着いた黒札にすら銀糸細工の文字が使われていて……そんな中だというのに、ふいに先刻の魔術師の言葉が、またガルドの脳裏をよぎる。
――『ちょっとしんどいだけだって!』
「…………」
あの声は、笑っていた。
だが、……ルシアンがその"しんどい"のとき――その原因が自分だったら?
"ガルドだからいいよ"は……、
(……、"俺だから我慢する"、かも、しれねぇ)
その"もしも"を、ガルドは喉の奥で噛み潰す。
何も聞けない。問えない。部屋の静けさと、香りと、陽の光と。
穏やかな空間であるのに、全部が、妙に落ち着かない。
だからガルドは、静かに額を押さえた。
(……頼むから、何事もなく、ただ泊まるだけで終わってくれ……)
それは高級宿の空間に対してか、それとも自分自身の理性に対してか――、誰にともなく願うような、呻くような気持ちだった。
カルネティアで旅の荷をほどいたふたりは、ひとまず冒険者ギルドへと向かった。
旅宿通りのその――西部広場では、大きな広場を挟んで向かい合うように冒険者ギルドと宿泊連盟の建物がそびえており、街に滞在する冒険者や商人、旅人たちが忙しなく行き来している。
また、冒険者ギルドもいつもの通り見慣れた石造りのものであったが、――規模が違った。
これまでに立ち寄った街のギルドの、おおよそ二倍近い大きさの支部。
ギルドに併設の食堂兼酒場にも専用の出入り口があり、室内演習場や屋外訓練場が完備、調理場、大型書庫、聴取室、上級職員用の執務室などもあり、これがいわゆる"大規模冒険者ギルド"に分類されるものだった。
正面の大扉を開けて踏み入れば、中は意外にも昼の穏やかな喧騒。
冒険者たちは併設の食堂で食事をしたり、明日の依頼を吟味していたり、さまざまである。
そこを柔和な笑みを携えて、もしくは赤く威圧を放ってルシアンとガルドが進めば、――やはりどうしても視線は集まるもので。
正面奥の受付カウンターで、一瞬だけ受付嬢がびくりと肩を震わせたが、……ふたりが素材買取カウンターの方へ向きを変えたので、ひっそりと胸を撫でおろしていた。
「おい、無哭と……無紋だ」
「この街に来てたんだな……」
「あいつ無紋っていうのか?」
ひそひそと、まるで本人たちの耳に届かぬように囁かれる噂話は――けれどガルドの視線に射抜かれ、消沈する。
ふん、とガルドがひとつ、鼻を鳴らす。当の雇用主は聞こえていなかったのか、聞こえていて素知らぬふりをしているのか……足取りも優雅に買取カウンターの前に立った。
ギルドの査定人が、ぎこちなくも会釈をする。
「こ、こんにちは、こちら、素材買取カウンターです!」
「こんにちは。査定をお願いします」
ふわりと柔和に微笑むルシアンの後ろから、ガルドがどさりと素材が入った袋をカウンターに置く。
焔リザードの鱗甲、牙、火核、――そして、白焔リザードのものも。
は――と一拍息を詰めた査定人が、すぐに顎を引いた。素材の処理が丁寧で、粗がない。珍しい素材もちらほら。
慌てて台帳や査定表を取り出し、一つ一つを照らし合わせていく。だが、こと希少価値の高い"白焔"に関しては、商業ギルドのほうに現在の相場を確認しないことには価格がつけられない。……すぐに終わりそうにもなかった。
「り、鱗甲は上質、火核も濁りなし、白焔リザードも……ええと、少々査定にお時間をいただきますが……」
「ええ、よろしくお願いします。後ほど、また来ます」
ルシアンがそう返せば、査定人がやや、ほっとしたような顔を見せた。査定待ちの控え札を発行し、カウンターの上に置く。
「半刻ほどお時間をいただければ査定が終了しているかと思います、その際にこちらの札をお持ちください……!」
「どうも」
すらり、と整った手つきがその札を拾い上げ、柔和な微笑みが査定人に向いた。わずかに息を詰める職員を尻目に、振り返ったルシアンが後ろの護衛の外套を指先で揺らし、――小さく笑う。
「街に昼食に行こうか。お腹が空いたよ」
「……ったく、お前……」
ガルドがぼそりと呟きつつ、静かに踵を返す。その言葉には呆れとも、どこか安心とも取れる響きが滲んでいた。
周囲の冒険者たちの視線が、背に静かに向けられているのがわかる。
無哭が連れている魔術師。それにつき従うように見える無哭。貴族にも見紛う風貌、――"無紋"。
そんな視線が集っていたが、……ギルドホールを通り抜け、正面の大扉へ向かう魔術師の肩には、まるで何一つ引っかかっていないように見えた。
――【ようこそ、カルネティア】




