【交易都市レストロワ】
土の街道を歩いていた足元は、いつの頃からか整った石畳に景色を変えていた。
次の街の輪郭が遠景に見えてくると、自然と旅人や商人たちとすれ違う頻度も多くなる。
荷車を押す商人、背に大荷物を担いだ旅人、革鎧の冒険者。
手元の地図を睨む者、馬車の時間を気にする者、連れ合いと何やら言い合いながら通り過ぎていく者。その誰もが、交易都市レストロワからやってきているようだった。
「……昼過ぎには着きそうだな」
ガルドの呟きに、隣の淡紫が緩く頷く。賑わう街の気配にルシアンはすこぶる機嫌が良さそうで、鼻歌こそ歌っていないが足取りは軽く、目元には柔らかい光が宿っていた。
四つの街門を持つ交易都市――レストロワ。
人の流れは自然と門へと吸い寄せられていく。
東から来た旅人は、山越えの疲労を滲ませている。
南から届く荷車には、かすかに潮の気配。
北の鉱山地帯から戻る運搬隊は、鉱物資源や石材で馬車を軋ませている。
西へ向かう者たちは、海を越えるのか、大陸北側へ向かうのか。
こうして往来が増えれば、すれ違う人々の中に冒険者も増えていく。
たった今ルシアンらとすれ違っていった三人組も、その中の一組であった。
「ねぇ、アンタほんとに大丈夫なの!?さっきぶつかったんでしょ、魔力核!」
「だ、大丈夫だって!揺れても死ぬわけじゃねぇんだから」
「ぶっ倒れただろうが。もう少し、休んだ方がいいんじゃないか」
「もう休んだよ、ちょっとしんどいだけだって!」
……わぁわぁと言い合いながら――いや、思いやりながらのようだが、そんな駆け出しの冒険者が街を遠ざかっていく。
それを横目で振り返って、ルシアンが小さく微笑んだ。
「ふふ、元気だね」
「ああ……危機感がなさそうだがな」
低く落とされたガルドのぼやきに、隣から柔らかな笑い声。そこからは、言外の「まぁまぁ」が感じられた。
都市の輪郭が明瞭になるほどに、道端には屋台や小さな露店がぽつぽつと並び始めていく。
手製の干し肉、果実を詰めた籠、旅人向けの簡素な装備品などが、すでに都市の活気を先触れとして運んでくる。
「……すごいね、街に入る前から賑わっている」
「ああ、……離れんなよ」
しげしげと屋台群を見つめるルシアンに、ガルドも周囲を一瞥しながらぼそりと釘を刺した。
街道脇に構える露天商は、その背後で子どもが果物を差し出していたり、商人らしき男が値段を叫んでいたりと、晴れやかな活気に満ちている。
「……のんびり歩いてたら人波に持ってかれるぞ」
「ええ、そんなに?」
笑いながら帰ってきた声に、ガルドの視線が隣の男へ一瞬だけ向いた。
その姿は相変わらず、旅人然として洗練されている。淡い外套に銀糸の刺繍が映え、柔らかな髪が風に揺れている。
街道を渡る風がふわりと香油の気配を運び、それが周囲の喧騒とはまったく異なる空気を纏わせていた。
……小さく、舌打ちを、ひとつ。
護衛は、目を逸らすように前を向いた。
「……、……目立ちやがる……」
ただでさえ、カドゥルで子爵だかなんだかに絡まれた。ましてやこちらは、その何倍もデカい街。まさか女こどものようにかどわかされる男ではないと思うが、なにぶんその容姿が目を引く。
――そんな仏頂面のガルドを見上げて、ルシアンもわずかに目を丸くした。
こちらは"おや、行軍で疲れたかな"といった具合で……、当たらずといえども遠からず。
その視線に気づいたガルドが片眉をぴくりと吊り上げ、なおのことしかめっ面になるのは、もはやふたりの常だった。
そうしてしばらく街へと歩を進める中――、ガルドは、はた、と先ほどすれ違った駆け出しの冒険者たちの……、あの新米の魔術師の言葉を思い出していた。
なにか、聞き逃したというか、ひとつスルーした気がする。
(……、――揺れても死ぬわけじゃねぇ……?)
(……は……?)
――思い、返してみる……。魔術師の弱点について初めて説明を受けた、……あの星花の盆地からの帰り道、どう、説明されたか。
『君ね、魔術師の腰は掴んじゃいけない』
「…………」
『魔力も思考も乱れる。わかるかい?』
『さっきは動けなかった』
……そうだ、要は、行動不能、魔力乱れ、理性乱れ。
そう、確かにそうだ。思い返してみれば、命に係わるなど、一度も言われたことはない。
あのあとルシアンが書いた"メモ"も、しっかり持っている。
(……俺ァいつから……命にかかわると思ってたんだ……?)
絶対に触れてはいけないものと思っていた。
万が一の接触も、護衛だから仕方なし、とされているものと――、……思っていた。
「ガルド、あれが東門?検問の列がすごいね」
「あ、ああ……」
隣を歩く声に、はっと意識を引き戻す。予期せぬ動揺で、視線が定まらない。
目の端だけで隣の男の様子を窺えば、やはり機嫌良さそうに歩を進めている。
『触らせる人間くらい、選ぶよ』
――そう言っていた柔らかな声が、耳の奥に蘇る。
全身の血が、ざわりと沸くような感覚がする。
『性感帯のようなものだよ』
「…………やっべぇ……」
「うん?検問がかい?」
護衛の絞り出すような重い呟きに、ルシアンが不思議そうに隣を見上げた。
それには答えずに小さく首を振り、まだざわつく頭を鎮めるように、ガルドが奥歯を噛む。
「……、……チッ」
……小さく、舌打ちを漏らす。
いつの間にか築き上がっていた己の勘違いと、それに今さら気が付いたことへの苛立ちが混ざる。
顔面はすこぶる険しい。目の前には、検問の列と、喧騒と、そして涼しい顔をした雇用主。
肩を並べて、その列に混じる。東門の下には、軽鎧の衛兵が三人。
一人は旅人の荷を確認し、一人は身元の確認を。最後の一人は、列全体を監視するように視線を巡らせているが……、厳戒態勢というよりは、荷や商人を狙った賊対策といったところか。
順番が回ってくるまではまだかかる。検問待ちの列を縫うように、飲み物を勧める売り子が軽やかな声をあげている。
馬の機嫌を取っている商隊もある。荷車の帯締めを緩めている商人もいた。
その喧騒の中で、隣に佇む淡紫の彼の……その肩がどこか、いつもより近く感じて。
ガルドが静かに目を逸らす。まるで、あの声を思い出すのを拒むように。
「……おい」
ぐるぐると回る思考を止めるように、しげしげと周囲を観察するルシアンの腕を、ほんの少しだけ引く。
わずかにふたりの距離が縮まって、銀の瞳がまた見上げてくる。ただそれだけで、頭のざわめきが少しだけ静かになる気がして。
「……きょろきょろして、迷子んなんなよ」
――もう何度目かもわからない小言を呟けば、可笑しそうに微笑む顔。まったくうちの護衛は心配性だね、とでもいうように、もう半歩、その肩がガルドへ寄った。
……これにはガルドも顎を引く。
心を落ち着けるために実務的な面に逃げたはずが、より自分の首を絞めているような気がする。
咄嗟にまた逸らした視線は、衛兵の位置、門の陰、人の流れ――すべてを無言で確認しながら、苦し紛れに護衛の仕事に逃げているようで……自分の立ち位置を確認することでしか、もう落ち着きが取り戻せなかった。
――くん、と外套の裾を引かれ、思わず視線を戻せば。
「秋の果実水だって。検問までまだかかるし、飲むかい?」
……懐から首を傾げながら伺ってくるその眼差しに――、もはや何と答えたのか、ガルドは覚えていなかった。
長い検問の列を越えてレストロワの街に足を踏み入れたのは、昼を少し回ったあたりだった。
ふたりが通った街門は、東門。
東門を入ってしばらく行けばすぐに大きな広場があり、"東部商業広場"と看板が立っている。そこから街の中心部へ向かって延びているのが、商店や露店が集中する"商業通り"。
ガルドが言うには西部、中央、東部に大きな広場が三つあるらしく、この東部広場には巨大な商業ギルドの建物、そして露店市が立ち並んでいた。
「おい、まず宿だろ」
興味深げに商業ギルドの建物を見上げていたルシアンに、隣からガルドが小さく呟く。
はた、と振り返ったルシアンも、ひとつ頷いてから、人の流れに乗るように歩を進め始めた。
「ふふ、あんな大きいギルドは珍しくって。宿はどこだい?」
「中央を通って、西広場の方だ。あっち側が旅宿通りになってる」
ぶっきらぼうに言い捨てるような声は、慣れない者にはそれだけで威圧となる。
大柄な身体と鋭い眼差しを以てして、じわりと人波が割れていく。そしてそんな人相の悪い男を引き連れて歩く、中性的で優雅な男。
時折すれ違う冒険者たちの、視線。どこからか聞こえてくる、"無哭"という囁き。
――やはりどこの街へ行っても、こればかりは免れない。
けれども隣の柔和な男が、それらを打ち消すように歩いていく。
銀糸が散らされた外套を揺らし、何一つ意に介さずに。それはまるで、街の喧騒の中に差し込む一筋の静寂のようで。
誰もが一瞬だけ、目を奪われる。
けれど、それが"ただ者ではない"という印象を生むのも、また当然だった。
「……ねぇ、無哭よ……」
「おわ……ホントに連れがいるんだな……」
「その噂まじだったのかよ……」
低く交わされる声のすべてが、背後へと流れていく。ガルドの肩がわずかに揺れるが、振り返るには至らない。
隣の魔術師の歩調が崩れないのなら、それが何よりの答えだ。
このまま商業通りを進んでいけば、街で一番大きな中央広場に。
その広場を越えれば、旅人や冒険者が多く滞在する西区画――旅宿通り。
道沿い、露店の後ろにそびえる建物は、すでにどこも二階建て以上。石造りに木骨を合わせた建築が立ち並び、さまざまな看板の文字が風に揺れている。
店舗と露店が混在し、果物や革細工、香草などがこの商業通りに彩りを添えていた。
「宿をとって、昼食……、冒険者ギルドはどこなんだい?」
「……、それも西広場だな」
「じゃあちょうどいいね。焔リザードの素材も売りに行ってしまう?」
「ああ、飯の前にギルド寄るか」
実務的な会話の傍らで、微笑む横顔を、ガルドの視線が捉える。
……そういえばこの街、旅宿通りの中でも比較的中央広場寄りの立地に、"カルネティア"という宿屋が建っている。
セレフィーネにあったような、いわゆる高級宿だ。
この優雅な男のこと、何でもない顔をして、さらりとその宿をとりかねない……。
何も、泊まる金がないというわけではない。ただガルドの中で、"宿"に対する比率がそこまで大きくなかった。
元来ギルドの酒場でも夜を明かせるたちなだけに、そんな高い部屋をあてがわれても――といったところ。だからといって"離れる"のはまったくの論外。
ならばせめて、せめて心の準備をするために、……チェックインに同行したかった……。
「……宿、先に取りいくんだろ」
「うん。荷物も置きたいよね」
会話を交わしながら、中央広場へと差し掛かる。こちらは多目的ホールや官邸のような建物が目に入り、白い外壁が秋の陽射しに映えていた。
「……役場……ではなさそうだね?」
「ああ、――よう知らんが、確か顔役だかの邸だな」
ふぅん、と答える声は特段興味もなさそうで、すぐに広場の向こうに視線が戻った。
街で一番大きな広場。祭りなどの会場にもなりそうなこの空間は、今は各門からの商隊や輸送隊の馬車が行き交い、人々の賑やかな声が空を彩るだけ。
「……しかしうるせぇ街だ」
「ふふ」
しかめっ面で文句を言う護衛に、銀の瞳が柔らかく細まった。
――【交易都市レストロワ】




