【小さな決意はこのへんで】
ガルドが食堂へと足を運べば、宿は温かな朝食の匂いに包まれていた。
ルシアンはロサと体調について雑談をしており、厨房ではメロがてきぱきと動いている。
遅れて起きてきた護衛にルシアンが軽く首を傾げ、柔らかな笑みをひとつ。
「おはよう、ガルド。よく寝てたみたいだったから、起こさなかったよ」
「……ああ」
なんとか低音で喉の奥から絞り出した返事は程よく枯れていて、――いかにも"起きたばかり"を演出してくれた。
軽く咳払いをして、椅子に掛ける。精神のほうは、先ほど部屋で充分に統一してきた。落ち着いた口調で、ガルドはロサへと視線をやる。
「……腰はどうだ、じいさん」
「いやおかげさまでこの通り!何から何までありがとうございました」
「そうか」
気遣う口調はぶっきらぼうで、けれども圧はない。そんな会話をしているうちに、メロがにこやかに朝食を運んでくる。
「おかわりありますから!たくさん食べてくださいね!」
元気な声と一緒に、ふたりの前に温かいスープと焼きたてのパンが置かれる。
香ばしい湯気に包まれ、胃が勝手に動き出すのを感じた。
ただの街道宿の、その朝の一幕。昨日の続きで、今日の始まり。
また旅が始まる。いつもの支度の時間だったが――……やはり、目の前の淡紫の男を、ガルドは直視できなかった。
パンに手を伸ばすふりをして、ちら、と視界の端で見る。
ルシアンは相変わらず涼しげに微笑んでいて、上機嫌なロサの話に相槌を打っている。
(……なんで、普通でいられんだよ)
――ただ護衛をしているだけなのに、無自覚なあの手がどんどん伸びてくる。
外套の次はシャツで、シャツの次はベッドで、今朝は自分の腕の中だった。なにがまずいって、気づかなかったのがまずい。
あんなもん、目覚めとともに心臓が止まりかねない。次からはもう少し、気配に注意を――、
(……いや"次"じゃねぇだろ……)
――思わず、ぐ、と奥歯などを噛んでみる。パンをちぎる手に、妙な力がこもる。
頭がそれを"雇用主の習性"として学習しかけていた。いや、この場合学習してしまった方が被害に遭った時のダメージが減るのか……?
向かいの席に座る容疑者は、やはり何食わぬ顔でスプーンを口に運んでいる。その頬には淡い朝の陽が差しており、見るからに"よく眠れた"顔である。
(――お前の中じゃ、あの介抱の夜も、今朝のアレも、一緒だってか)
胸中には、なんとも抱えきれない苦々しい思いが渦巻く。
自分一人ばかりが意識して、脳内で七転八倒して、向こうはノーダメージだ。
悪態などを口には出さない。何故ならそれをすれば、"実は今朝起きていた"ということを自分から説明することになりかねないからだ。
なんとか飯を口に運びながら、スープに視線を落とす。
(このままじゃ……一生"上"からだ。あいつにとって、俺は"下"のまんまだ)
――もちろん、雇用主と護衛としての話ではない。
何をしてもいい相手だと、……いつでもそれを黙って受け入れる相手だと思われていては、――今後、とてもじゃないが身が持たない。理性も持たない。
けれど、この魔術師、……またやりそうである……。ガルドの指先で、スプーンが器に触れてかちりと鳴った。
「…………」
だったら。
せめて。
(……次は、俺のほうから、混ざってやる)
そんな……対抗策としてはやや弱めな決意とともに――、ガルドは焼き立てのパンを、無言でスープに落とし込んだ。
ロサとメロに見送られ、ふたりは朝の中、また街道を辿る旅路へと戻っていった。
次の目的地までは、ここから二日ほど。
この北大陸で最大の規模を誇る交易都市、レストロワ――。
ガルドが言うにはとにかくデカい街で、人も物も依頼も多い。東西南北に街門と街道が伸び、常に商人や輸送隊、冒険者、旅人の出入りが活発。
また、元商人のロサの話によれば、街では月に三度ほど市日が設けられており、この時は特に賑わうとのことだった。
冒険者ギルド、運輸ギルド、職人ギルドなどの組織も五つほどあり、そうした組合から選出された組合長が、街の顔役として機能する、自治の街。
人が多ければ、宿も多い。交易品などの物も多い。情報も、依頼も多い。
冒険者が居つきやすい街だった。
「食事も種類が豊富かな?」
「ん……飯屋も屋台も多かった気がするな」
「ふむ……。たまには旅の目的を忘れて、色々食べ歩いてみるのもいいかもしれないね」
街道を歩くルシアンが、楽しそうに目を細める。その隣で、ガルドもじわりとそちらへ視線をやる。
「つってお前……、また食いきれねぇぶん俺に押し付けんだろ」
「ふふ、頼りにしてるよ」
――にこやかに見上げてくる眼差しは、今回もよろしくねという甘えの視線。
護衛の足はいつもの無骨な歩幅で先を進むが、横を歩くルシアンの足取りに合わせて、自然と歩調を緩めていた。
そのまま隣の"よろしく"を受け止めて、もう諦めたように目を逸らす。
道の両脇に広がる木々が、緩やかに色づき始めていた。秋が深まり始めるこの季節、風は澄んで心地よく、陽射しがあれば旅路にはちょうどいい気候。
そんな中を、ガルドは前を見据えたまま、無言で歩を進める。
けれど、肩越しの返事のように、ごくわずかに口角が上がっていた。
「……。いいけどお前覚悟しろよ」
「うん?」
なにを?と問うような視線に、ガルドからそれっきり答えは返ってこなかった。けれどもそんな横顔を見て、首を傾げながらもルシアンは頬を緩める。
交わす言葉は少なくとも、やはり今日も隣だ。
視線は前を向いたまま、ふたりの外套が風に揺れる。
北大陸はまだ半分も巡っていなくて、海の向こうにもまだまだ大陸が続いている。
なのにまるで、長年連れ立っているかのような背中だった。
――【小さな決意はこのへんで】




