【護衛大混乱の朝】
――朝の光が、窓から差し込んでいた。
遠くで澄み渡る鳥の鳴き声、かすかに立ちのぼる湯気の匂い。
宿の朝らしい気配に、ガルドの意識がふわりと浮上する。
「…………?」
いつものように、目覚めた直後は体が重い。
だが、今日はどこか……おかしい。違和感がある。
――重み、か。
左肩に、ほんのりとした重さと温度がある。
ああ、掛け布がずれて……いや――。
呼吸が。
毛布の内側にある、もうひとつの吐息。
それを察知した瞬間、ガルドの身体がびくりと強張った。
「…………」
――ゆっくりと、そっと視線を下げる。
視界に入ったのは、柔らかく乱れた淡紫の髪。
背中をこちらの脇腹にぴたりとつけて、何やら丸くなって、……まる……く……。
……雇用主、が……すやすやと……しっかりちゃっかりと……自分の肩に頭を預けて眠っている……。
(……ッ!)
鼓動が、爆発するように跳ね上がった。
(なん、なっ、なんでこっちに……!?)
声は出ない。身体も動かない。代わりにじわりと汗が浮く。
いや、これは汗じゃない。冷や汗だ。理性が焼かれている。
逃げ場を探すように視線を泳がせるが、腕の内側にはルシアンの肩。
体温がじんわりと、しかも擦り寄っているような気配まである。
(おい、夢かこれ……)
(ッ……ちげぇ、あったけぇ、ぬくい……くっそ……!)
――護衛、全力で天井を睨む。
しかし理性は天井ではなく、毛布の中で溶けかけている。
(な、んで気づかなかった……!)
答えは簡単、すでにルシアンに対して警戒心が働いていないためである。
(くそっ、気配も物音もしなかった……!どんな寝方してた俺!?)
こちらも単純、宿という安全圏において、深く眠っていたためである。
――肩口で、小さく寝返りをうつ気配。
ころりと仰向けになった雇用主が、何やら座りのいい場所を探すように、頭をわずかに寄せてくる。やわい髪が頬にかかる。
次の瞬間、ガルドの背筋が硬直した。
(やっ……べぇ――!)
赤い瞳が、ぷつんと色を落とす。すべての感覚を遮断、ありとあらゆる回路を焼き切る。焼き切りたい。焼き切れろ。
(……殺しに来てるだろ、こいつ)
寝起きの思考回路では処理できない。昨日の夜、あの言葉の続きは何だったんだろうとしんみりしたあの時間を返してほしい。いややっぱりこっちがいい。
――もはや、判断力はすべて毛布に吸い込まれていた。
朝の光が、静かにルシアンの髪に降り注ぐ。
その穏やかな寝顔の横で、さっきまでどうやって寝ていたのか、ガルドはもうわからなくなっていた。
「……ん……」
「ッ――」
途端、ルシアンが身じろぎをする気配がして、――ガルドは目を閉じた。
つい今しがたまで機能停止していた思考回路が、一気に稼働し始める。
寝たふりだ。もう寝たふりだ。気づかなかったことにしよう。この状態で、この至近距離で、万一にも目が合って「おはよう」などと言われてみろ。
――死ぬ。間違いなく死ぬ。それはもう、確信以外のなにものでもない。
閉じた瞼の向こう、もそり、と隣の気配が起き上がり、……しばしのぼんやりののちに、優雅に伸びなどをしているような……ベッドの揺れ。
慌てている様子などはない。ということは、やはり自分の意思でこちらのベッドに入ってきたのか、と……今日に限って分析が冴えわたる。
(――マジか……)
隣の気配はそのままゆったりとベッドを抜け、足音が室内を渡り、窓辺の荷物のもとへ。そのまま着替えが始まる。
見てなどいない。見てなどいないが、パサ、しゅる、キシ、などの様々な音を耳が拾ってしまって、もうガルドは心穏やかではない。
そして何より、――もうすっかり目覚めるタイミングを逃した……。
(……どう……どうすんだコレ……)
どこで起きても不自然になる未来しか見えない。
いつもどうやって起きてたんだ俺は。
いやそもそも"いつも"の中にあいつの体温はなかった。
もうすべてが異常事態。誰かこの状況から俺を助けてくれ。
脳内でそんな非常事態宣言が出される中、ルシアンの気配がそっとベッドのほうへ近づいてくる。
全神経が、寝たふりに集中――。
「……ガルド、起きて、朝だよ。朝食に行こう」
――その、"きっかけ"は、まるで、救いの声のようだった……が。
ガルドは、……動けなかった。
(……無理だろ……!)
無理である。あの声だ。いつもの声だ。
お前さっきまで俺の隣で寝てて、何でその声ができるんだ。
見られてないと思っているのか。俺が気づいていないと思っているのか。
なんでそれで普通に、おま、お前……!
――そんな具合で、そばにルシアンがいなければ、ガルドはもう頭を抱えたいほどだった。
こんなもの、あまりに自然に、あまりに柔らかく、まるで"最初から隣で寝ていた"みたいな振る舞いで。
(……くそ、あれか、カドゥルで一緒に寝たやつか……!?)
……護衛、かろうじて答えらしきところにたどり着くが、たどり着いたからといってこの状況に救いの手が差し伸べられるわけではない。
ルシアンの気配は、しばらくベッドの脇に留まっており、けれどそれ以上声をかけてくるでもない。
じっと様子を見ていたのかもしれないし、微睡む顔でも見ていたのかもしれない。
(たの……頼むから、どっか行ってくれ……)
喉が鳴りそうになるのを、意地で飲み込む。頬の筋肉が、ひくつきそうだ。
肩に、ずっと妙な緊張が走っている。……そんな時。
「……薪割り疲れたかな……?」
ふと――そう零れた声と、ふわりと髪に触れるような、柔らかな指先。
(……!?)
気のせいかとも思ったが、まるで前髪を整えるような動きだった。
それきり、ルシアンの気配は遠ざかり、足音が軽やかに部屋を出ていく。
――静寂。
「…………」
……残されたガルドは、顔面を両手で覆って抜け殻のようになっていた。
(やっべぇ……なんかもう、俺、完全に終わってんな……)
布団の中、身体が熱くなっているのがわかる。
もうこの部屋のどこを探しても冷静さなどない。ただの男。
添い寝された護衛。寝起きに髪を整えられた戦士。
……、……ルシアンに。
(おいこれ、夢じゃねぇよな……)
じわりと指の隙間から目を開ける。もう一度、目を閉じる。
しばし熟考……。
(……起きなかったことに……すっか……)
――深すぎるほどに深いため息をつく。逃避ではない。あくまで心の安寧のための措置。なぜなら恐らくこれは、"暖取り"であった可能性が高い。
"アレ"は、誠に残念ながらそういう男で、きっと色気の欠片もない。
――ばさり、毛布を剥ぐ。
…………布団の中に柔らかい香りが残っている…………。
「……っぐ……ぅ……」
どこから漏れたのかわからない唸り声が、一人の部屋に響く。
食堂に行くまでには……たぶん、なんとかなる。――はず……。だ……。
――【護衛大混乱の朝】




