【先生と】
集会所へと戻れば、すれ違うように扉から出てきた影がひとつ。
土を鳴らして歩いてくるガルドを見て、意外そうな顔をしてみせる。
「おや、逃げてこれたかい」
「おいてめぇ先に逃げやがって……」
毒づくガルドに、銀の瞳が楽しげに細くなった。手にタオルと着替えを持っており、これから風呂かというところ。
ガルドが、目の端で集会所裏の幕と湯桶を見やる。……今からの風呂は、……夜風で冷えるのではなかろうかと……そう口にするよりも早く、淡紫が一歩、寄ってきた。
「ふふ、どうするのかと思ってたよ」
「ンのやろ……ったく……」
舌打ちのひとつもしたくなる気持ちを抑えて、つい足元の草を蹴る。だが内心は、広間の熱気から解放されたこの夜の空気に、ほっとしているのも確かだった。
ルシアンの隣に立ち、肩をまわすように首を鳴らす。
黙っていると、……視線を感じる。
思わず眉根が寄って見下ろせば、月明かりに照らされた銀の目が、静かにガルドを見ていた。
「……んだよ」
……ぶつくさと問いかければ、にこりとした笑みだけが返る。
ふざけた調子ではなく、どこか穏やかで、安心したような――そんな目。
「今日は、お疲れさま。お風呂に入ってくるよ」
「……、……おう」
返した自分の声が思った以上にか細くて、ガルドは誤魔化すように目頭を擦った。横合いをすれ違っていく気配を、けれどふと思い出したように、緩く呼び止める。
「……おい」
「うん?」
「……いいから、明日は、先に風呂入ってろ」
はた、と動きを止めたルシアンが、にこりと笑んで、頷いた。
そのまま、集会所の裏手へと消えていく後ろ姿。……ため息を、ひとつ。
先ほどの娘たちの誘惑よりも、こんな、なんだこの、入浴報告……?こっちのほうが、よっぽど……。唸り声が出そうにすらなる。
「……あんにゃろ……」
毒にもなり切れない言葉をこぼし、腰のベルトを軽く引き直す。
こっちのほうがよっぽどしんどいのに、こっちのほうがよっぽど息がしやすい。それを自覚したくなくて、もうひとつだけ、その場にため息を落とす。
「寝る……」
夜風にそんな宣言をして、のそり、集会所の扉を引いた。
――その背に、夜風よりも柔らかな気配を、しばし感じていた。
翌朝も早くから、ガルドは村の男衆を引き連れて復旧現場へと向かっていった。
見送った居残り組は、老人、女たち、そして子どもたちと、ルシアン。
ふわりとルシアンが振り返れば、子どもたちの視線がにこにこと見上げてきていた。
「さて、何からしましょうかね」
まるで鳥の雛のように、後ろを追従する子どもらを一手に引き連れて、ルシアンが集会所の縁側に腰かける。
外からの客人、というただそれだけで、子ども達には大きな娯楽であったが――賢く、穏やかで、優しい人柄が、よりその関心を引き付けていた。
「お兄ちゃん、先生って呼んでいい?」
「あたし!あたしの名前どうやって書くの!」
「冒険の話して!強い魔獣やっつけた?」
「ガルドのおっちゃんつよい?ねぇどのくらいつよい?」
こらこら、とたしなめてくる大人たちは、畑へ、家へ、家畜のもとへと散っていく。
子どもたちも、縁側に座ったりルシアンの足元に屈んだりと、そばを離れない。
そんな中、革鞄から取り出した手帳を手元に広げ、低く穏やかな声が、その質問にひとつひとつ応えていく。
朝に包まれた村はひどくゆっくりと時間が流れていて、冷える風もなく、陽射しはただ暖かかった。
遠くで杭を打つような音が聞こえる。時折、ヤギたちの鳴き声もする。
畑を耕す老人たちの、鼻歌のような音も聞こえる。
「……あれは?」
ルシアンが問えば、子どもたちも同じように耳を澄ませて笑う。
「はたけのうた!」
「いっぱい野菜とれますように、のうた!」
「かぜはすぎ~あめは~っていうの」
小さな音楽教師たちに、ルシアンの笑みが深まった。
そう言われて再び耳をすませば、確かにのどかで、どこかのびのびとした旋律。
目を閉じ、わずかに首を傾いで、それを耳にするルシアンに、……子どもたちもそれを真似るように目を閉じる。
ぴち、と小鳥が飛んで行く声。
山を、ざぁ、と風が渡っていく音。
「……せんせ、きぞくさまなの?」
ぽつりと落ちるように聞こえた声に目を開ければ、縁側に寝そべっていた幼い子どもが、ルシアンの膝に頬を預けていた。
にこり、と笑みを返し、小さく肩をすくめる。
「貴族様じゃありません、旅人ですよ」
「でも……うちの父ちゃん、きぞくさまだろうなって言ってたよ」
「けどさ、きぞくさまってイヤなやつ多いって、じいちゃん言ってた」
「カドゥルのきぞくさまもイヤだって」
――ほう、とルシアンの眉の片方が、ひたりと揺れる。
カドゥルは、……次に向かわんとしていた街である。ガルドが言うには、悪い街ではなさそうだったが。
「ふふ……では、喧嘩にならないように気を付けますね」
「先生ってケンカすんの!?」
「えっ、あのおっちゃんより強い!?」
冗談めかしたルシアンの笑みに、子どもたちが笑い声をあげて詰め寄る。
近くの井戸には、洗濯をするために各家から出てきた数人の村娘たち。こちらも何やら、きゃっきゃと楽しそうだ。
「――でね、胸もさ、見たことには見たのよ」
「身体見て手を出さない男……?どういうこと……!?」
「行けると思ったんだけどね……あたしの魅力の問題?」
「わっかんないわぁ~!」
あけすけなまでのそんな会話が、耳に飛び込んでくる。
これにはルシアンも思わず笑いそうになり、咄嗟に目の前の子どもたちと手元の手帳に視線を落とすしかなかった。
――【せんせいと】




