【危機からの撤退】
夕餉も進み、子どもたちは母親と一足早く家に帰り、広間には男衆や村の娘たちが残っていた。
明日の復旧作業の工程をガルドと男衆が話したり、近隣の地理、山の植生などをルシアンが年配者から聞いたり、各々が好き好きに過ごしている、そんな中。
地酒の壺をもった娘が、ルシアンとガルドの間に膝をついた。手には、杯。それらに一杯ずつ、酒を注ぎながら。
「村近くの湧き水と畑の穀物で作ったお酒です。ちょっと強いですが」
にこりと笑う娘に、ルシアンらも頷いて杯を手に取った。
くいと口に含めば、豊かな風味と穀物の甘い香り。まぁまぁな度数。
男衆が、「おっ」と目を輝かせて、俺も俺もと杯を手に寄ってくれば、村娘に手のひらで突っぱねられてすごすごと席に戻っていく。
そんな遠慮のないやりとりに小さく笑いながら、皿の陰で、ルシアンが自分の杯をガルドに手渡した。
「…………」
「…………」
――互いに何を言うでもない、が……ルシアンには、酒が少々強かったらしい。目線だけで「頼んだよ」と笑っている。
まったく、と小さく息をつき、ガルドが手元の水をルシアンのほうへ押しやった。その杯もぐいと飲み干したガルドの横に、村の娘がもう一人つく。
酒を手に、空いた杯にもう一杯、地酒を注いでくる。ざっくりと開いた胸元。異様に近い距離。
「ガルドさん、お酒強くていらっしゃるんですね……」
……ああ、なるほどと思いながら、ガルドがその胸元から目線を逸らす。
単独で活動をしていた時であればまぁ、――"いただいた"が。
今はそういう……あれではない。
だが、その一瞬のチラ見で、確かに娘たちが目を見合わせた。
"見たわ"、"行けるわ"、と。
そしてまた、村の老人と土地の話をするルシアンも、目の端でそれを見ていた。
――なにやら、面白そうなことになっているな、と。
「ガルドさん、頼もしくって、外の男の人って感じ……」
「ねぇ、手も大きいですね。岩持ち上げちゃうなんて、すごい……」
肩を傾けながら、ぽつぽつと隣の娘が話しかけてくる。こちらは作業の帰りに、水と桶を持ってきた娘。
反対側、少し距離を詰めたもう一人も、身体ごと向き直る。
「道、通れるようになってて安心しました。今夜、ぐっすり寝られそう」
「うちの父さんも、ガルドさんがきてくれてよかったって……」
「…………」
じりじりと、次第に両脇からの距離が詰まる。
眉をしかめて杯を呷れば、空いた器にまた、酒が。
「おい、もう――」
「あ、ごめんなさい、じゃああたしが飲みまぁす」
「あー、ずるいんだぁ」
にわかに盛り上がる娘たちに、ガルドが肩を落とした。
冒険者の女たちや、酒場の女たちであれば、いらないと言えばそれで話がつく。だが、こうした村の娘たちというのは、どうも勝手が違う。
「おいなんだ、夜這い候補かぁ?」
「お前ら小娘じゃ相手にしてもらえねぇよ!」
遠巻きにガルドの様子を見ていた男衆から、笑いとともにそんな声がかかる。酒盛りのつまみには面白そうな光景ではあったが、同じ男としてわかった。あれは、"困った"の顔だ。
ルシアンと話をしていた老人たちまで、くつくつと笑い声を漏らす始末。
じろ、と村の娘たちに睨まれ、ひえぇと肩をすくめる男衆……は、もう役に立たなさそうだ。
――おい助けてくれ、と投げられる赤い視線に、ふとそれを受け取ったルシアンはひとつ、にこりと微笑んだ。
"助けようか"という気持ちよりも、面白さが勝ってしまった顔。……それに気づいたガルドが、やや呆れたような目でルシアンを見る。
そんな眼差しにすら、銀の瞳は柔らかに細くなり。
「失礼、今夜は私はこれで」
そう言葉を残し、柔和な微笑みのままに立ち上がる。
端然としたその背を、名残惜しそうに引き留めるような声は、あちらこちらから。――だが。
「お風呂もまだですし、……明日、子どもたちに旅の話をする約束をしておりまして」
そんな返事を聞けば、それならまぁ――とゆるりと納得が広がった。
「おい……」
護衛の呼ぶ声に、ルシアンが肩越しに振り返れば、……彼はまだ娘たちに囲まれて渋い顔をしていた。
ふふ、と微笑みを返す。……女っ気のない旅だ。楽しめばいい、と。
「それでは、おやすみなさい」
軽く会釈をして、ルシアンが村長の家をあとにする。
ぱたりと扉が閉まり、集会所への道をゆく外套の影が、夜に溶けていく。
その穏やかな気配が遠ざかったのを合図に、……したかどうかは定かではないが――取り残された広間で静かに空気が揺れ、それまで控えめだった娘たちの距離が、わずかにガルドに詰まった。
ちろり、と覗き込むような視線。そろり、と肘に手を添える。
「ねぇほんと、ガルドさん旅の方ですのに……こんなに力を貸してくださって」
「…………」
「お疲れでしょう?疲れが取れるような、マッサージとかいかがです……?」
織り交ぜられる、探るような一言、伺うような視線が、右から左から。
眉間に皺を寄せたまま、ガルドが水を口に運ぶ。
(……あいつ、面白がってたな……にやにやしてやがった)
喉を冷たい水が落ちていく。思い返せば、助けを求めた時の、あの笑み。
明らかに「どうするの?」という問いと、「まぁがんばって」の慈しみと、「面白いね」の好奇心が詰まっていた。
――鬼か……。
「ガルドさん、お酒のお代わりは?」
「……もういらん」
低く、息をつく。腕に寄る柔肌を、手で制する。それでも娘たちはめげず、ちら、と裾を押さえて身を寄せてくる。
わざとらしく肩が当たる。膝が触れる。酒のせいにした笑顔が近い。
(…………)
――ふと、ガルドが視線を緩く伏せる。
……なんというか……、腕に娘たちのやわい肌が触れてはいるが……、……"無"だ。
村の中で、魔獣の脅威はなく、ああしてルシアンを一人で帰らせてもいいと思えるほどに落ち着いた環境。つまり、緊急時ではない。要は少々緩んでもいい夜である。
もちろんそんな遊びをするつもりこそないが……、悪くない年頃の女に両側から迫られているというのに……身体の反応は、"無"だ。
むしろ今のガルドには、しっかりと"あの笑み"が焼き付いていて、この状況が妙に落ち着かない……。
「……、戻る」
ぽつりと呟いたその声に、娘たちが一瞬きょとんとした。
「えっ、え? もうですか?」
「まだ時間も……」
「明日も早い。休む」
短くそう言って立ち上がると、広間が静けさに包まれた。女たちの肩がすっと引き、男衆からは尊敬の眼差しを受ける。
みし、と床を鳴らして、一歩。のしのしと出口の扉へと向かっていく背は、やはりでかい。
酒盛りをしていた男衆の後ろを通り過ぎる際、赤い瞳が彼らに落ちる。
「明日な」
「あっはい!お疲れさまでした!」
そう、短く挨拶をし、扉に手をかけ、静かに外に出る。
あたたかな食事の席を背に、月を見上げる。山の風が、冷たくなりはじめていた。
――【危機からの撤退】




