【寄り道と小さな宿】
街道へと戻り、二日ほど歩いた先で、ふたりは一軒の宿を見つけていた。
街と街の間にある、街道筋の一軒宿。街間で距離がある区間に見られる、旅人や商隊のための宿だ。
馬匹宿やツガの梢亭がそうであったが、――そんな宿が、ここにもあった。
どちらともなく、泊まるか、と目を合わせて、泊まろうと頷く。
小さな宿は、入り口に古びた木製の看板があり、"薪宿ロサんとこ"という字が見えた。その下には、食事つき、薪風呂、厩あり、などの売りが書かれており、最後に小さく拙い文字で"メロもいるよ!"と添えてある。
看板を覗き込んで眉根を寄せたガルドの横で、小さく笑みを湛える魔術師。
正面の扉を引けば、上部の鈴がちりん、と澄んだ音を鳴らした。床を軋ませて建物に入れば、帳場には誰もおらず、客の気配もない。
「……おや、ご不在かな」
「…………」
何を言うでもなくガルドが視線を巡らせるが、すぐに奥から、パタパタと軽い足音が駆けてくる。
十代半ばほどの少女。呼び鈴を聞いて、慌てて出てきたようだった。
「失礼しました、いらっしゃいませ!お泊りですか?」
明るい口調がふたりを迎え、手慣れたように帳場へ回る。
それに一瞬だけ目を丸くしたルシアンだったが、……すぐに柔和な笑みを浮かべた。
「ええ、二人ですが、空いていますか?」
「あ、はい、お部屋の空きはありますが、今ちょっと色々……、えっと、ご迷惑をおかけしてしまうかもしれません!」
少女の表情は、――わずかに目が逸らされ、苦笑いといった風。思わずふたりも宿内を見回す。特段変わったところはない、が。
「あ、でも、お食事は出せます!お風呂は、ちょっと、難しいかもしれません……なので、お代は半分で大丈夫です!」
「……差し支えなければ、何かお困りですか?」
あまりに慌てる少女に、ついルシアンがそう尋ねた。少女は一瞬びくりと肩を揺らしたが、すぐに唇を噛んで俯く。
視線が帳場の後ろにわずかに流れ――なんとも気まずそうに顔を上げた。
「実は……おじいちゃんぎっくり腰で……」
「じいさん?」
ガルドが眉を寄せながら問うと、少女が小さく頷いた。
「ロサって私のおじいちゃんなんです……。いつも薪割りとかしてるんですけど、おじいちゃんが動けないから――、」
「……メロっつのは?」
「……、あたしです……」
ガルドの声に、ほんの少し頬を赤くして、少女――メロが俯いた。表の看板の文字が少し擦れていたことから、恐らく幼少期に書いたのであろう看板が、そのまま使われているらしい。
「もうあの看板書き直したいんですけど、おじいちゃんが……あっいえ、それでその、薪がもう料理分しかなくて、あ、でも、そうですね、今夜のお湯くらいならなんとか!」
「……んん」
ガルドが低く唸り、帳場の奥をちらりと見やる。メロが背にした戸口から覗く廊下の先、誰かが寝ている気配がうっすらとあった。
そのまま隣の淡紫を見下ろせば、特に厄介とも思っていないような笑顔。
「――ん、それで構わねぇ。風呂は裏手か」
「はい……、えと、じゃあ、宿泊のお手続きを……」
メロは言いながらも、どこか申し訳なさそうに、ルシアンを見上げてきた。
見るからに上等な装い。いいところの学者先生か、お坊ちゃんか、……下手をすれば貴族である可能性すら……。……とはいえ、あの巨躯の戦士以外に従者らしき人も……という、視線。
それに気づいて、ルシアンも微笑みながら少しだけ肩をすくめた。
「ご心配には及びません。一介の冒険者ですよ」
「へっあっすみません!」
「心配ねぇ、そいつ干し肉だって食うぞ」
宿の扉を再び開きながら、顔だけで振り返ったガルドがぱきりと、短く。
えっ、と小さく肩を跳ねさせたメロが、けれどささやかに頬を緩めた。
「いえ、すみません、そんな……お気遣いありがとうございます」
「ふふ」
メロが恥ずかしそうに取り繕う中、ガルドは外套の裾を払いながら表へ出ていった。
その背を、ルシアンの視線が柔らかく追う。ふと微笑むように肩が揺れ、そのまま帳場に残るメロへと視線を戻し。
「……あの方、もしかしてお風呂沸かしに……?」
「ええ、恐らく。……世話焼きなんです。ご迷惑でなければ、お手伝いさせてください」
一拍だけ唖然としたメロに、困惑と笑みが同時に宿ったのは、それからすぐのことだった。
湯場は、宿の裏手、小さく囲いのされた離れにあった。
風除けに薄い板壁が立てられ、壁の外側に沿うように薪小屋が据えられている。
覗き込めば、残っている薪は少ない。けれど、十分だ。
井戸のそばには水樽が三つあり、そちらも半分ほどが空になっていた。
風呂釜の扉を開け、冷えた灰を掃き出す。樽から水を汲み、薪を組み、火種を仕込み、手慣れたように着火する。
ガルドの視線の先で、ぱちりと小さく弾ける音とともに、細い炎が薪を舐める。その機嫌を窺う耳先に、小さく笑い声が届いた気がした。
顔を上げはしない。宿の小さな窓、その向こう――柔らかに話す気配に、口の端だけを緩める。
ガルドは黙って、薪をもう一本押し込んだ。
――【寄り道と小さな宿】




