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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
次の街まで

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【そこまでの手】


一刻ほど山道を歩き続け、コルグ湖にたどり着く頃には、日が傾きかけてきていた。


山の稜線に触れている夕陽が、辺りを橙に染めている。湖面を滑る風は、ささやかに波間を揺らしている。


瑠璃色を湛えるその水は、秋の夕暮れに照らされて、雄大にそこにあった。



「これは……素晴らしいね」


(ほとり)に立ったルシアンが、凪いだ湖を見渡して、ひとつだけ呟く。その隣に並び立ち、ガルドも同じように眺める。

沈む陽が瑠璃色に反射して、その光が――ルシアンを照らす。

色彩の淡い主は、今にもこの景色に溶けていきそうであった。


「――まぁ、……いい眺めだな」


返された声は、どこかぶっきらぼうだった。水面を渡ってくる秋風が心地いい。

湖畔を取り囲む木々は、ところどころが赤や黄に色づきはじめている。淡紫の前髪が、風でわずかに乱れる。

その隙間から見上げてきた瞳が、ガルドに向いて、静かに和らぐ。


「朝陽が昇る様も見てみたい。今日はここで、このまま野営を張っていこう。朝焼けが溶けた湖も、綺麗だろうから」

「んん……」


わずかに顎を引きながら、ガルドがちらと空を見上げた。

西の空は朱に染まり、風の流れも悪くない。天候が崩れる様子もなさそうだ。あたり一帯は、訪れる夜の気配に静けさを抱いている。


「……わかった。寝床つくる。……お前は景色でも見とけ」


そう言ったっきり護衛は畔から引き返して、湖を囲む雑木林の外縁で荷を降ろした。野営の支度に取りかかる手つきは、無駄がない。

風下を選び、地形の傾斜と湖からの湿気を読みながら、手早く平らに地を均して焚き火用の石を組む。ポーチから乾燥樹皮を取り出し、組んだ石の真ん中に放る。

周囲の気配は、野生動物くらいか。……魔獣の痕跡はなさそうだった。

焚き火の位置から少し離した場所に杭と支柱を打ち込み、天幕を張りながら――。


ふと視線を湖畔に戻せば、ルシアンはまだ湖を眺めていた。

まるで、すでに朝焼けを思い描いているかのように、穏やかに。



「…………」



気に入ったんなら、何よりだ、とか。

お前の景色になったか、……とか。


口には出ない。思い浮かべただけで、火打ち金に打ち付けた短剣の音に、かき消された。


カン、――カン、鋭い音が、静かな風景に響く。

その音に振り返ったルシアンが、わずかに頬を緩めながら、焚き火のほうへと歩いてくる。


(たきぎ)、拾い終わっちゃったかい?」

「ん……いや、まだだ」

「うん、じゃあ拾ってくるね」


散った火花が手の中の火口に小さな炎を灯し、ガルドがそれを石組みの中に放り投げた。足元に転がっていた適当な細い枝を、ひとまずは突っ込んで。


「おい、俺も行く」


一歩遅れて、林の中へ向かった銀糸の外套を追う。背後からは、風が湖面を撫でる音が聞こえるだけ。

湖はそのたびに、瑠璃色の光を細やかに震わせて返していた。






夜の野営地は、遠くどこかでフクロウが鳴き、かすかに風の音がしていた。

ガルドはその場を離れ、林の中ほどで見つけた水場で、食事に使った食器の始末をしている。適当に水を切りながら戻れば、ルシアンは焚き火の傍らに座り込み、夜に更けるコルグ湖を遠目に眺めていた。


ガルドの足音に、わずかに振り返るようなそぶりを見せるが……けれどまた、湖へと視線がいく。


「夜番、今日は私が先にしようか」

「……んん」


背嚢に食器をしまい込みながら、ガルドが喉の奥で唸る。こうした野営時の夜番は、夜更け、月が天を回る頃に交代をして、順に仮眠をとるのが常になっていた。後先に関しては、その日の気分で適当に決める。

――寝ずの番でも、まぁ、苦ではないが……それを許す雇用主ではない。


「……わかった、それでいい」

「夜半に起こすね」

「ん。……朝焼け見るなら、早起きしねぇとな」



ルシアンの耳に届いたその声は、いつもより低く、ほんの少し掠れていた。

振り返れば、焚き火に照らされて赤く染まる黒髪。――す、とこちらを見下ろして、すぐに目を逸らす。


「……起こしてやる。寝坊しねぇように」

「ふふ、うん。お願いね」

「まぁ……、寝坊したところで、お前が映ってりゃ、それで済みそうだ」


足元に落ちるようなそんな呟きは、まるでルシアンに向けて言ったのではないかのようだった。

きょとん、とした瞳が、ガルドの方を見やる。

――しまった、というような視線が、一瞬だけ淡紫を向いて。


けれど、それ以上何かを足すでもなく、引くでもなく。



「……私が綺麗だと言ってるかい?」



首を傾げたようなルシアンの声音に、……意地の悪さやからかいはなかった。

ただ静かな微笑みだけが、焚き火が爆ぜる音に消え入りそうで。


だからガルドは舌打ちもせず、ただ小さく息を吐く。


「…………るせぇ」

「ええ……」


苦々しげな護衛の顔は、さしずめ、"勝手に聞きやがって"といったふう。

足元の薪を、火の中にくべるように放る。赤い瞳は、もう炎の中から上がってこない。

それでも口を開いて、――何も言わずに閉じ、……もう一度開く。


「……キレーだなんだ、そういうのは……」


言いかけて、焚き火がぱちりと音を立て、それをきっかけに、ガルドは続きを呑み込んだ。

代わりにがし、と頭を掻き、どうにも困ったように眉を寄せて、ルシアンの隣に腰を下ろす。背を火に向けていた。


「……水は……、映してるだけだ。空だの、風景だの」

「…………」

「けど、お前が映ると……最初っから、そうだったみてぇに見える」


言ってしまった自分の言葉に、自分で眉を寄せる。

言い慣れないことを言うもんじゃない、というのは……誰よりも自分が一番わかっている。うまい言葉も出てこない。だが、それ以上はもう何も言わなかった。


「……、そう……」

「…………」


ぽそりと返しながらルシアンも、予想外にまっすぐな言葉が返ってきて、わずかに目を開いていた。


この護衛のことだから、舌打ちをして、文句の一つでも言いそうなものなのに、と。

だからこそ、その言葉の静けさに、頬が少し――、隣から目を逸らす。


火の粉が宙に舞い、星のように瞬いては、夜気に溶けて消えた。

湖面も今はただ、浮かび始めた月光を映して静かに息づいている。



返事の途絶えたルシアンに、――ひくりと、ガルドの視線が揺れる。指先が冷えていく感覚。

今まで、隣の男の見た目に言及したことは、ほとんどない。自分の中性的な見た目を、きちんと理解している彼。"嫌ではない、けれど疲れる"と、旅のどこかで言っていた記憶もある。


しくった、と思った。やらかした、……と。

目の端で、隣をそろりと見下ろす。火に向いた顔は、俯いていた。


「――……」



先行したのは、心配。

またどこか具合が悪いのか、――まだ魔力が不安定なのか。……夜風で冷えたのか。


「……おい」


と呼びかけて覗き込めば、スッと眼前に手のひらを差し出された。


というよりは、視線を遮られた。

――向こうの目元が、見えない。


「……ふふ、ダメだよ、ガルド」

「は……」



明確な制止の言葉と、初めての、真っ向からの、「ダメ」。

思わず突き刺されたような気持ちに――なる、が。


手のひらの向こう、口元が微笑んでいる。声色は、やはり笑んでいる。


背筋がぞくりとする。

それは、……この手のひらは、拒絶ではないのか。否定でも、……もちろん仮面でも、……。


「……チッ」


辛うじて、何とか、舌打ちを返す。


けれどため息は、もうほとんど"降参"に近い。手のひら越しに見ることすら叶わない、その銀の瞳。

だが、笑っている――確かに。それだけは、まるで皮膚の下から伝わってくるほどに、はっきりと。


「……てめぇ、たちわりぃんだわ」


低く唸るように言って、眼前の手のひらをそっと払いのけた。触れるには近すぎて、見つめるには強すぎて、どうにもならない距離。

それでもガルドは座ったまま、不機嫌そうに鼻などを鳴らしてみる。……ほんの少し、肩先が触れるくらいの微細な寄りかかりと。


「……もう喋んねぇ」


悪態をつくような口調とは裏腹に、声には熱がなかった。

そのまま、ただ焚き火の爆ぜる音に身を任せる。


月光の中、湖面に二人分の影が映っていた。






――【そこまでの手】

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