【峠道の焔】
山腹、その中ほどの岩肌を超えた先。
――ふと、ふたりが顔を見合わせ、ゆっくりと足を止めた。……、……何かの気配。
斜面に身を寄せて周囲を警戒すれば、ボリ、ゴキ、といったような鈍い音が、道の向こう側から聞こえてくる。
一歩先導したガルドが岩陰から先を見やると、山道沿いで大型の爬虫類が数匹、ボリボリと露頭の岩を貪っていた。
護衛の腕越しに、同じようにルシアンもそれを見る。……ちら、と隣の巨躯を見上げれば、赤い瞳もまた、静かに見下ろしてきていた。
「……焔リザードだ。奴ら、燃える」
「焔リザード……」
なるほど、と小さく頷きながら、その視線はまた、食事に夢中になる爬虫類へと向いた。
見るに、岩ではなく露頭に見える鉱石群を摂取しているようであった。"焔リザード"とガルドは言ったが、岩壁に頭を突き合わせている魔獣たちは、赤茶や黒褐色、ところどころに黄土のような色の混じった、鉱石色の体表。
ふたりがそれを気配で以て察知できたからよかったものの、気づかなければ地層や鉱脈、岩肌に紛れて発見が遅れそうだ。その中には、一回り大きな白化した個体も見えた。
「……あの白いのは?」
「ありゃあ……白焔だな。年食って、硬ぇ」
「ほう……上位個体というやつかい?」
「まぁ、だな」
ゴギ、ボゴ、と……今も岩場からは、山肌を砕く音が聞こえてきていた。
燃える――というのは、恐らく体内に溜めた鉱物を燃料にしているのだろうか。現に体表の表層は、酸化鉄や焼けた岩のような色合いだ。腹側や関節の内側は灰白で、鱗甲の継ぎ目は白っぽく焼成されているようにも見える。
「…………」
燃えるんだよね……、と、銀の瞳が護衛を見上げる。多くは語らない。多くは語らないが、その眼差しは雄弁が過ぎた。
「……、……ふん」
ひとつだけ、鼻が鳴る音が返る。舌打ちは落ちなかった。
まるでそれすらわかりきっていたこと、といった顔をして、ガルドが背中の荷を下ろす。
「離れてねぇと熱いぞ」
「うん、わかった」
嬉しそうな囁き声とともに、ガルドの腕に柔らかな手が触れる。肌に張り巡る防御魔法は、"頑張って"でも"よろしくね"でもなければ"面倒をかけるね"でもない。
「楽しんで?」
「…………」
――にこり、いつのも笑顔である。
それを視界の端で捉え、ガルドも小さく顎を引く。通常個体が四体。白焔が一体。まぁ、肩慣らしには悪くない。何より、奴らは雇用主殿の"見る価値のある景色"となったのだ。
「……ったく」
建前だけでも唸ってみるものの、もうただの呼吸のようなもの。
雇用主はすっかりと岩陰に腰を据え、傍観者としての見通しのいい場所を確保しているし、それでいて"すぐ終わるでしょう?"という笑みすら湛えていた。
巨躯が前へ出る。岩場を踏み越えながら、大剣の柄に手をかけて。
白焔リザードが、じりと頭をもたげる。口腔や鱗甲の継ぎ目から揺れるような熱が燃えるのは、それが彼らの威嚇であった。それに気づいた他の焔リザードも、体表からうっすらと熱を帯び始めている。
硬い外殻。炎に包まれる身体。鈍重そうでいて機敏に動く尾、牙。複数の個体群に突っ込めば、集団が同時に熱を帯び、周辺温度が上昇し、接近戦の難易度が――
――ぬらり、引き抜かれた大剣は、重たく地面に切っ先を引きずった。
「……なるほど、熱さも"防御"すんのか」
魔獣の咆哮と炎の唸りが岩を焦がす中、ガルドの大剣が、地を裂くように振り上げられた。
「"白焔"は……、色が焼き切れているのだろうか」
大気が裂けたような音が響く。斜面を駆け、炎をまとう獣たちの前へ、風のように滑り込む巨体。
熱で空間がわずかに歪んでいる。さながら、蜃気楼のように。
「アルビノや老齢によるものではなさそうだ。熱変質が進んでいるのか、不純物が飛んで……石灰質になっているのか」
銀の瞳は、口元でぽつぽつとそれを呟きながら、楽しげに目線を動かしていた。手帳を出さないのは……焦げたら困るから。
炎は、リザードたちの鱗の下から、継ぎ目から、喉の奥から、背の稜線から。まるであの存在自体が、焔であるかのようだった。
「胃か腹腔のどこかに鉱物蓄積器官があるか……、可燃性の成分は血や体液にも回っていそうだ」
赤や黄色の焔が爆ぜ、岩が割れる。鉄塊が風を切る音、だがその中心に、揺るがぬ黒き影。
「……熱くないのかな……」
きょと、とルシアンの瞳が、その影を捉える。そういえば、あの外套は断熱もあると言っていただろうか。
身体にも防御魔法を這わせたとはいえ、あの火炎の中にああして立っているのは……ちょっと度し難い。
それでも寸分狂わずに振り下ろされた大剣は、まるで火の粉など無いかのように白焔個体の首筋を狙い――
――ごうっ、と閃いた剣閃に、炎すら飲まれた。
「ッギイ――」
断末魔とも言い難い、軋んだような音。その様を見ていたルシアンの頬を、熱気が掠める。毛先にちり、と、火の粉。
ルシアンはそれを指先で丁寧に擦り、ただ静かに、まるで舞台を観劇するかのように唇の端を緩めた。
白焔が呻くようにのたうつ。
首筋に深々と刻まれた裂け目から、燻る鉱石片と赤熱の体液が滲み出す。取り巻くような他個体が唸り、咆哮し、溢れた炎が地を焼き払う。
だが、――無骨な男の動きは、それすら"演出"と見紛うほどに、隙なく、そして美しい。
「……んん、斬れたな」
ぼそりと零れたガルドの呟きは、どこにも届かない。一番硬い"白焔"が斬れた。……ならば、もう、仕舞いのようなものだった。
厚手の外套は、流れる炎をくるりといなす。横合いから跳びかかってきたその一体を、身体ごと叩き伏せるように、けれども肘で受け流し――。
「ならお前も斬れるな」
無感情な声と共に、剣が逆手に振るわれる。
黒褐色の尾が宙を舞い、これを囲んでいた三体も、たちまち怯えたように距離をとった。
焼けた岩が爆ぜ、炎の幕が舞い上がる中で、一歩、また一歩と歩を進める大男の足取りは、……異様なまでに静かだ。
ルシアンの視線が、自分をなぞっているのがわかる。その口元に笑みが浮かんでいるだろうことも、想像に難くない。
ならば殺陣を演じるまでだ。
「……あち……」
警戒を固くする三体を、赤い瞳が射抜く。
次の瞬間には、焔を纏う身体が空中で斬り裂かれていた。
完全に沈黙したリザードたちの中、ガルドはルシアンに背を向けて立っていた。
当然の顔をして、傷一つ負っていない。大剣についた体液を滴り落とすように、持ち上げてわずかに傾けている。
粘る血液。脂っぽさもある。斬った血肉に鉱石が混じっていたようで、粒状の熱がこびりついている。
「…………」
――こりゃ、ひとまず冷ますか……と片眉を上げれば、背後に歩み寄ってくる足音が聞こえた。
低く肩越しに視線を向ければ、涼やかに外套を揺らしながら、ルシアンが焦げた地面の上を歩いている。
「すごい炎だったね。こっちにまで熱が来たよ」
「……の割にゃあ焦げてねぇな、おめぇは」
ふふ、と銀の笑みが細まり、背中側、ガルドの外套の裾を軽く持ち上げた。
ほんの数滴、リザードの返り血が熱く燻っている。が、それもすぐに鎮火していく。
「君もおかしいけど、君の外套の性能もおかしいね?」
「……褒めてんのかそりゃ」
「うん」
笑う声色はやはり楽しそうで、ルシアンはそのまま、軽い足取りでガルドの隣へと回り込んできた。切っ先を下にして掲げられた大剣を、一瞥。ぬた、と赤黒い液体が滴り……これは、なかなかに、汚れが。
「……鉱物食は……勝手が違うね……?」
「んん……あとで棄て布かなんかで拭う」
「……。……"しずく"でちょっと流そうか?」
ぴく、とガルドの視線が振れる。大剣は、自身の身体の延長のようなもので、手入れは全て自分が行ってきた。鍛冶屋に預けることこそあるが、他人に触らせることは、そもそも……。――けれどこの状態の大剣を、鞘にしまいたくないのも、確かだ……。
「……いいのか」
「うん。流すだけでいいかい?」
わずかに首を傾げながらそう問うルシアンの手のひらに、じわり、澄んだ水が湧き上がる。魔力由来のその水は、魔術師であれば誰でも使える"生活魔法"のうちのひとつで。
「……、刃元と、鞘口の周りだけでいい」
言いながらガルドも大剣を差し出せば、ルシアンが短く頷いて手のひらを傾けた。"しずく"がひとすじ、嫌な膜を押し流していく。
穏やかに笑むその横顔は静かで、余計な善意もなければ、押し付けるような驕りもない。
刃元と銀の眼差しを交互に追いながら、ガルドも静かにそれを見る。――この魔術師は、無駄な魔法は使わない。言ってしまえば、洗浄の生活魔法として"きよら"もある。
だがそれをむやみに差し出してこないのは……、そういった介入が全て"快適"に繋がるというわけではないとわかっているかのようで。
(……こういう、とこだよな……)
嫌な汚れだけが落ちていく。ささやかで温度のない手出しが、どこをとっても"コイツ"だな、と思う。――ぽた、と整った指先から最後の雫が滴り、ガルドもザっと水滴を払った。
「――助かった」
「うん」
相も変わらず機嫌の良さそうな返事は、余韻など何もないかのように道脇のリザードへと向いた。
それらの体表に揺らいでいた火勢はすっかりと静まり、焼成された後のように硬くなっているだけ。山道に散った体液もまだ少しじりついていたが、見た限りでは燃焼の心配もなさそうだった。
「剥ぎ取り、するのかい?」
地に転がった白焔の傍らにしゃがみ込み、ルシアンがその口元を覗き込む。白くなった体表はやはり、何度も燃えて焼き締まり、より硬質になった果てのように見えた。ガルドからは返事こそなかったが、その手は黙って腰にある解体用の短剣へと向く。
鱗甲は工房に需要がある。火核は魔道具関係での納品依頼も多い。白焔は希少度が違う。どこをとってもいい。
「……飯代にはなるな」
「ふふ」
風が通り過ぎ、炎のにおいが薄れていく。その中に、柔らかい草と土の香り。
けれど肌に、"しずく"の気配がほのかに残っていた。
――【峠道の焔】




