【魔力回復薬】
――いつもと変わらず、静かな夜だった。
ルシアンを抱えたままに、宿屋の自室へ、巨大な影を揺らしてガルドが入る。
その横では女将が扉を開けながら、
「まったくあんたがついていながら!」
と、ガルドを一喝していた。
それを受けたガルドもまた、バツの悪そうな顔をして、けれど両腕に抱いていたルシアンを、ゆっくりと、ベッドへ下ろす。
「……悪かった……」
「連れ帰っただけ立派だ!ったく!」
……何故、女将に謝らなければならないのか……。そう思いつつも、謝罪は何故か口をついていた。
ガルドの肩越しにルシアンを見下ろした彼女は、鋭くひとつだけ息を吐いた後、――ベシ、とガルドの肩に喝を入れる。
「……いてぇ」
「あんたも無茶したんじゃないだろうね!」
「るせぇ、……毛布足してくれ」
「まったくもう!」
ぱたぱたと部屋を出ていく足音を背に、ガルドがベッドの上掛けを引き寄せる。
ぴく、と眉が振れてわずかにまぶたを上げたルシアンは、……その喧騒が聞こえていたようだった。――ふ、と口元に、笑みが宿る。
「……ふふ、……君が、叱られてるね……」
「おう……おめぇは明日だ。俺と女将からな」
「ええ……」
えーじゃねぇ、と、低く声が落ちる。こんな時でも軽口で茶を濁そうとする雇用主については……、ガルドはもう諦めた。
「……着替えは。どうする」
「……ちょっとまだ、動けないから……明日でいいや……」
「…………」
外套や剣帯を外しながら渋面で覗き込む護衛に、ルシアンは笑いながら、軽く手を上げる。
――大丈夫、の仕草だった。
「魔力は、戻ってきてるから……明日の昼には、治るよ」
「……そっかよ……」
がちゃ、と大剣を、壁に立てかける音。ついで、ガルドがポーチから、……使う予定のなかった魔力回復薬を出す。ベルミードで、念のためと買っておいたもの。
ガルドの持ち物から予想外のものが出てきて――ルシアンが、心底微妙な顔をした。
「なん、なんで持ってるんだい……それ……ひどい味なんだよ……?」
「バカが。言ってる場合か」
渋々……、といった形で、ルシアンが手を伸ばしてくる。
渡す際に触れた指先は、氷のように冷たかった。……ギュッ、と、またガルドの眉間に皺が寄る。
水の入ったグラスを渡せば、ルシアンも黙って薬を服用し――、にが、という味の感想は、その表情が何よりも雄弁で。
部屋の扉を叩く音にガルドが答えれば、女将が厚手の毛布を持って入ってくる。
ガルドに毛布を手渡し、ルシアンの傍らにある空になった薬包紙を見て、頷きをひとつ。
「ちゃんと休むんだよ。なんかあったら来な」
最後に落とされた言葉はそれだけで、けれどどこか優しかった。
ばさり、ルシアンの上に、毛布が足される。
「……おい、外套だけ外すぞ」
「んん……」
伸びたガルドの手が、その首元の金具を外した。するりと布を引き抜いて、軽く整えたのちに椅子の背にかける。
もう一度、傍らへ寄る。……意識はあれど、やはり少々鈍い。
先ほど触れた、冷えた指先の温度が、手に残る。
「……つめてぇのは、……魔力枯渇のせいか」
「ん……そう、だね」
返ってきた声は、どうにもか細かった。
安全な宿の中、回復薬を服用し、……うとうとと、その意識が遠のいていく。
「…………暖めりゃ、少しは楽か」
「……ん……」
そう答える瞳は、もう閉じられている。
呼吸は、消えそうなほどに小さい。
「……、くそ」
――がし、とひとつ頭をかいて、横たわるルシアンの隣に、ガルドがゆっくりと身を沈めた。
何も言わず、背中から抱きかかえる。細身の体は、全身が冷えていた。
上掛け布団と、先ほどかけた毛布を手繰り寄せ、ルシアンごとまとめて腕の中に入れる。
(……怒られる筋合いはねーぞ)
そんな文句が脳裏をかすめるが、……言葉にはしなかった。
背中から腕を回し、肩を包む。ぴくりと、ルシアンの身体が反応する。
意識は朦朧としているはずなのに、この接触だけは届いているようで。
「……ガ、……ド……」
曖昧に漏れた声が、喉の奥で震えて……ほんの一瞬、ガルドの胸に刃を突き立てたようだった。――けれど。
「……湯たんぽじゃねぇぞ」
「……ふ……」
笑みがこぼれたような気配に、ガルドもそれ以上は何も言わず、ただ、じっとその背を預かった。
……大丈夫だ、連れ帰った。
薬も飲ませた。毛布もかけた。会話もできる。
明日の昼には治ると言った。
――『君に、叱られるか』
……ああ、全くその通りだな、と……目を閉じる。
後戻りができない場所まで、相手が何なのか黙っていたこともそうだ。
こうして己の限界を超えてまで、それを助けたこともそう。
ぶっ倒れて、"あとは任せた"のように笑ったことも、そう。
「……。……好き勝手しやがる」
低く掠れた声は、ルシアンには届かない。
届いてもきっと、小さく笑うだけ。
それでも、ガルドは抱きしめる手に、少しだけ力を込めた。
冷えた背を、胸の温度で包み込むように。
夜の帳の中、風の音が、遠く低く、唸りながら通り過ぎていった気がした。
――【魔力回復薬】




