【風嵐の中心】
目的の地点が近づくにつれ、あれほどに吹き荒れていた風は、治まっていった。
それはまるでここが嵐の中心であるかのようで、遠く背後に渦巻く気流の唸りだけが、こちらに呼び掛けてきているかに思えた。
「……ガルド、歩きながらで、いいから、……聞いてくれるかい」
山道を登るガルドの背後から、そんな声がする。わずかに振り返れば、弱い笑みが見える。声音に、疲労の色もちらついた。
「……なんだ」
「うん……まず、悪い可能性から、教えるよ。あの山間に、何らかの……歪みがあって、そこへ制限なく、魔力が垂れ流しになって、いるか――」
……ふつふつと途切れる言葉は、浅く呼吸を繰り返しているためのものだった。足を止めかけたガルドが、けれど歩みを止めないルシアンに、それをやめる。
「……もしくは、何者かが特殊な機械を……用いて、魔力を吸収、濃縮させて、なにかに利用、しようとしている可能性……」
――コイツは、こんな時でもわかりやすく噛み砕いてくれている、と……ガルドはすぐに理解した。
は、は、とルシアンの呼吸が乱れる。瞬きが多い。微笑みは薄く、明らかに平常ではない。
魔力に疎いガルドでさえ、この一帯の魔力の濃さに悪酔いしかけている。魔術師にはことさらだろう。
それでも、山道を進む足取りは、揺らぐことはなく。
そこまでして見に行く価値のあるものなのか、と……ガルドも制する言葉が出てこない。
「次は、いい可能性……、……いや、さっきのよりは多少マシって、だけだけれども――、たとえば何らかの、魔獣がいて、それが魔力を吸い取っている可能性」
――ぴくり、ガルドが立ち止まり、後ろを振り返る。
討伐か、と言うような視線に、ルシアンはやんわりと笑って首を振った。
「魔獣が魔力を、蓄えるのは、……ひどく消耗してしまった時なんだ。病気とか、大怪我とか、そういうもので……それなら簡単、こちらから魔力を、流して、"整えて"あげればいい」
「…………」
……理解し難いのに、理解できてしまう。睨むように目を細めたガルドの隣に、息を切らしたルシアンが追いついた。
顔色が悪い。冷や汗をかいている。だがやはり、どこか端然としている。背筋を伸ばし、山の一点を見つめる銀の眼差し。
「そもそもね、地脈から流れ出る魔力は、……言わば全開の水門。調節もなにもあったもんじゃない。……だからいつまで経っても、治らないし、苦しむ」
「……ああ」
「でも、彼らには、それ以外に術がないから、そうするしかない」
再び一歩を踏み出したルシアンにつられ、ガルドもまた顔を前に向ける。
今度は、並んで。確実に、進む。
「……学者か研究者の次は、魔獣の医者か」
零れたガルドの小言に、横合いから小さく笑うような音がした。
まだ、"倒せ"と言われた方が、よほど気が楽だった。だが魔力を流して、調節して、整えて……など、何をどうしても、ガルドの出る幕じゃない。
「こちらから……魔力を流せば、相手の魔力に合わせて、流す量、や、……速さで、体内の魔力のめぐりを、正常に戻してあげられる……。……残る問題は──」
言葉が切れ、一拍。
浅く繰り返される息は、苦しそうだった。
銀の瞳が、ガルドを見上げ、困ったように――そして観念したように、笑う。
「助けを求めて、この規模の魔力災害を起こすなんて、竜種くらいしか……心当たりがないことだね」
ざく――と靴音を鳴らして、今度こそ、ガルドが立ち止まった。
風は吹いていないのに、喉奥から息が漏れた。それに気づいたルシアンも、その場に立ち止まる。
"竜"。
魔獣ではなく、魔物の枠におさめきれず、存在そのものが環境となる。
人の敵ではなく、味方でもなく、ただ彼らの世界を生きるだけの存在。
人間など、脅威とすら思っていない、悠然の種族。
――そこへ。
「……行くってか」
「…………」
にこり――、と笑う顔に、逡巡は見られなかった。
だからガルドも、表情は崩さない。眉間の皺が、ほんのわずかに深まっただけ。
魔術師が、再び山道を歩き出す。
それを見て、ガルドも静かに歩を再開した。
小石を踏みしめる音だけが、あたりに響く。
周囲に生き物の気配はない。魔獣はもちろんのこと、動物も、鳥も、虫さえもいない。
ただ、遠く渦巻く風の唸りと、――目の前で途切れ途切れになる、彼の息遣い。
それが、現実だった。
魔力が濃く、淀んでいる。ガルドですら、頭が痛む。
音が遠く、耳鳴りのような不快感。胃の底から、じわじわと気持ちが悪い。重たい油を、無理やり飲まされている感覚。
これに輪をかけて不調を感じているであろうルシアンが、それでも進んでいくのなら。
――『"吸ってるやつ"なんていたら、とんでもないよ』
「……とんでもねぇやつが、"吸ってた"な」
低く落ちたガルドの軽口に、ルシアンの肩が一度だけ、柔らかく揺れた。
その背に、緩く手を添える。く、と押し上げれば、わずかに振り返った横顔に笑みが見えた。
覚悟はとっくにできている。
どんな相手だろうと、この男の隣にあると決めたのだから。
――【風嵐の中心】




