【北の山へ】
その夜、宿屋にて、あらためて打ち合わせた話はこうだった。
望遠鏡が向いていたポイントは、北西の山脈地帯の、山と山の間にある。
峡谷を越えるが、地図を見れば迂回路があった。これに関してはガルドが地形を読めるので、道行きは心配ない。だがそれでも、谷を渡るとなれば、片道だけでも丸一日かかる。
……だからといって、人体に影響があるほどに魔力の濃い地で、野営はできない。
結局ふたりは、翌日の昼前に街を出て、魔力の影響が濃くなる手前の山道で野営を張ることとした。
――何を準備すればいい、と問うガルドに、ルシアンは簡単な野営の準備だけでいい、と笑った。
「……またエルフやら何やらが出て来るんじゃねぇだろうな」
「ふふ、そうだと言ったら、君は連れて行ってくれなさそうだね」
ルシアンの、そんな否定も肯定もしない言葉は、……ガルドにはもう、慣れたものだった。
翌日は、皮肉にも秋晴れの一日。
山はまだ深い緑に覆われていたが、木々の葉が色づいていたとすれば、大変に行楽日和な天候だった。
景色を見ながら歩くルシアンは、いつもの通り、軽い足取り。
ガルドも身軽なもので、野営用の天幕も、火熾しの道具も、夜を凌ぐ毛布も、今は全て空間収納付きの魔法鞄に収めてある。
身体に現物の重みを感じないのは、やはりまだ少々そわりとするが――それでも、少しずつこの形にも慣れてきていた。
峡谷を渡り、夜、目的の山道に着く頃には、――ルシアンの表情に、ほんの少しの翳りが出ていた。
というよりは、顔色が悪い。まだ目指すポイントまでは距離があれども、濃すぎる魔力の気配に影響されているのだろうということが窺えた。
その横顔を視界に捉えつつ、ガルドが周囲を見渡す。北の丘で巻いていた風は今も盛んに吹いており、これを凌ぐ場所が欲しかった。
見れば山道脇に大岩があり、近づいて手をかけてみてもぐらつきはない。安定した風除けになりそうだ。
その大岩の風下に入り、岩から伸びるように天幕で風除壁を張っていく。その作業の傍らで辺りを警戒するも……やはり山道に、魔獣の姿はない。
こうして不調を起こすほどに、不安定な魔力――、なるほど、とルシアンが、山間を見上げる。
――逃げていったのだ。この北西の山一帯から。
その行き先が"どこ"だったのかなんて……今となっては考えても詮無いことだが。
「……どこ行ったんだろうな、ここの魔獣共は」
「……もう君に倒された後かもね」
わずかにこめかみを押さえつつ、まだかろうじて軽口が返るルシアンに、地面に鉄杭を打ち付けていたガルドが、やれやれと口角を上げた。
大岩と幕でできた壁の内側で火を熾せば、焚き火は少し揺れながらも、風に煽られることなく安定して火の粉を飛ばした。
毛布を背負い、腰を落ち着けたルシアンが、やや眉をしかめながら地図を広げる。
「……明日の明け方に発てば、すぐに着きそうかな」
「……ああ……、」
返事をしつつも、一拍迷って、ガルドがそれを取り上げる。はた、とそちらを向いたルシアンも、――ガルドの表情に心配が滲んでいるのが見えて、大人しく肩をすくめた。
「寝るぞ。どうせ魔獣もいねぇ。夜番はいらねぇ」
「……うん、そうだね」
焚き火を挟んで、それぞれに毛布を纏う。ぱち、とふたりの間で、火が爆ぜる。
ふとそれを見て、次に目が合い、互いに何を言うでもなく、目を閉じた。
夜風は変わらず吹き荒れていたが、岩と幕がそれを遮ってくれた。
――というよりは、これを遮ってくれたのは、ガルドか。
そう思いながら、ルシアンが敷布の上の横になる。月も雲間に隠れ、辺りは淡く暗い。
火の光だけが、ふたりを照らしていた。
風が巻く音も、木々が擦れ合う音もする。普段の静かな焚き火の音や、虫の音、互いの呼吸の音は聞こえない。
それでも、この場は不思議とどこか穏やかだった。
「無理すんなよ」
焚き火の向こう、座ったままに目を閉じているガルドからそんな声がかかり、ルシアンが小さく頷いた。
ガルドも片目でそれを確認し、ようやくひとつ、息をつく。
――せめて明日が、少しでも穏やかであるように。
そう願いながら、夜は過ぎていった。
――【北の山へ】




