【腕輪の裏】
ギルドの食堂の片隅、特に何かを注文するでもなく、ガルドは椅子にかけていた。
ルシアンは書庫整理。暇である。
酒――は飲むつもりもない。飯――はルシアンが戻ったら一緒に食うとして。
大剣……は宿に置いてきたから、手入れのしようもない。
「…………」
――腰に回したポーチをおもむろに外す。ぱちりと蓋を開け、中身や携行品の確認、点検をしていく。
ルシアンに贈られたこの空間収納付きのポーチ、思いのほか、容量があった。
旅の行軍に必要な細々としたものや、食料、嗜好品、着替えの一式まで入れてもまだ余裕がある。
実用的で、”使う理由”がある贈り物。携帯する言い訳ができるもの。
恐らくもう、そこまで読まれて贈られている。あの魔術師らしいなと思った。
そうしてポーチから物を取り出している最中、ふとその意匠が目を引いた。
飴色の革。銀の留め具。
縫い糸もごく普通のものだったが、ポーチの内側を渡る縫い糸が、食堂の魔法灯にきらりと反射した。
ぴくりとガルドの片眉が上がる。改めてじっくりと観察すれば、内革の縫い糸には銀糸が使われていた。
目立たず、光の加減でやっとわかるような。
見えないとこもオシャレにってか、とわずかに口角が上がる。これもまた、あいつらしかった。
テーブルの上に広げたものを、適当に確認していく。とはいえ、魔法鞄の中はどうやら時間も止まるようで、入れた食べ物が痛んだり腐ったりはない。する確認と言えば、在庫の管理くらいか。
取り出した持ち物をまた無造作に収納しつつ、頭の中で数を数えていく。――まぁ、どうせまた旅立ちの前に、物資の買い出しやらで見直す。今のはただの暇つぶしだった。
ふと……、荷物をしまう自分の手元、左手首の腕輪に視線が落ちる。
風呂以外ほぼつけっぱなし。もうすっかり馴染んだ。
「……ふん」
鼻を一つだけ鳴らし、外す。ポーチからクロスを取り出して、銀のプレートを軽く磨く。
こちらも凝った意匠のない、シンプルな装飾品。……大切に、使っていた。
だがプレートを裏返して、ガルドはかすかな小傷に気づく。――まずい、と思った。
扱いには注意していたが、やはり免れないか、と舌打ちをしそうになって――それをじっと見る。違う、傷ではない。細い線。
腕輪、銀のプレートを、くる、と指先で傾けて、光の反射を探す。これは、彫り文字だ。細い筆致。
「……L……to、G……?」
声に出して読んで、直後に声を失った。
耳が熱を持つ。周囲に誰もいないのが幸いだ。
刻まれていたのは、極細の筆致で残された、まるで隠すようなメッセージ。
L to G.
――それだけ。
最初から、見せることを想定していなかったかのような、控えめで、静かな刻字。
それでも、この手の中に確かにある。プレートの裏、手首に触れる側。
自分しか見えない位置。自分しか気づけない距離。
……くそ、と喉の奥で呟き、クロスでそっと指を拭った。
だが、もう、見えてしまった。ここからなにをどうしても、なかったことにはならない。できない。
「……やりやがったな……」
誰にともなく言い零し、指先でそっとその文字に触れる。
プレートの上をなぞる。なぞったら、何か伝わってきやしないかと思って。
……まぁ、ひやりと静かな、感触があるだけだが。
一度深く息を吐いてから、ガルドはそれをそっと腕に戻した。
――気づいたことは、伝えないし、言わない。
これはきっと、”気づいたやつの負け”だ。
ポーチの留め具をしっかり閉じ、立ち上がる。
手首のプレートが、いつもより少しだけ重く、温かく感じた。
――"無紋"が、書庫にいるぞ、と。
ギルドの冒険者らの間でそんな話が広まるのは、あっという間だった。
興味本位で覗きに行く者、調べものがあるからと自分に言い訳をする者。
書庫など行ったこともないのに常連のふりをする者。難しい本を借りようとする者。
ルシアンが座るカウンター前には、少々の人だかりができていた。
「か、貸し出しお願いします……!」
「はい、こちらの貸出台帳にご署名を。そちらの異聞抄、面白かったですよ。返却は三日以内でお願いしますね」
「すみ、すみません、薬草……ウェネの葉について調べたくてッ」
「ウェネの葉は鎮痛効果もありますが、摂りすぎると舌に麻痺症状が出るようですよ。詳細は薬術研究院の棚に専門書があります」
「んんっ。こ、古識編纂録を探しているのだが」
「はい、古識編纂録ですね。持ち出し不可ですが、閲覧はできますよ。奥、九番の棚にございます」
柔和な笑顔と穏やかな口調で利用者を次々と捌きながら、手元では古文書の修復補助が進んでいく。
整理カードにさらりと連なる文字は、ギルド職員の書式に合わせた筆記スタイル。
蔵書分類表がいつの間にか整備されている。
なかなか手が回らなかった、配架済みリストまで仕上がっている。書式まで完璧に。
今日、午前中だけで、普段の半月分の利用者が訪れていた。
(あの人が神様なのかもしれない……)
――ぽつり……。分類棚の補修作業を進めていた職員の、涙ながらの眼差しがあった。
――【腕輪の裏】




