【書庫職員の健闘】
宿からギルドまで続く商店通りは、朝の活気に満ちていた。
薬草束の並ぶ軒先、木彫りの工芸品、銀の装飾品。
どこを見ても、彼の目を引きそうなものばかりだ、と思ったが、……ガルド自身がそういうものに敏感になっていることに、本人が気づいていないだけかもしれなかった。
「…………」
先ほどの、宿でのやりとりを、ひとり反芻する。
――"本を借りてやろうか"、なんて、ああしてふと思い立ってしまうあたり、……やはり最近、どうにも甘やかし……いや、過保護……、いや、世話焼き……?が加速しているか、と。
……ガルドは無造作に、ポケットに両の手を突っ込んだ。
たどり着いた石造りのギルドは、どの街でも同じような佇まいで、遠目からでもわかりやすい。
近づくにつれ、街のざわめきと引き換えに、冒険者の姿が多くなってくる。
外套も大剣も持たない――けれど特徴的な黒髪と赤眼の巨躯を以てして、じわりと控えめな視線が集まった。
「……おい、あれ無哭だ」
「一人……?連れがいるって噂じゃなかったか?」
「え、なに……?無哭ってソロに戻ったの?」
朝のギルド前、広場の喧騒の中で、そんな囁きがちらほらとガルドの耳に入る。いちいち反応するにも至らないし、睨みつけるまでもない、が……当然のように、あの雇用主が隣にいることがここまで浸透してきている、か……。
「……んん……」
――咳ばらいを、ひとつ。誰に取り繕うでもなく、緩みそうな頬を引き締めるためのものだった。
寄せられる視線のどれとも目を合わせず、ガルドはギルド正面の大扉を引いた。
ギルドホールはすでに、活動の気配に満ちていた。
依頼掲示板の前では冒険者たちがそれぞれに依頼書を吟味し、受付カウンターでは報告書を受け取る職員が走り回っている。
その中を、ごつ、と石床を踏みしめながら、ガルドが進む。
カウンターの受付職員が、唖然とした顔で腰を浮かしかけている。
――"無哭"だ。この街に来ているという噂だけは聞こえていたが、本当だったか、と。
温度のないその眼差しは、ホールのどこを見るでもないが、全員がわずかに息を引いていた。
「お、おはようございます、ご用件をどうぞ……!」
カウンターの面前まで来たガルドに、受付職員がとうとう立ち上がる。カウンター内、他の職員たちも、書類を手にしたまま無意識に背筋を伸ばしている。
……あの柔らかな淡紫がいないというだけで、やはりここまで硬くなるか。久しぶりの光景に、ガルドの眉が、小さく片方だけあがる。
「……、……書庫、開いてるか……」
「書っ……は、はい、担当の職員は、もう出勤しております……」
恐る恐るといった具合に返された言葉に、ガルドがひとつ頷いた。ごつ、とその足が向きを変え、ギルド二階に続く階段へ。
ぎしり、ぎしりと階段を上っていく背に、ギルドホールの耳目が集う。
――無哭が、書庫……?
ホールが朝の喧騒を取り戻すのには……やや時間が必要だった。
冒険者ギルドの二階、廊下を渡っていった奥にある書庫は、まだ朝早いためか人の気配が少ない。
そんな中で、誰よりも一番に目を白黒させていたのは、書庫の管理を任されている職員であった。
ギルド職員として、冒険者とやりとりをすることは、まぁ、ある。
駆け出しの冒険者が魔獣の情報を調べに来たり、新種の植物が発見されたのを聴取したり。
未知の遺跡の情報などが持ち込まれれば、やれ来たぞ、と血が騒ぐ。
だが――、ちょっと用足しに席を外し、書庫に戻った際にそこにいた巨躯の戦士に関しては、これまでのどんな場面よりも緊張した。
黒髪、巨体、外套と幅広の大剣――は今日は携えていないようだが、身体中の古傷、赤い瞳。
名を聞かずともわかる。――むこ、無哭だ。
「すッ、すみません、席を外しておりました!おお、お探し物ですか……!」
絞り出された一言目が、情けないほどにひっくり返った。まさか自分の人生において、高ランク冒険者と書庫で二人きりになる未来など誰が予想できたか。
書架を眺めていた鋭い眼差しが一度だけ自分に落ち、再び書庫内に向けられる。
「……いや……ここの本は、持ち出せんのか」
……ぽつり、書架の間に静けさが広がる中、無哭の声が低く落ちる。
手に抱えていた書類束を急ぎカウンターに置きながら、職員は慌ててそちらへ向き直った。
「あっはい、貸し出しは、街の中に限り可能です!どういった本をお探しですか……?」
「……わからん。ここにしかない本とか、あるか」
「は……、」
――ピン、とくる。この人が読むのではないのだ、と。
「……はい、ございます。あちらの一画に置いてある本は、カドゥル支部でのみ、閲覧ができるものとなっています……」
おずおずと、手で指し示しながら、案内をすれば……黙ってついて来る、大きな背。
――し、従っている。無哭のガルドが、俺なんかに。
こんなもん、しばらくは酒のネタにできそうな事件でしかない。
たどり着いた先、職員の震える指が、棚のラベルをなぞる。
「この辺りの資料は、旅人や学者が残した私記や記録が中心です……。地誌や魔獣の観察記、……体験談なども」
呟きながらも職員が、ちら、と横目でガルドを窺うが、返ってくるのは無言の頷きだけ。
だが、静かなまでに温度のないその眼差しが、書架をゆるりと眺めていく。
地理誌、都市資料抄録、民俗学、……まぁ、ようわからんなと、適当にその辺りの蔵書を手に取る。
「…………」
書架から抜き出したその一冊は、表紙には金の文字で小さく題が書かれていた。
――《砂原の星》
著:ルイス=ハボット
「あ、そちらはですね、北大陸東部の集落に滞在した学者の非常に貴重な記録でして……。その著者は晩年をこのカドゥルで過ごしたもので、著書の原本の多くがこのギルドに――」
「……んん、いい。これ借りる」
「あっはい!」
何やら長い語りの始まりそうな気配に、眉をしかめたガルドがそれを無造作に職員に差し出した。
職員が受け取ったその一冊は、厚みのある布張りの記録書。ぱたぱたとカウンターに走り去る職員が、慌てて貸出台帳を引っ張り出してくる。
「え、ええと、ではご署名を……こちらに……あっ、代筆でも構いませんので……!」
言いつつ台帳とペンを差し出した直後、自分の失言に気づいて職員が青ざめる。
目の前の男が"誰のために"それを借りるのか、など……軽く口にしていいものではなかった。
だが、ガルドは特に何を言うでもなく、そのままペンを取り、無骨な字で署名を記入した。
――ガルド・ヴェルグリム
ただそれだけに、職員が小さくごくりと喉を鳴らす。
いや、ただの冒険者のサインだ。何も珍しいものではない。ただ、自分の業務において、一番縁遠い人物のサインだっただけ。
「……助かった。じゃあな」
ひょい、と職員の手から本を受け取り、ガルドはその一言だけ告げて、書庫をあとにした。
背を見送る職員の耳に、心の中の声がこだましていく。
(じゃ、"じゃあな"っつった……?……無哭のガルドが、お、俺に……!?)
――"無哭"って思ったよりも、怖い人じゃねぇのかも、……なんて思ったが、やっぱり膝は笑っていた。
――【書庫職員の健闘】




