【退屈な邂逅】
――その邂逅は、早かった。
恐らく街を回る衛兵たちから、"あの二人が戻った"と子爵家に報告が行ったのだろう。
コンコンと、女将がルシアンらの部屋の扉をノックしたのは、翌朝。
扉の向こうからは戸惑ったような声。
「兄さん起きてるかい。お客人が来てるんだが……」
起きて着替えていたふたりが、目を見合わせる。これにはさすがのルシアンも、どこかぽかん、といった表情。
あからさまに眉間に皺を寄せたガルドが、低い音で以てして、扉の向こうに声を返した。
「……今行く」
「……悪いねぇ。食堂に来とくれ」
こつこつと、女将の気配が遠ざかる。
ガルドがルシアンへ振り返れば、ゆったりと身なりなどを整えていた。
「驚いた。早かったね」
穏やかな呟きは……"訪問が"ではなく、恐らく"時間が"。わずかに微笑み首を傾けてなどいるが、どこか冷めた眼差しだった。
魔術師の装備の前を合わせ、当然のように垂れた紐をガルドへ。その所作が、なにも急ぐ必要はない、と語っていた。
ガルドもひどく落ち着いていて、慣れた手つきで革紐の端を受け取り、装備の編み上げをはじめる。
――新品で、硬く渋かった装備の紐は柔らかく馴染んできていて、……そろそろこの手伝いも、必要なくなるかもしれない。
……それでも、動揺はひとつも表に出ないし、手も止めない。
今では迷いなく、ルシアンの体の形に沿って、自然に力加減を調整できるようになっている。紐が差し出される限り、手を貸すだけだ。
「……よし」
低く呟いて最後の結び目を固く留めると、ガルドは一歩下がった。ルシアンも腰元を確認することもなく、満足げにひとつ頷く。
そのまま、揃って部屋の扉へ。
「食堂だってか」
「うん、そう言っていたね」
一見柔らかな会話に、温度はない。
朝の光が差し込む廊下で、隣を歩く雇用主を横目で見下ろして、――俺以上に無作法な奴がいるもんだな、と……ガルドは眉を片方だけ緩めた。
階段を下りて行けば、食堂のほうから衣擦れと低い声がかすかに聞こえていた。
食堂の前、帳場のあたりでふたりは一度きり、視線を交わすが――特に何か言葉を交わすでもなく、ルシアンが一歩踏み出す。その背をガルドが。
朝、人払いのされた食堂には、その来訪者の姿があった。
若い男。例の"エモン"ではなかったが、まとう装いは上等で、けれど威圧は抑えめ。
軽装の衛兵を従え、清潔な外套を背負って立っている。肩口に、子爵家の家紋が入ったブローチがひとつ。
その男はすぐさまふたりへ向き直り、形よく口元に笑みを浮かべた。
「やぁ、お目覚めのところ失礼を」
低い声色は柔らかく、けれど明らかに"上"の立場として話す口調。
対するルシアンも、微笑を浮かべたまま会釈だけを返す。ガルドが、無言でその横に立つ。睨んでいるわけではないが、警戒は隠さない。
――沈黙。
ルシアンからはなにも言葉は返らず、どこか拍子抜けしたように、男がふたりの間で視線を右左とさせた。……なんだ、この張りつめは、と女将に視線を投げるが、彼女は食堂の隅に控えたまま、視線を伏せている。
まるで、次の言葉を促すような、静寂。
「……わ、わたくしは、子爵家のエリスク=ハルゼンと申します。この街にて執務を任されております。先日は当家の弟が……いささか無作法な振る舞いをしたと聞きまして、まずはその詫びを」
ひとまずそれを述べ、じわり、軽く、頭を下げる。
誠意はある。だがそれは、謝罪というにはあまりにも一方的。そして何より、ルシアンとガルド、どちらに向かって言っているのか、定かではなかった。
「――父も、ご挨拶をしたいと申しておりました。よろしければ、本日、お屋敷の方へ」
諳んじられたそれは、静かに、けれど強く、どこか驕りにも似た口調で。
父――つまりは子爵家当主への引き合わせを、光栄に思えとでも言うかのような表情だった。
食堂の空気がわずかに緊張を帯びる、そんな中。
ルシアンは、――何ひとつ揺らいでいなかった。
それどころか、何ひとつ、響いていなかった。
「わざわざご足労いただけましたが、無礼のない対応ができません。どうか、日を改めていただけますか」
細められた銀の瞳、柔和な微笑み。耳あたりのいい言葉と、場を和らげる声。
だがこれは、ガルドにもわかった。
――帰れ、無礼者。――である。
びくり、と一瞬、男の肩が揺れる。
家宰からどのように聞いていたのかは知らないが、子爵家当主がこの魔術師に用事がある、というその理由を、きちんと理解していないように思えた。
向けた笑みを一切崩さぬままに、銀の眼差しが、瞬きをひとつだけ。
「……せっかくのお心遣いですが、こうした訪問はお手紙ひとつでずいぶん印象が変わりますよ」
「……、は……」
「現に、こちらの身支度が整っておらず、お忙しい執政官殿をお待たせしてしまいましたので」
じわり、男の背筋が、のびる。
――笑顔の拒絶。自分を前に、微塵も揺らがない物言い……から受け取れる、明らかな格の違い。
後ろに控えていた衛兵たちも、おのずと背筋を伸ばした。主たる子爵家の男の格を、これ以上貶めないかのように。
その空気を、ガルドは肌で感じ取っていた。
ルシアンの言葉のひとつひとつが、まるで絹の手袋に包まれた鋼の拳のように響いていく。
丁寧に、礼節を保ち、退路も与えず、明確な恥も与えず、突きつけていく、"拒絶"。
……子爵家の男が、唇をわずかに引き結んだ。
感情の揺らぎを見せぬように努めたが、もうかすかな焦燥すら隠しきれない。
「……ッこれは、いささか出過ぎた真似をいたしました……」
ようやく絞り出された言葉は、情けないほどに細い。
けれど、それを敗北に繋げまいとする矜持も、わずかに垣間見えた。そろりと、会釈をひとつ。
「ならば、改めて……次は筆を執って――」
男が縋るように言いかけたそのとき……ぎし、と床が鳴って、ガルドが一歩、無言のまま前へ出た。
それは、声を挟むでも睨みつけるでもなく、ただその場に存在する重みだけで、話を終わらせる威圧。
衛兵たちの指先がわずかに揺れる。主は、何も命じていない、けれど――本能が、引きたがっていた。
「っ……ああ、ではこれにて、し、失礼を……」
――もう、視線すら上げられない。
子爵家の男が静かに頭を下げれば、衛兵たちも過不足なくそれに倣い、足音も控えめに退いていった。
遠く、帳場の向こう、宿の表玄関が閉まる音。それを聞き届けて、……ガルドが鼻を鳴らす。
「……あいつ、謝る相手わかってなかったぞ」
「ふふ」
低く漏れたその一言に、ルシアンがふわりと笑った気配があった。
静かに、まるで何事もなかったかのように外套の袖を直し、いつもと変わらぬ歩みで、ひらりと踵を返す。
食堂を出る間際、隅に控えていた女将に、会釈をひとつ落とし。
「……食堂、朝の忙しいお時間に、申し訳ありませんでした」
それだけを言い、女将の頷きを確認して、その脇を通り過ぎる。それを追う護衛の背は、……変わらず静かだ。
――何も許していないが、何も怒っていない。
その態度の底知れなさに、ガルドの胸に何かが重く、静かに落ちた。
「今日は、ギルドにでも行ってみよう」
と、朝から話をしていたの、だが。
ルシアンはその後、そのまま何を言うでもなく、黙って部屋へと引き返していった。
ガルドも黙したままに追従すれば、階段を上っていく軽やかな足取りに、ほんの少しの面倒くささが滲んでいるような気もする。
まっすぐと、宿の自室へ。
ガルドが鍵を開けるのを眺め、開いた部屋に滑り込んだルシアンは、つまらなさそうに窓辺の椅子などに腰をおろし。
けれど後ろ手に扉を閉めたガルドに、ふわりとだけ、いつもの笑みを向けた。
「私、今日はどこへも行かずに宿にいることにするよ」
――面倒だけど、という言外の文句が聞こえる。ぶらりとギルドを覗くくらいしか予定はなかったものの、……一日が潰れたなぁ、の顔だった。
その暇そうな視線はまた、窓の外へ向けられる。
「…………」
小さく首を傾げたガルドもそちらへ歩を進め、座るルシアンの横に立った。淡紫と同じく外を見やれば、子爵家の家紋を携えた馬車が、通りを走り去っていくところ。
「……オトモダチでも遊びに来んのか……」
薄れていく馬車の影を見送りながら、ガルドは喉の奥で舌打ちをかみ殺した。
……こればかりは、ガルドでもわかる。体裁で世の中を渡っている"貴族"という生き物が、あの無作法を最後に引き下がるとは思えない。
見下ろせば、ルシアンはわずかに肩をすくめるだけ。
「……ったく」
短く零して、対面の椅子にガルドも腰かける。頭の後ろで、静かに手を組む。
向かいには、長い脚を揃えて投げ出し、手帳も持たず、ただ退屈そうに頬杖をついているルシアン。
「…………」
「…………」
しばし流れる、静けさ。
馬車の影が消えた窓の向こうには、朝の街並みと、人々の気配。高く突き抜ける秋の空。
淡い雲が、緩やかに流れていく。
「……ギルドの書庫で、本でも借りてきてやろうか」
ふと思いついたように呟かれた言葉に、ぱっとルシアンの顔がそちらを向いた。どうせ暇だろ、とでもいうかのように、ガルドの口角が上がり……ほんのりと、ルシアンの表情が明るくなる。
「いいのかい?じゃあ、お願いしようかな」
「ああ、ただ好みは知らねぇぞ」
ガタリ、と椅子を鳴らしながら立ち上がる巨躯は、先ほどとは打って変わってどこか口調も柔らかい。
ギルドならば大剣も外套もいらない。身軽なままに部屋の出口へと向かい、ひとつ振り返れば、銀の瞳は窓のほうではなく、こちらへ向けられていた。
「帰りに昼飯買ってくる」
「うん。いってらっしゃい、ガルド」
「……、……いってくる」
――なるほど、同室だとこの見送りももらえるのか、と。
照れ隠しのように目を逸らしながら、ガルドは部屋を後にした。
――【退屈な邂逅】




