【留守の間の訪問者】
翌日の朝、ガルドが目を覚ませば、ルシアンはまだ隣のベッドで寝息を立てていた。
今日はどうやら曇り空で、窓の外は薄暗い。時刻は……恐らく朝をわずかに過ぎたあたりか。昨日"惑わしの森"から戻ってきてそのまま眠り、結局夜に目覚めることもなかった。
起き上がる前に、ベッドの中でじわりと伸びをして、――よう寝てやがる、と改めて隣のベッドに目を向け――、
――固まる。
「…………」
穏やかな寝息を立てるルシアンが、黒い服を着ている。
……あいつにしては珍しい色の寝間着だな、と思う間もなく、瞬きを二つ。視線を窓際にある椅子のほうへ向ければ、風呂上がりに着ようと思ってかけていた、自分の着替えがない。
「…………」
……ん、んん……?と、ガルドがひたりと目を閉じた。身体は仰向けのまま、なので顔も天井を仰ぐ。両手を額に乗せれば、頭を抱える護衛の出来上がりである。
なんでお前がそれを着ている。前開きの羽織るやつならまだしも、それ上からすっぽり被るやつだぞ。被ったのか。いつだ。俺が寝てる間にか。なんで、なんでだ……!!
……そんな嘆きは、当然、一粒も口から零れてはこない。
からからの喉で、小さく咳払いをする。手のひらの隙間から、もう一度だけ隣を確認する。
(……着てる……)
――ベッドから身を起こせば、ぎし、と木枠が軋んだ。ひやりとした部屋の空気が、ガルドの肌に触れる。静かに足を下ろして、一歩だけ、そちらへ。
念のため……、念のため、子細も確認させていただく。眠る雇用主の肩口の掛け布団を、ほんのりとめくる。
どうやら、いつもの自前の寝間着の上に、ガルドの黒いシャツを着ている。袖口が余っていて、爪の先程度しか出ていない。
横向きに少し丸くなるように寝ており、――なるほど、恐らく"寒かった"様子。
きゅ、……とその眉根が寄って、うっすらと銀の瞳が開いた。
「んん……?」
「……おいコラ服どろぼう」
「ん……夜中寒くて……そこにあったから……」
ああ、だろうな、うんうん知ってる知ってる、と、ガルドが眉を片方あげた。
よかった。れっきとした理由があってよかった。それがなかったら俺死ぬとこだった。めくっていた毛布を、ぺし、と掛けなおす。
「……まだ冬じゃねぇから、ストーブもねぇしな」
「んん……」
「起きて動きゃ、暖まるぞ」
「…………」
反応がなくなったルシアンに、む、とガルドが頭を傾けて覗き込む。――寝ている。……、ため息を、ひとつ。
……俺のもんの中にあいつが収まっている……、という思考に至ることは……、……ちょっと今だけは、許してほしかった。
結局その日、ルシアンらが宿屋の一階へ降りてきたのは、もうじきで昼に差し掛かろうかという頃合いだった。
帳場へ歩を進めてきた淡紫の姿に、女将がにこりと顔を向ける。
「おはよう兄さん方!よく眠れたかい?」
「おはようございます。ご迷惑をおかけしました」
柔和な笑みで以てして、カウンターの上、チャリ、と小さな革袋が置かれる。中身は銀貨が数十枚。不在中の五日分の宿泊費だった。
一瞬だけきょとん、と目を丸くした女将だったが、受け取った革袋の中を手早く確認して、カウンター後ろの収納にしまい込む。
「留守中の宿代、確かに。なんだか急かしたみたいで悪いね」
「いえ、とんでもない」
「――ああ、そうだ兄さん、戻って早々で悪いんだが、留守の間にお客人が来てたよ」
……その言葉は、どこか窺うような視線とともに落とされた。さら、と帳簿に金額を書き込んでいた女将の手元が、緩く止まる。
だがしかし、客、という言葉に、ルシアンもかすかに首を傾ぐ。――心当たりは、ない。
「私にですか……?この街には来たばかりで、顔見知りもいませんが」
「いやそれが、この街を治める子爵様の使いだったんだよ……」
「……そうですか……」
わずかにひそめるような、女将のその声。ぴくり、と肩を動かしたのは、後ろで腕を組んでいたガルドだった。
子爵といえば、子爵家の人間を名乗る若者と、街に来た初日に商店街で少々やりとりがあった程度。
ふむ、とルシアンが口元に手を当てるが、まとう雰囲気は変わらず、穏やかそのものだ。
「それは、彼ではなく私への用件だったんですね?」
「そうだが……あれだろ、あそこの息子が旦那を勧誘しようとしたってやつ」
「……まぁ、恐らくは……」
ぽつりと返したルシアンの声に、静かに帳簿をたたんだ女将が、ルシアンとガルドを交互に見やる。
"子爵家の息子が、往来で冒険者を――"は、どうやら街ではもう、すっかり噂になっているようだった。
ぎ、と面倒そうに眉間をしかめたガルドが、小さく鼻を鳴らすのをみて……女将も、わずかに肩をすくめてみせた。
「どうすんだい。兄さんが嫌だってんなら、次また来ても追い払うよ」
「……それでは、宿の方にご迷惑がかかるのでは……?」
「かかるもんかい。うちは冒険者ギルド認定の宿屋、ギルドの後ろ盾があるようなもんさ。貴族様に媚び売って商売してるわけじゃないから、ヘでもないね」
ひらりと手のひらを返しながら、女将が壁にかかっているギルドの認定証に視線をやった。「だから安心しな」と言葉をつづけながら顔を寄せてくる女将に、――ルシアンは、柔らかな笑みをひとつ。
そうして、首を横に振った。
「……いえ、女将さんに迷惑はおかけしません。次は取り次いでいただいて結構です」
「……そうかい?」
「ええ。書簡もなく使いの方がいらっしゃったのであれば――さぞかしお急ぎなのでしょう」
……おや、と女将の表情に、ほんのわずかに笑みが含まれる。
ルシアンの微笑みには棘も裏もなさそうに見えるが、……、確かに書簡はなかったねと宿の郵便受けに目線を投げた。
「ああ……お伺いの手紙も忘れるほど、お急ぎなんだねぇ」
「ふふ、まさか街を収める子爵家の方が、礼儀を失念するわけがありませんから」
黙ってそのやりとりを眺めていたガルドにも、ようやく得心がいく。手紙だなんだ、なにやら小難しい話を始めたかと思ったが、思いのほか簡単な話。
"礼儀知らずの顔を見てみよう"――、つまりはそういうことだ。
ふ、とひとつ笑みを零した女将が、やれやれといった具合に腰に両手を当てる。
「――さ、そんなことより、寝ぼすけさんたちは腹減ってないのかい。今日はうちの食堂は鹿肉の焼いたの、街の飯屋ならまだまだおすすめがあるよ」
「おや、いいですね。……どうしようか」
嬉しそうに微笑んだルシアンが、肩越しにガルドを振り返る。女将も、ルシアンも、なんのことないいつも通りの表情。――は、とガルドも小さく口角を緩めた。
「……任せる」
ぼそりと落ちた護衛の言葉には、もう諦めの色が宿っていた。
――【留守の間の訪問者】




