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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
護衛、大忙し

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【噂は誰かの口元で】


しばし歩いて森を出ると、どうやら昼過ぎのようだった。この森に入ったのも、確か昼過ぎ。


「……時間、経っていないようだね。これも、あの場所の"軸"がずれていたからかな」


太陽の位置を見上げながら笑うルシアンに、ガルドも唸りながら頷く。

そこそこの時間を、あの森で過ごしたように感じていた。外に出る頃には、日が暮れているだろうと。

だが、――まぁ、あんな場所だ。こうあってもおかしくない。


「……腹減った。さっさと行くぞ」

「うん、そうだね」


互いに頷き合って、カドゥルへ向けた野道を歩く。街までは、一刻半ほどだった。




やがてふたりが街の北門をくぐる頃には、もう通りは夕陽と賑やかなざわめきに包まれていた。

腹も減ってはいたのだが、妙に身体が疲れていた。これもあの場所にいた影響か、と、街中での夕食を諦め宿へと戻る。


食事は宿の食堂で簡単に済ませて、今日は寝てしまおうか、などと話をしつつ宿の扉を開けば、帳簿をつけていた女将がルシアンらを見て、ぱっ、と表情を晴れさせた。


「ああ、おかえり兄さん方!心配したよ、街に来て早々、ちょいと長い依頼だったんだねぇ?」



……ルシアンとガルドが、目を見合わせる。せいぜい一日、出かけただけ、のつもりだった。

柔和な笑みが、女将に向けられる。


「ええ、黙って出てしまってすみません。私たちがお借りしていた部屋はまだ?」

「もちろんそのままさ!冒険者は依頼によっては留守にすることも多いからねぇ」

「……私たちは何日ほど、留守にしてしまいました?」

「ええ?五日くらいじゃないかねぇ……」


不思議がる女将を前に、ああ……と、ふたりは再び顔を見合わせた。――少し、可笑しくなる。


「お部屋ありがとうございます。留守の間の宿代は、明日でも?」

「ああ構やしないさ!ゆっくりおやすみ!」


快活な声を背に浴びながら、女将に見送られ、二階への階段を上る。

後ろから感じる赤い視線に振り返れば、何を言うでもなく見上げてくる、その眼差し。……肩越しに、また小さく笑みを交わした。



階段を上りきった先、廊下の空気は、いつもと変わらぬ温かさで迎えてくれた。扉の前で足を止め、ルシアンが鍵を差し込み、ひと回し。ゆっくりと扉を開く。


室内は、出て行ったときのまま。

整えられたベッド、棚の上の水差し、窓際のカーテン。――五日。

自分たちにとってはほんのわずかな時間だったはずが、現実では、それだけの"空白"が過ぎていた。

経過していた時間を思えば、次第に"身体も五日分眠っていないのでは"……という妙な気分になってくる。

もちろんそんなわけもないし、この部屋のどれも変わっていないはずなのに、どこか懐かしさすら覚える。錯覚だ。




旅装を解きながら、しばらく、互いに無言だった。

それは、あの"異なる理"の空間にいたことを、今ふたたび噛みしめるような時間。


「……宿代五日分、無駄になったな」

「ん、ふふっ」


ルシアンの笑い声を最後に、ふたりはそれぞれ、静かにベッドに横になる。食事は、もう明日でいい。打ち合わせるでもなく、互いにそう思って。


――束の間の夢のような出来事も、今はただ、深い眠りの中へと溶けていった。






人の口には、戸が立てられないもので。



カドゥル冒険者ギルドの掲示板前、もしくは併設の飲み場。

演習場、はてはカウンター内、職員たちの間でも――それは、じわじわと噂されていった。



ギルド職員らは言う。


「子爵家のバカ息子、無哭(むこく)のガルドを手駒にしようとしたって」

「えっ、無哭、この街に来てたのか?」

「バッカでぇ、よりによって……ありゃ貴族の指名依頼でも断る男だぞ」

「まぁ、騒ぎになってねぇなら、魔術師さんがなんとかしたんだろうよ」



冒険者連中が言う。


「聞いた話だとさ、あの魔術師のこと"無紋(むもん)"ってバカにしたらしいわよ」

「無哭がいただろうに、よくそんなこと言えるな……」

「貴族ってのは、頭がおかしいやつしかいないのかね」



そうして、誰かがはたと呟く。


「……"無紋"、か」

「素性も知れねぇあの魔術師に……ぴったりだな」



それは、本人たちの預かり知らぬところで、静かに、けれど確かに広がってしまっていた。


――誰が言い出したのかは、もはやわからない。

けれどその語感の妙と、街の空気に漂う緊張と静謐の余韻が、確かに"名"として形を与えていた。


「"無哭と、無紋"」

「片や悲鳴を上げさせることもなく、片や身元も出自も知れん男……」

「どっちも目立つのに、背景がまったくわからねぇってのがまた……」

「いや、だからこそ、妙に残るんだな……」



ギルドの若い書記官が、ついぽつりと口にした言葉を、

酒場の木製カウンター越しに、別の冒険者が拾い、

演習場の帰り道、剣を手入れしながら中堅組が噛みしめる。


無紋。



それが、彼らの背にいつか影を落とすのか。あるいは光になるのか。


噂を口にする誰一人として、今はまだ、わからなかった。






――【噂は誰かの口元で】

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