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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
護衛、大忙し

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21/31

【惑わしの森】


人が立ち寄らない"惑わしの森"の奥深く、ひとつの境界を越えた先。

森を統べる種族、エルフたちに囲まれて、ルシアンとガルドは背を寄せ合っていた。


鈴が鳴るような彼女たちの言葉は、ひっきりなしに森に響いている。

長い年月を生きる中で、こうしてきちんと自我を保ったままにこの森に訪れる客人は、稀だった。


『ほんとうにかわいい子ね。お外の世界はどう?』

『ついこの間、とても大きな争いがあったわね。あれは終わった?』


ころころと、涼やかな音が転がる。

ついこの間――とはいえ、彼女たちの時間から考えれば、それが昨日なのか、十年前なのか、百年前なのかも定かではない。

ルシアンがほんのわずかに首を傾げながらも、やんわりと背後のガルドを見上げる。

その眼差しを受け取ったガルドも、顔をしかめながら彼女らに向き直った。


「……知らん。三十年前の魔獣大戦のことか」

『うふふ、わからないわぁ』


ずり、とガルドの肩が、少し下がる。なんというか、……なんというか、すごく、ルシアンの奔放さと自由さを、何倍にも嵩増(かさま)ししたような奴らだ。


「でしたら、今は争いもなく、平和に治世がなされていますよ」

『あらぁ、じゃあゆっくりしていけるわねぇ』


柔らかな声に紛れて、くん、と彼女らのうちの一人が、不意にルシアンの腕を引いた。

あまりに自然に"連れて行かれそう"なその背を、反射的にガルドが掴む。これにはルシアンも少々驚いた風で、はく、と開いた口からは、咄嗟の声も出なかった。


「――っおい、」

『あらあら、だめよ、驚かせては』


思わずガルドが声を荒げかけたところで、ひときわ甘美な声が、上から降ってくる。

ふたりそろって見上げれば、大樹の枝先にひとり、エルフが座っている。他の"彼女たち"のように戯れてくるでもなく、穏やかに、まるで春風のような微笑を湛えていた。


そしてその声に、ふたりの周りにいたエルフたちが、名残惜しそうにしながらも、一人、また一人と樹上の枝葉へ戻っていった。

その彼女の豊かな金の髪が、月の光を編んだように揺れて――きらきらと宝石のような瞳が、ルシアンを見つめている。


『……、かわいい子、あなた、こんなところまで来るなんて、迷わないのね』

「……ええ、彼が導いてくれますから」


――すぅ、と、森から音が消えたのは、彼女たちが囁きをやめたからだった。

月の髪を湛えたエルフが、面白そうにガルドを見やる。その腕はまだ、がっちりとルシアンを掴んでいた。


『そうね、つよそうな子ね。きっと、折れることもないのね』


……まるで、優しく子どもをからかうような声音。けれどその音色の裏には、静かな"選別"のような気配がある。

空からは、『かわいい子たち』、『ずっといればいいのに』と……優しげな音が、絶え間なく降り注ぐ。


ほんの数ミリ、ルシアンが肩を引いたが――、銀糸の外套を揺らして、一歩だけ、踏み出す。


「美しいものをたくさん見て回りたく、旅をしております」

『まあ……あたしたちのことかしらぁ?』

「ええ、まさに」

『まあ。まあ。聞いた?』


月の髪の彼女の笑みに、周囲から一斉に鈴の音が鳴った。それはまるで華やかな笑い声で、――たとえば"祝福"と呼ぶには、あまりに浮世離れしたその声たちは、心地よさを超えて、どこか意識の輪郭を曖昧にしてくる。


『聞いたわ』

『あたしたちが美しいのですって』

『やだぁ、うふふ。愛らしい子ね』

「……、一応……これでも大人なんですがね」


困ったように笑うルシアンに、またも涼やかなくすぐり声が降り注いでいた、が。


そのやりとりに、唯一ガルドの眉間の皺だけが、深まる。もう、耳元に触れるのが、風か、音か、声かも判断が難しい。

思考が緩く包み込みこまれていく感覚。――なるほど、森を出た旅人が"何も覚えていない"というのは、恐らくこの……いや、ダメだ、まとまらない。


確かなのは――これが、ただ美しいだけの空間ではないということ。


(……試、されてる、のか……?)


外の人間が、この森に存在するのに、ふさわしいのか。


(……認め、られたら、どうなる……)


少なくとも、もはや執念だけで立っているような自分よりも、隣でにこやかに言葉を交わす男のほうが、よっぽどこの森に"ふさわしく"見える。


それでも、ガルドは掴んだ手を離しはしなかったし、ルシアンももう足を踏み出したりもしなかった。

笑みを浮かべたまま、過剰な敬いも、媚びもない。ただただ、彼自身の信念と敬意だけをもって、この場所に向き合っている。


ガルドの耳に、心地いい鈴の音が鳴り響く。甘いのか清いのかもわからない香り。

大樹の枝葉は空から地面に向かって伸びており、星空に見えるあれは水面のようにたゆたっている。


だが今は、手のひらに掴まえた、隣の男のぬくもりだけが、ガルドの現実だ。



やがて鈴のような笑い声が収まり、月の髪の彼女がひとつ、悩ましげに息をついた。その身にまとう衣ごと、すっと枝から舞い降りる。


『うふふ……気に入ったわぁ』


撫でつけるような声で、彼女は光のようにふたりの前に立ち、髪がゆったりと地面に落ちた。


『この森に踏み入り、わたしたちに触れ、なお――心を失わなかった子たち』


りん、と響く音とともに……細く柔らかい、その手が伸びる。


『あなたたちを歓迎しましょう』


そうして指先が、ルシアンの頬に触れんとしたその瞬間――、


――ガルドが一歩、前に出た。



それは、剣を抜くでもなく、声を荒げるでもなく……ただ、無言の"拒絶"として。


月の髪の彼女が、目を見開く。その戦士から視線を滑らせるように隣を見れば、ルシアンはただ穏やかに、微笑んでいる。

呆気に取られていた美しい顔が、けれどすぐに、口元から花開いたように綻んだ。



『そう……あなたの、たいせつなものなのね?』



――それは、どちらに言ったのか。


定かでこそなかったが、その言葉にルシアンは肩をすくめるように笑い、ガルドはただ黙って彼女を見据えていた。


静寂が、また一度、森を包む。


いつの頃からか鈴の音は鳴りやみ、樹上の彼女たちは姿を消していた。

月の髪のエルフがひとつ、くすりと笑い……あらためてふたりに手を伸ばす。

その指先が、(くう)をなぞるだけで、周囲に光の輪が広がっていく。


『あなたの旅の、景色をいつか、聞かせてね』

「……ええ、喜んで」

『いとしい子たち、いつでも来るといいわ』



ひときわ響いた声とともに、大樹から、淡く光る花びらが舞い落ちてきた。

その一枚が、ルシアンの髪にふわりと触れた、次の瞬間――、……幻想のようなその空間は、色彩ごときらきらとほどけていった。


まるで、夢が終わるように。

現実の地面が、そっと足元に戻ってくるように。




気づけばふたりは、森の静寂の中に、確かに立っていた。

――地図が狂い、声が消え、方角が失われる、不思議な森の只中に。


けれどもう、そこに迷いはなかった。

見たのだ。"美しいもの"を。

そして、その"選別"に、ふたりは確かに――受け入れられていた。



「……どうやら君に、私の"余計なもの"を、見せずに済んだ」

「…………」


静かにそう言うルシアンは、――どこか、静謐(せいひつ)だった。

夢のように消えていった彼女たちの姿を、その鈴のような笑い声を、忘れぬように、ひそやかに、言葉を紡ぐ。


「歓迎されてよかった」



ガルドが、隣を見下ろす。


……それは、そうではない未来もあり得たという、言葉。

ただでさえ、"歓迎"されていた。連れて行かれるかと思った。それなのに、――その寵愛(ちょうあい)を得られなければ、一体どうなっていたというのか。


――不思議だの、魔力だのがわからないガルドでさえ、わかる。

あれは、自分たちとは理の違う世界だった。この力で、剣で、どうにかなるものではない。

苦しまず、悲しまず、揺蕩うように消えて終わり。――という、想像をしてしまって、……ガルドは、何も言えない。


(……お前は、"余計なもの"で、俺のとこに戻ってくるつもりだったのか)


……それすら、聞けない。


「あっ……旅人さんたちを惑わさないでって、言い忘れたね」

「…………」


ガルドの、眉の片方が、くい、と吊り上がる。ぴちち、と頭上を小鳥が渡る声がして、ざあ、と森の枝葉が風に擦れる音がした。

いつまでも掴んでいた腕を、……やっと、離しながら。


「ああ、……だな」


ぶっきらぼうに答えるガルドに、ルシアンはいつものように笑った。


慣れた風が吹く。湿気を含み、草木の香りを乗せ、耳を撫でて過ぎていく。


――もう、"あちら側"の風ではない。



「……帰るか」

「うん、お腹空いたね」


呟くようにガルドが森の奥に背を向ければ、その大きな背中に、ルシアンが一歩ついてきた。

道は、もう地図の通りには存在しない。

木から垂れる蔦も、下草に紛れて綻ぶ花も、草むらに消えたウサギですら、彼女たちの"いつかの記憶"で、現実ではないのかもしれない。

けれど不思議と、どの方向へ進めばいいのか、分かるような気がした。


――そうして、もしかして、と。


(……俺が、あそこで前に出たから)


ガルドの拳が、無意識にわずかに握られる。


(こいつは、……"余計なこと"にならずに済んだのか)


背後を追従する軽やかな足音に、意識が行くが、視線が向くには至らない。

そうならばそれでよかったし、そうでなくとも、今はもう終わったことだ。


今、同じ時間の上に、立っているのならば、もう……終わったことだ。


……森は、静かにある。

けれどその静けさは、もうふたりを閉じ込めるものではない。


ただの"深い森"の空気をまといながら、ふたりは帰路を進んでいった。






――【惑わしの森】

《旅の記録》

・場所名(通称):とある森(惑わしの森)

・最寄り街:カドゥル

・景観種別:美/儚/静

・特徴メモ: カドゥル近郊のとある森。エルフ族の集落へと繋がっており、訪問が叶った。現実にあるのにどこか現実ではなく、数多の時間が重なって存在しているような景色だった。

・時期・時間帯:秋

・再訪:条件付きで可

・個人的メモ:

「あの手がなければ、私はいつまであの森にいたのだろうか。森は何にも侵されず、ただすべてを抱くようにあそこにあった。」


――ルシアンの手帳より

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