【頼れる護衛】
カドゥルの北門から北東方面、森までの野道を歩きながら、ルシアンはガルドの後ろを追従していた。
巨躯の護衛が周囲に警戒を張ってはいるが、魔獣の姿は少なく、野生動物がちらほらと姿を見せる程度。
近辺に不穏な気配などもなく、背に吹く秋の風が一陣、緩やかにふたりの外套を揺らしていく。
「この先、細い川渡るぞ」
「……うん」
肩越しの視線に応えるルシアンの歩みは、どこか重かった。
昨夜は、ああは言ったものの、……正直なところ、迷いがうまれてしまった。この先へ行くことに。
美しく綺麗なものは……何としてでも見たい。
けれど"万が一"があれば――、ルシアンにとっての"見せなくていいもの"を、この護衛の男に見せてしまうような気も、する。
きっと、行きたくないと言えば、彼は何も聞かず、何も立ち入らず、すぐにでも街へ引き返す。
「…………」
だが果たしていつまでそれに甘んじていいのだろうかという、小さな本音。
――じわり、わずかに振り返る。街の影は、もう見えない。
風は涼しく、木々は心地よさそうにざわめいている。けれどその静けさの中で、自分の足音だけが妙に浮いて聞こえる気がする。
前を歩くガルドの足取りは、ひとつも変わらず力強く、不安も迷いもない者のそれ。
ルシアンが黙っていても、何も言わずとも――彼は進む。
それが、余計に苦しかった。
(……どうしようね、去られたら)
行きついたそれは、弱音ではない。
ただ、旅に必要のなかった部分に、彼を巻き込んで、自ら踏み込もうとしていることに気づいてしまっただけだ。
けれど、いつかの夜、彼が言ったのだ。
「好き勝手しろ」「ついてく」と。
――そして、いつか思い出す景色の中にはもう、あの背中もきっとある。
(……うん)
ふと、ルシアンの表情が緩む。
迷いが、ほんのわずか和らいだ気がした。
前方を歩いていたガルドが、ふと立ち止まり……後ろを振り返ることなく、低く言う。
「……川、渡ったら、森だ」
声色は、まるで、背後の揺らぎに気づいていたかのように――しかしその背中が、変わらずまっすぐに前を向いていて、ルシアンは静かに顔を上げた。
同じく立ち止まり、――返事は、出てこない。
だが、やがて。
「……ねぇ、ガルド」
ゆらり、銀糸の外套を揺らしながら、巨躯の隣に並び立つ。視線は向こうの川に。遠景に、うっすらと森の輪郭が見えている。
赤い瞳が、黙して見下ろしてくる気配を感じる。どうした、と、その視線だけが返事になった。
「……――私はね、君の……"無哭"の過去を、わざわざ掘り返すつもりもないし、同時に私の過去も、わざわざ伝える必要はないと思っている」
「……ああ」
さくり、どちらともなく野道を踏み出す、巨躯の戦士と、優雅な魔術師。
相容れぬように見えて、それでも不思議と足並みはそろっていた。
「あの森に危険なことはない。迷った人も、結局は無事に出てきている。もし迷っても、少しの間、森に囚われるだけ。……でも、」
穏やかな声音と、恐れも心配もない笑顔。けれど、少しの躊躇だけがあった。
「万が一のことがあれば……なんというか、ガルドに、お前なんなんだって思われるかもしれないし、まぁお前だからなって呆れられるかもしれない。――そんな私を、君に見せるのが、少し怖い」
「…………」
……じわり、ガルドの視線が、また隣に落ちる。……"万が一"――それは恐らく、囚われてしまう未来のことか。
歩みは止まらないが、「今さらかな」と笑うその顔は、ほんの少しだけ、遠かった。
――だから。
ガルドは、返事をしなかった。
ただ……ルシアンのその言葉を、黙って最後まで聞いていた。
目を伏せるでもなく、軽く笑うでもなく……真正面から、そのかすかな躊躇いごと、受け止めるように。
ただ……決して見逃すことのないように。
沈黙のまま、その護衛は進む。気持ち、半歩だけ隣へ寄りながら。
「……今さらだな」
ひとつだけ落とした言葉は、思いのほか穏やかだった。からかいも、文句も、探りも、呆れも、何もない。それ以上何かを足すこともなかったが、それ以上を言うつもりもない。
ルシアンが、わずかに瞠目する。並ぶ肩がほんの少し、緊張から緩む。
それきり、まるで何もなかったかのように、二つの影は、森へと差しかかっていた。
――ほう、と森の外縁をひとつ眺めたルシアンが、隣の護衛を見上げて視線を交わし――やがていつもの笑みを浮かべて、また静かに歩を進めた。
森が、ふたりを包む。
昼の光を帯びた、柔らかな緑の中へ。
――【頼れる護衛】




