【護衛の立ち位置】
宿の二階の奥。真鍮の鍵に括られた木札に刻まれた番号の部屋を開けたルシアンは、するりと部屋の中を通り、真っ先に窓を開けた。
昼前の爽やかな秋風が、一陣吹き込む。薄い綿のカーテンが柔らかく揺れる。
「一緒の部屋でよかったなら、言ってくれてよかったのに」
「……ん、んん……」
荷物と外套を外しながら話すルシアンの言葉は、からかうでもなく、戸惑うでもなく、ただただ意外そうな声音だった。
曖昧に唸るだけの返事をし、ガルドも荷を床におろす。
客室は、広めのベッドが二台。作り付けの棚。窓は通りに面していて、食事や読書にちょうどよさそうなテーブルと椅子。出入り口のそばに、姿見。
……侵入者こそないだろうが、――念のためルシアンには、部屋の入り口から遠い方のベッドに寝てもらうとする、か。
「……お前、ベッドそっちな」
「うん、わかった」
――はた、と。
…………何を……当然の顔をして……ベッドまで決めているんだ俺は、とガルドが一瞬思ったが、当然、護衛だからだ。
無造作に外套を外して部屋の隅のスタンドに掛けたのち、……腰の剣帯をぐっと緩める。
部屋の空気は涼しく、心地いい。けれど、もう何をどうしても落ち着かない。
「同じ部屋だと、ガルドに黙ってこっそり、朝のお散歩に行けなくなってしまうね」
「……いや、黙って行くなよ……」
言いながら目線を向ければ、雇い主は旅装から街着に着替えているところであった。
――どっちでも構わないと、自分で選んだものの、と、ガルドはゆっ……くりと目を逸らす。
今までは……部屋が別だったから……見て見ぬ振りができた、が。
そりゃあ、ルシアンも着替えるし、眠る。宿ならば、安心して油断して然るべきだ。
野営時ならばまだしも、こうした安全な環境で眠るのならば、……外される装備、も、……ある。……え、同室で……?
(…………早まっ……たか……)
ガルド、眉間を揉む。同室となった結果、発生しうるすべての現実が、一気に押し寄せてくる。
欲しかったのは同室そのものなのに、そこに付随する生々し……いや、生活の気配に、今さら膝を撃ち抜かれる感覚。
耐性を問われるのはいつだって、他でもない己の理性である。
「昼食に行こうか、ガルド」
着替えを終えたのか、背にルシアンの声がかかって、ガルドも重苦しく頷いた。
「……ああ」
ぶっきらぼうなまでに短く返しながら、視線を合わせるのだけは避けたままに、足を入り口に向ける。
寝具の配置、窓の位置、脱いだ外套の置き場。あらゆるものに、妙に意識がいく。……護衛だからだ。護衛だから。
無理やり、咳払いをひとつ。
「……街の食堂、女将に聞いてみるか。地元のもん出してるとこがあれば、そっちのが……うまいだろ」
「いいね、そうしようか」
風の吹きこむ窓を閉める物音を背に、――こいつ、さっきから、俺の言葉に対して肯定しかしてねぇな、と、……それに気づいてしまって、ガルドの頬が緩みかける。
この流れのまま、"夜一緒に寝るか"だなんてアホくさいことを言っても、"いいね"と返ってきそうですらある。
(…………)
……いや、ほんとに返ってきそうだな、と、部屋の扉に手をかけた。
もちろんそんなこと言いやしないが、もしそんな、そん、万が一そんな返事が来たら俺はどうすりゃいいんだ、と……予定のない未来に頭を抱えたくなる。完全に無駄な悩みであった。
背後には、軽い足音がついてくる気配。
扉を開いて廊下に出れば、部屋に満ちた静かな空気が、宿内のざわめきに溶けていった。
ルシアンらは再び、一階の受付へと降りていた。
街着に着替えてもルシアンのそれは上質で、やはりどこか品の良さを隠し切れない。
顔を上げた女将が控えめにその装いを見て……小さく苦笑する。
「やぁ、兄さん方。部屋は気に入ったかい」
「ええ。風も気持ちよく素敵なお部屋でした。昼食をとりに行きたいのですが、どこかおすすめはありますか?」
わずかに首を傾げながらルシアンがそう尋ねると、女将は頬を丸めてにっこりと笑った。
カウンター下から街の地図を取り出し、台の上に広げる。
「食事処ね!今の時間帯だとどこも混んでるけどね、商店街からひとつ外れた路地にある炭猫亭は評判がいいよ。肉料理が多いから、兄さんよりはそっちのでっかい旦那が好きかもね」
地図の上、指で示された区画に目を落とし、ルシアンが満足げに頷く。
「いいですね。ありがとうございます」
「ああ、気を付けていくんだよ。あ、旦那はちょっと待ちな」
――去り際、女将が手招きとともに、ガルドだけを呼び止めた。
半分踵を返していたルシアンが不思議そうな顔をしたが、ガルドににこりと笑みを向けて、先に宿の外へ出る。
ガルドもその背を見送った後、文句を言うでもなく、黙って女将に向き直った。
扉の向こうへルシアンが消えたのを確認して、――女将は、わずかに声を潜めた。
「悪いね、旦那」
「……なんだ」
「……もしあの兄さんがどっかのお貴族様だってんなら、この街を治めている子爵様に挨拶しないと面倒だよ。本当にただの冒険者さんなのかい?」
それは、……探るというよりは、助言をするかのような声色だった。ガルドはその問いに、しばし目を細める。
赤い眼差しはどこか、「何を言っているのかわかってるのか」と問うような鋭さ。沈黙。
――だが、やがて。
「……あいつは、"旅をしてる"だけだ」
それだけを、ぽつりと。……その声音に、嘘はない。
女将がわずかに眉を寄せるも、ガルドは淡々と続けた。
「どこの家の出かも、どんな名かも、俺は知らねぇ。……知る気もねぇ」
視線はまっすぐ、揺るがず。
ずしりと踏みしめた足は、守りでもあり、覚悟の証でもあった。
けれど、ふと肩の力を抜き、両の腕を組む。
「……ただ、あいつは、"避ける"だろうな」
低く抑えた声には、"だから俺も知ったこっちゃねぇ"とでも言うかのような色があった。女将もしばし、黙してガルドの反応を見ていたが――次の瞬間、柔らかく、ふっと笑う。
「そうかい。失礼したね、お客様。……炭猫亭は、骨付き肉の胡椒焼きがおすすめだよ」
「……ああ、言っとく」
最後に一度だけ視線を交え、ガルドが踵を返して外へ向かえば、女将がその背に一言、かける。
「安心しな、私も客の素性を詮索するほど、野暮じゃないよ」
「…………」
わずかに足が止まったが――それきり返事をするでも手をあげるでもなく、護衛は黙って宿屋をあとにした。
――【護衛の立ち位置】




