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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
雪越えの街へ

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【ガルドとロア】


ソリの街を発ち、ふたりは街道を北に向かって歩いていた。


今日の空は薄曇りで、風は強くはないが、冷たい。雪の気配はまだ遠く、けれども街道脇の林はひっそりと静まり返っている。

夏場ならば鳥の声や小動物の息遣いが聞こえたであろう茂みも、今はどこか空いていて、林の奥まで見通せるようになっていた。



ルシアンは、旅の余韻を引きずらない。

影流れの谷で見たものも、その時に揺らいだ足元も、今はもう手帳の中にしか残っていない。

その瞳はただ、北風の中の街道を楽しんでいた。


道行としては、ここから二日ほど道なりに歩き、北の山岳に差し掛かる予定だ。

次の街は、そこから山を越え、そのまたさらに向こう。全ての道程で十日ほどかかる、というのがガルドの見通しだった。

ルシアンが、隣を歩く男を見上げる。


「山を越えた後、二日ほど歩くんだよね?」

「……ああ。六日で山抜けりゃあいい方だ」


ちらと視線で応じたガルドがわずかに顎を引き、ついで空を見やった。

大陸北部の西端の街、スレヴィア――それが、次の目的地だった。


「山越えの街道はできたばっかだ、道は悪くねぇ」

「そうなのかい?……じゃあ、ソリからスレヴィアへの交通路は通ったばかりということ?」

「いや、前は星晶窟(せいしょうくつ)……」


言いかけて、ぐっ、と不意に、言い淀む気配。やっちまった、の顔。……その一瞬を逃さず、ルシアンが首を傾げる。


「星晶窟?」

「……いや、」


ぶっきらぼうに切ってから、赤い瞳がじわりと横目でルシアンを見る。案の定、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


「……くそ……」


低く漏らし、ガルドは前を向いたまま顔をしかめた。ふいに出てきたその名前を聞き逃すつもりなど、もちろんこの雇用主には、微塵もなさそうで。


「……ガルド?」

「……チッ」


抗いようのないその声に、ガルドは一段、肩を落とした。



星晶窟とは、山を隔てた二つの地方を繋ぐ、昔の交通路だった。

山を迂回し、安全を重視した街道が整備されるまでの、かつての山越えルート。

上の街道で峠を越えれば六日はかかる道中が、この星晶窟を通れば一日で通過できる。


「上に馬車の通れる道ができて、星晶窟は用済みだ」


口調はぶっきらぼうなまま、苦々しくガルドが隣を見下ろす。

封鎖こそされていないが、現在は放置状態にあり、地元の管理組合や冒険者ギルドが最低限の監視・警戒を行うだけの場所。


一部の冒険者連中が時間短縮ルートとして利用することもあるが、一般通行は推奨されない。それにはある理由もあったが……まぁつまりは、暗くて脆くて危ない場所だ。


「それが何故、"星晶窟"なんだい?」

「……、……星晶(せいしょう)っつう、鉱石がある」


答える声は、渋い色を孕んでいた。どんどん、道行が確定していく気がする。


「魔獣はまぁ、いねぇが、星晶は資源価値もねぇし、道は狭い、暗い……迷う……」


ぱち、と視線が絡んだ。純粋なまでに見上げてくるその笑顔の前に、片眉が吊り上がり、やがて護衛から、ため息が一つ出る。


「……くそ……わかった。坑道の入り口には、明日には着く」

「ふふ、やった」


嬉しそうに笑うルシアンの足取りは、冬の風のように軽やかで――ガルドは小さく舌打ちをしながら、外套の襟元を無造作にかき合わせた。


「……上の道のが安全なんだがな」


ひとりごとのように呟き、先を行くルシアンの背を見つめ、軽やかすぎる足取りに、しばし目を細める。

ああ、そりゃあ、構いやしない。あれが見たがるもののために、俺がいる。それはそうであるが。

……安全な道を外れるルートをこちらから提示してしまったのは、護衛としての矜持が文句を言っている……。


「……ったく……」


ガルドが吐き出した言葉の裏には何もない。そっくりそのままただの愚痴、ただの諦め、ただの後悔。


歩幅を合わせて追いつけば、並んだふたりの影が長く伸びていく。

その先に、山の影と――誰も通らない坑道が、静かに口を開けて待っていた。






――それは、その日の野営地を探していた時だった。


ふとガルドが空を見上げ、くん、と鼻を数回鳴らし……雲を見て、風を見る。


「……雨降るな……崖下に入るか」


ほぼ、即断だった。

ルシアンも同じように空を見上げる。日は傾き始めているが、厚い雲は流れていない。薄雲は低いが、合間から見える空は青灰色に澄んでいる。


目線を下ろせば、護衛の眼差しはすでに街道脇の獣道へと向けられていた。

木立の隙間に踏み跡を見つけ、そちらへ舵を切る。旅慣れた脚が迷いなく草をかき分け、がさがさと落ち葉を踏みしめていく。


ルシアンもその背を追えば、やがて薄く開けた林の先に、岩肌が露出した崖が見えてきた。

岩壁の上部が庇(ひさし)のようにせりだす場所を見つけ、その下に荷物を置く。


「幕張る。降る前に薪(たきぎ)頼んだ」

「うん」


短い指示にルシアンも崖下に荷を置き、林の中へと足を踏み入れた。


雨の野営自体は、これまでも何度か経験がある。

そんな時、彼はいつでもああやって、天気が崩れる気配を読んできた。やはり、長年の冒険者としての経験がものをいうのだろうか。

空の色も、雲の流れも、ルシアンにはまだいまいちわからない。ふむ、と感心しながら、林の外縁で薪を拾い集める。


カン、カン、と天幕を打ち付けていく音が聞こえる。

木々の間から目をやれば、頭上の崖に幕を打ち付け、軒を拡張しているようだった。武骨な手が、幕の逆側に手頃な棒をくくり、ピンと張らせる。

手際よく、黙々と、いつものことながら頼もしい限りだ。


崖の下は、大人が二人並んで眠れる程度の広さがあった。

冷えた岩肌を背に、地面には薄く敷物が敷かれ、荷が壁沿いに寄せられていく。

崖の傾斜を利用した、風除けと雨除けを兼ねた野営地が、形になろうとしている。


ルシアンが手にした枝を抱えて戻るころには、ガルドは幕の張りを調整しながら、天幕の中を一瞥していた。


「拾えたか」

「うん。足りそうかな?」


訊ねるような声に、張った布の下から顔を覗かせたガルドが、薪の束を抱えた腕を見て小さく頷く。

崖の庇は思ったより深く、大きな幕は風に揺れて、けれど寒さを遮ってくれた。


地面の平らなところに手早く木を組み、ガルドが焚き火の支度に移る。

手に抱えた火口に、キン、キン、と数度火打ち金を打ち付ける音がして、木っ端がじりりと燻りだす。細く息を吹きかければ、小さな火が生まれた。


降るであろう雨と風の影響を避けるように、火は崖と幕の間に収まり、あっという間に枝を炙り始めた。乾燥して乾いた枝からは、ぱち、と軽い音が立つ。



火の揺らぎが、岩肌と幕の内側を照らしていた。

しばらく火勢を見つめていたガルドが、やがて緩く肩を落として、地べたに腰を下ろす。ちらりと淡紫に目をやれば、こちらも壁に緩く背を預けるところ。


「降りだす前に間に合ったな」

「うん、濡れなくてよかった」


交わされる声は、焚き火の音に負けそうなほどに穏やかで。


幕越しに、外の風が柔らかく鳴る。すぐ近くに、雨の気配が漂っていた。

けれどふたりの居場所は、火と幕と崖に守られている。

仄かに灯るその空間に、夜がじわじわと近づいてくる。



……た、た、ぱた、と。

天幕に雨が打ち付けられる音が聞こえ始めたのは、それから間もなくしてだった。

ぱたぱたと小気味いい音と、焚き火がぱちりと弾ける音が日暮れを彩る。


ほんの少し傾斜がかかった地面のおかげで、雨も流れ込んでこない。

降り出す前に野営地の設営が終わったため、装備も一切濡れていない。


「……雲の流れでわかるのかい?」


幕の間から雨空を眺めながら、ルシアンが声だけでガルドにそう尋ねた。

荷物の中から食料を取り出しながら、ガルドも同じように空を見上げる。


「……まぁ……匂いだな……風の」

「ああ、君、鼻がいいものね。すごいと思うよ」

「……。……」


わずかに照れているのか、ガルドのその眉間にきゅ、と皺が寄った。

ついで片手で抱えるように頭をかき、――ルシアンのほうに視線をやる。



「……、……獣人、の血が……混じってるからな……」

「えっ?」



完全に不意を突かれた表情で、ルシアンが隣を見上げた。

……うろ、と一瞬だけ赤い瞳が迷ったが、それを見つめる銀の瞳が、まっすぐだった。


「ひいじいさんが、……獣人だった。……俺は見た目は……人間だけどよ」

「……うん」

「けど……鼻がいいとか、身体がでけぇのとか、力が強ぇのは……それだと思う」

「……そっかぁ」


妙に納得したような声に、ガルドの肩が緩く落ちる。

張った天幕を打つ雨の音は心地よく、細かく弾んで、外の冷たさをそのまま音にしたようだった。

薄闇の中に少しずつ輪郭を失っていく林を、ルシアンの眼差しが見やる。

そうして、はた、と――、


「ロア……」

「……ん」

「"ロア"は、じゃあ、そっちの名前かい?」


緩く笑むような視線を向けられ、焚き火の炎に、ガルドが目を眇(すが)めた。

こくりとひとつだけ頷く仕草は、諦めでも観念でもない。枝をひとつ取り、がり、と地面に線を書く。


「……祝名(いわいな)だかってやつだな。……ガルド=ロア・ヴェルグリム」

「へぇ……祝名って?」

「んん……ロアの群れの、ヴェルグリム家の、ガルド、みてぇな……、……よくわかんねぇ」


地面に書かれたフルネームに、ルシアンが口元をふわりと緩めた。

この感じだと、混血だということも、名前のことも、きっと誰かに話したことなどないのだろう。いつだったか見せてもらったギルドカードにも、この「=ロア」の部分などなかった。


それきり、ふたりは静かに焚き火に向き直った。ルシアンがもう一度、雨空を見上げる。


「……君が誰でも、ガルドはガルドだね」

「…………」


その言葉に返される声はなく、ただ、火の中に先ほどの枝を放り込んだ。

火の粉が、ぱち、と跳ねる。


幕の外では、雨音が少しだけ強くなっていた。木々の幹も濡れて色を深め、林の向こうの街道は暗く沈み、空には星など見えやしない。

それでも崖下のこの小さな空間には、しっとりとした温もりが漂っている。岩の匂い、湿った木の匂い、そして、隣からふわりと香る木と花の香り。



空から視線を戻したルシアンは、火の明かりに照らされるガルドの横顔を、ほんの少しの間だけ見つめていた。

だがその視線に気づいたように、ガルドがわずかに喉を鳴らし、咳払いのように息をつく。


「……飯にすんぞ」

「ふふ、うん」


ぶっきらぼうな声は何も変わらずいつも通り。答える穏やかな笑い声も、いつもの通りだ。

雨音と火音の中、静かな野営の夜が、ゆっくりと深まっていった。






翌朝、日が昇り始めるころには、雨はすっかりと上がっていた。

朝陽が差し込む中で野営地を撤収し、濡れた天幕や鉄杭は、ルシアンが"そよぎ"の生活魔法を使って乾燥させていく。


「幕に囲まれてたから、寒くなかったね」

「ああ」


くるくると毛布を丸めながら、ガルドも短く返す。雇用主は相変わらずどこか楽しげで、昨日に引き続き"星晶窟"を心待ちにするかのような笑みを浮かべている。


そこから視線を逸らしたガルドが、まとめた毛布を荷物の中に突っ込んだ。


「…………」


――混血、については、別に何も隠していたわけではなかったが……、それでも今、どこか安堵している自分もいた。

それこそ、家族以外誰も知らない。ギルドも、冒険者連中も、知らないことではある。

だが彼の……ルシアンの名前を知って、その素性を預かって、――ならば自分もと考えてしまったのは……。


(……。おかしくはねぇよな……)


どこか正当化しようとしているのは、自分に対してだ。

見た目に特徴があるわけでもない。ただ普段は名乗らぬ名前と、……気質がややそちらに引っ張られる瞬間があるというだけ。

黙っていても支障のない範囲。


(……ちげぇか……)


(…………)


――知っていてほしかった、のかもしれなかった。

その結果返ってきたのが、『ガルドはガルドだ』という返事だったものだから、なおさらやけに響いてしまっただけで。


重くついたため息は、……ただ満足しただけのようなものだった。



靴底で焚き火の跡を均し、火の始末を済ませたガルドの傍らで、ルシアンも身支度を終える。

このまま岩壁に沿って歩くのか、獣道を引き返して元の街道へ戻るのか。

林のほうへ目を向けていると、屈み込んだガルドの頭が、胸元へ寄ってきた。


――すん、と小さく嗅がれる、いつもの朝の習慣。


……では、ある、が……。


「…………」


件の話を聞いた後だと、何か、すごく、ものすごく、……気恥ずかしい。


自分が思うよりも、さらに強く匂いを感じ取っているのだろうか、とか。

香油をつけていない時にも、香りに言及してきたことも、そういえばあったような、とか……。


黙りこくるルシアンに気づくことなく、すく、と背を伸ばし、ガルドが見下ろしてくる。

瞬きをひとつ落とした赤い瞳が細くなり、……口角がわずかにあがり、なんともにやり、といった風な表情になった。


「……なんで顔赤ぇんだお前」

「えっ」


雇用主、咄嗟に視線を伏せる。

片手で顔を覆えば、確かに熱い。


なんでと言われても、こちらが聞きたい。覗き込まれるような気配を感じ、思わず手のひらで視線を遮る。


「っ……、……」


ダメだよ、ガルド――は、ちょっと……出てこない。

ガルドは一瞬面食らったように目を瞬いたが、すぐににやついた顔をさらに近づけてきた。


「……んだよ、なんかまずかったか?」


息がかかるほどの距離。けれど手のひらが邪魔をして、顔は見えない。

――赤い瞳が、じっとを見ている気配だけが、やけに濃い。


「おい、無視か。逃げんなよ、なあ」


そう言いながら、あろうことか、手のひらを軽くつついてくる始末。

声色は完全に笑みを含んでいる。小さく抗議をするように、とん、とルシアンの空いた手のひらがガルドの肩口を押し込む。

ちょっと待って、と、来ないで、と、いじわる、の文句ような仕草だった。


ふ、と低く笑われるような声がする。肩口の抗議の手のひらに、ぽんと一度だけ手を重ね、屈んでいた身体を起こして踵を返した。


「……星晶窟までは二刻だ」

「……ッ、……うん」


どこかふてくされたような返事が、歩き出した大きな背を追う。銀の目尻に、まだ赤みがほんのりと残っていた。空を見上げれば、雲ひとつない晴天。雨の夜が嘘のような、澄んだ朝だった。


朝の風が、ちょっと火照った頬にひやりと触れる。


――すん、と嗅ぐ音が、耳の奥に残っているような気がした。






――【ガルドとロア】

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