↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
西端の街ソリ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
138/139

【お前は帰れる】


ガルドは、部屋が温まり始めたころに戻ってきた。寒空の下にいたものだから、鼻先がやや赤くなっている。

わずかに煙草の匂いがして、……一服だけしてきたようだった。


それぞれ宿の風呂に入り、部屋で荷物の整理をする。

元より、影流れの谷で蝶を見たら、この街は出立する予定だった。


物資は昨日のうちに買ってある。

明日からはひとまず、この街から北の方角を目指す。


各自装備の点検を終え、……ルシアンが手帳を手に、椅子に腰かけた。

いつものように、旅の記録をとる。街の宿。見かけた景色。人々や、美味しい食べ物。


ガルドからは何を書いているのかまでは見えないが、その静かな横顔はもう落ち着いていて、先ほどのような揺らぎはない。


ほ、と小さく息をつき、ガルドは先にベッドに身を横たえた。肘をついた手に頭を置いて、ペンを走らせる横顔を眺める。

淡紫の髪が頬にかかって揺れている。旅を始めた当初より、わずかに髪が伸びたか、などと思う。


「……あれ、ガルドもう寝るのかい」


ふと顔を上げて、穏やかなその眼差しが、ガルドのほうを振り返った。

護衛は無表情のままに、けれど銀の瞳から視線は外さずにゆらりと頷く。


「ああ。……今毛布暖めてる」


ぴた、と目を丸めて止まったルシアンが、は、と気づいた顔をして、ふわりと柔らかく笑った。

手帳を閉じ、ストールを椅子に掛け、薪ストーブの火を細くし、いそいそとベッドの脇へ。

その様子を見ていたガルドも、思わず頬を緩めながら、掛け布団を持ち上げた。


開かれた腕の中、背中から潜り込んでいけば、そのまま抱え込まれる。

湯上りの大きな身体は、――疑う余地もなく暖かかった。


ルシアンの髪が、するりとガルドの喉元にかかる。

湯気の名残を帯びた香りと、淡く静かな体温がすぐそこにある。その感触に、ガルドの呼吸がほんの少しだけ乱れた。


「ふふ」

「んだよ……あったけぇだろ」


ぶつりと小さく漏らされた声は、照れ隠しにも似ている。

だがルシアンは何も返さず、ただ黙って身を預けていた。


胸元にすっぽり収まる身体は、きつく抱き寄せるには少々軽く、けれど確かな重みを持っている。

緩く包むようにその身体を引き寄せれば、抵抗もなくぴたりと密着して……そこでようやく、ガルドはかすかに息をついた。


「……山越え、覚悟しろよ」


それだけをぽつりと告げて、腕の力を緩めないまま目を閉じる。

返事はなかったが、小さく頷くような気配がひとつ返ってきた。


ただ眠るだけの、ただ抱き寄せるだけの、静かな時間。

けれど、その何気ない寄り添いが――今日という一日の重みを、優しく、確かに癒していく。

ルシアンの呼吸が、柔らかく落ちかけた、その背中で。



「……なぁ、……」


ぼそ、と頭の後ろに声が落ちて、ルシアンがぱちりと目を瞬かせた。

振り返れば、……どこか眠たげな眼差しはまっすぐに、こちらを向いている。


「うん?」

「……お前は好きなだけ、あちこち行けよ」

「……うん」


一度だけ、大きな手で髪を梳かれた。

そのまま、硬い親指が頬を滑る。


「お前は、ああはならねぇ」

「…………」

「……お前は、帰れる」



それは過剰な自信でもなければ、見当はずれな発言でもなかった。

ただ、"そばにいる"、と。――"俺が呼び戻す"と宣誓するかのような、無骨な言葉。


低い声は身体の芯の方に重く落ちて、ルシアンは返事をする代わりに、小さく笑った。喉の奥が、きゅ、と締め付けられそうだった。

すり、と頬の手のひらにすり寄る。ガルドの腕が、再び自然に、しかし強く回される。


ゆっくりとぬくもりに沈んでいく気配に、そっと布団を引き寄せるように抱えなおせば、……夜の風は、もう聞こえない。


ガルドの腕の中、その存在が、ひとつの形として定まっていく。


大きくて硬いはずの手は、まるで繊細なものに触れるように柔らかい。けれどその力加減には迷いがない。

ただ守ることを選び、ただ包むことを選んだだけの手だ。


「……ついてってやる」


決意のようにぼそりと落としても、返答は、もうない。眠りに落ちたのかもしれなかった。

けれど、応えがなくとも構わなかった。この腕の中で眠るという、それがすでに答えだから。


指先がまた頬を掠め、吐息があたたかく肌に触れる。ガルドの瞼が静かに下りる。

重ねられたぬくもりのすべてを、まるでそれがともしびであるかのように胸に抱いたまま。


部屋をじわじわと、冬の冷気が包んでいく。


瞼の裏に、いつまでもあの蝶が舞っているような気がしていた。






――【お前は帰れる】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。